#29. ダンジョン、冒険、そして通行証。
種族が違うから、使える魔法も違うのだろうか? 想像すらしたことのない話に、思わずぽかんと口が開いた。
(獣人たちが好戦的なのは、治癒が簡単だからかもしれない……)
獣人族と人族は全く異なる種族なのだと改めて実感させられる。グレンとの契約は1年だけれど、もし彼が人族大陸に行きたがるなら連れて行っても悪くないという気がした。
(まあ、まだ遠い先の話だけど)
遠い未来のことを気にするには、現在やるべきことが多すぎていた。雑念を振り払ったエルナは、グレンの身体に異常がないことをもう一度確認してから切り出した。
「それじゃあグレン。旅に出ても何の心配もないよね? 今日中にラディオンを発とうと思うんだけど、どの道を進むのがいいかな? できるだけ雪のない、緩やかな道がいいんだけど」
獣人大陸に足を踏み入れて以来、雪に覆われた雪山ばかり登っていたせいで、そろそろ瑞々しい緑の草木を見たくなってきた。もちろん、ラカンタ北部を抜け出さないことには難しそうけれど……。
エルナの問いかけに、グレンは少し考え込むような表情を浮かべてから口を開いた。
「バルカンまでは少し遠回りになりますが、コル地方へ向かうのがよろしいかと思われます」
「コル地方?」
「はい。下端港の北西に位置する地方で、少し前に発生したダンジョンの影響により、季節外れの暑さが続いているとのことです」
ダンジョンという単語にエルナの目がきらりと輝いた。ダンジョンが発生したって? それも少し前に?
生まれたばかりのダンジョンは情報がなく危険である分、知られざる新たな発見が多い。運が良ければ一生遊んで暮らせるほどの財産と、後世に名を残す大発見ができるため、冒険者にとっては夢の場所だと聞いたことがあった。
ただし、ダンジョンとは時間と場所を選ばずに現れる未知の場所であるため、新規発生したダンジョンに足を踏み入れられる冒険者はごく一部にすぎない。
しかし、少し前に発生したというなら……? 深いところまで踏い込んだ者がまだいないなら?
エルナの胸の内で、冒険心がむくむくと湧き上がり始めた。
「グレン。ダンジョンが少し前に発生したって言ったよね? いつ頃できたものなの?」
「正確ではありませんが、およそ10年ほど前だったと記憶しております」
「えっ……」
なるほど、獣人にとって10年なんて大した時間ではないのか。10年も経っているなら、未攻略だとしてもそれなりに開拓は進んでいるに違いない。
惜しいような気持ちになる一方で、バルカンへ向かう道中にダンジョンがあるなら、一度くらい見物してみたいものだ。
「グレン。もしかして、グレンはダンジョンに行ったことがある?」
「いいえ、ありません」
「えっ、意外だな。行ってみたいと思ったことはないの?」
「冒険者を夢見たことはありましたが……成人してからはザハード様を追いかけて軍に入隊しましたので」
「あ……」
グレンの答えにしんみりとした表情を浮かべたエルナは、すぐに顔を上げて微笑んだ。
「冒険者を夢見たことがあるなら、ダンジョンも気になるよね? じゃあ、今度一緒にいってみようか」
「ダンジョンを探索するというのは、かなり時間がかかることだと聞いておりますが。エルナ様……いいえ、エルナの目的はザハード様の故郷なのではなかったのですか?」
「もちろん、目的はザハードの故郷だよ。でも、その前にできることは全部やっておきたいの。そうしないと、あとでザハードに話して聞かせられないから」
「なるほど……確かにザハード様であれば、「せっかくの旅路なのだから楽しまなければ損だ」とおっしゃるでしょうね」
ザハードをよく知る人物らしい答えだった。エルナが笑ってうなずくと、グレンもそれに倣って口角を持ち上げた。
「分かりました。コル地方の周辺には食糧を補給できる場所がありませんので、今のうちにここで補給を済ませておかなければなりませんね」
「うん。その前に通行証の発行を受けないとね……そういえば、身分証明書の発行にはどれくらいかかるのかな?」
「エルナにはザハード様のペンダントがありますから、そう長くはかからないはずです」
「本当?」
「はい。身分証明書とは、人族がラカンタで問題を起こす存在か否かを判別して証明する書類ですので。ザハード様が保証してくださったエルナでしたら、たやすく証明書を発行してくれるでしょう」
「へえ、よかった。じゃあ、今すぐ行って発行してもらうことにしよう」
「はい」
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青雄族の族長であるタルーの執務室は、ラディオンの中心地であり、広大な広場の中央にそびえ立つ鐘塔の下に位置している。
証明書の発行のために集まった冒険者が多いせいか、鐘塔の前には長い列ができていた。幸いにも列はそれほど長くなく、少し待てば順番が回ってきそうだった。
グレンと一緒に列に並んだエルナは、せっかくの機会だと思い辺りを見回した。広場には証明書の発行を待つ冒険者以外にも、様々な獣人たちの姿があった。
(獣人たちは視線を隠すということを知らないのかしら? あまりにも露骨に見つめてくるわね)
ラディオンの中心地だからなのか、それとも時間帯のせいなのか。広場を行き交う獣人たちはそれなりに多く、彼らの視線は例外なくエルナとグレンに突き刺さった。いや、突き刺さるのは視線だけではなかった。
[白い狐がどうして獣人の姿でいるんだ?]
[あいつは獣刑に処された犯罪者ではないのか?]
[そういえば昨日、パカンの一行が人族の女に遭遇したって言ってなかったか? 白い狐を連れていたらしいぞ]
万が一の状況に備えてグレンにはフード付きのローブを着せていたにもかかわらず、見る目がこれほど露骨なということは、グレンを見分ける別の方法でもあるのだろうか。
(声が大きいんだから)
人族には言葉が理解できないと思っていたのだろうか。それとも、聞こえても構わないと思っているのだろうか。どこに行っても、軽口を叩く連中というのは厄介なものだ。
自分たちに関する噂が耳に入るたび、グレンの顔が曇っていくのが気にかかった。
知らない者たちのどうでもいい言葉ほど無視しろと言っても、耳に入ってくる言葉のすべてを無視し続けることなどできないと、エルナはよく知っている。
ハメルーンでは王妃という身分があるため、むやみに怒りをぶつけたり大声を上げたりすることはできなかった。彼らがどれほどエルナを非難しようとも、彼らはエルナが守るべき国民だったからだ。
だが。
(ここでは違うわ)




