#28. 治癒魔法。
グレンが承諾してくれたのだから、あとは契約を残すのみ。
そこでエルナは、一晩中頭の中に叩き込んでおいた魔法式を思い浮かべながら、空中に魔法式を描き出した。
彼女の魔力の色と同じ黄金色の光が空間を彩ると、グレンの視線が鮮やかな光を放つ魔法式へと向けられた。
「さあ、式は完成したし……グレン、手を貸してもらえる?」
「手、ですか?」
「うん。って、私たちタメ口にしようって話さなかったっけ?」
エルナが彼を見上げると、グレンが気まずそうな表情を浮かべながら差し出した。
「申し訳ありません。私メは一生敬語を使ってまいりましたので、すぐにタメ口にするのは少し難しいようでして」
「あー、そういうこともあるよね」
エルナは貴族出身だし、常に誰かのの上に立つ立場だったからタメ口の方が楽だけど、そうじゃない人もいるものね。
「分かった。じゃあ、ゆっくり変えていこうか。それじゃあ……」
グレンの手をしっかりと握りしめたエルナは、軽く目を閉じてから彼の手に自分の魔力を注ぎ込んだ。
隷属の契約自体は、一般的な契約魔法と同じだ。
魔法式に魔力を注入したあと、契約対象を指定する。
「グレン、契約を始めるね」
「かしこまりました」
「エルナ・オルテンスは、獣人族のグレンと隷属の契約を結ぶ。契約期間は1年間」
目を開けたエルナがグレンの赤い瞳を見つめながら低く呟くと、周囲を照らしていた魔法式から文字が浮かび上がった。
-契約期間中、エルナ・オルテンスは契約者グレンの身分の安全を保障する。
-契約期間中、グレンは契約者としてエルナ・オルテンスに隷属する。
隷属の範囲はグレンの肉体と精神の双方を含む。
-エルナ・オルテンスは自由にグレンに命令を下すことができ、グレンはその命令に従う。
ただし、契約者の命を脅かす命令を下すことはできない。
-契約は双方の合意によって成立する。エルナ・オルテンスの命令が不当な場合、グレンは彼女の命令を拒否する権利を有する。また、契約を破棄する権利はグレンに付与する。
エルナが空いている手を持ち上げると、魔法式が彼女の手のひらへと吸い込まれていくかと思うと、やがて模様の一切ないシンプルなペンダントへと姿を変えた。
「契約内容に異議がなければ、このペンダントをつけて。これで契約はおしまい」
エルナの言葉に、グレンは迷うことなくペンダントを自身の首へとかけた。
契約が済んだあと、少しでも休むようにというグレンの提案に従い、エルナは隣の部屋のベッドへと向かい、横になった。
ここ数日、簡易ベッドでしか眠っていなかった上に、一晩中一睡もしなかったからか、彼女の意識は急速に薄れていった。
***
目を覚ますと、眩しい空がエルナを迎えてくれていた。
正午の太陽が高く昇り、雲ひとつない晴れ渡った空は、何日ぶりに見るのか見当もつかないほどだった。
ぼんやりと空を眺めながら時間の計算をしていたエルナは、ベッドから起き上がって簡単な身支度を整えた。
ラディオンでの予定が思っていたよりもずっと長引いているのではないか。
「グレンとの契約も済んだし、この街に用事があるわけでもないから、さっさと片付けて出発しなきゃ……いや、待てよ」
グレンは負傷している状態なのだから、ラディオンで療養した方がいいだろうか?
時間だけはたっぷりあるとはいえ、どうせ休むならザハードの故郷で休みたい。
腕を組んだまま悩んでいたエルナは、ひとりで考えていても仕方がないという結論に至り、リビングへと向かった。エルナがリビングに出ていくと、暖炉の前に座っていたグレンが待っていたかのように彼女に歩み寄ってきた。
「エルナ様……いえ、エルナ。よくお眠りになれましたか?」
「おはよう、グレン。グレンはよく眠れた?」
「はい。おかげさまで深く眠ることができました」
「そう? よかった。動くのは平気?」
何十年も獣の姿で生きてきたのだから、獣人の姿がまだ馴染まないかもしれない。
エルナの問いかけに、グレンは微笑みながらうなずいた。
「はい。この姿は久しぶりですが、思っていたほど違和感はありません」
「ケガのほうは? 裂傷だったし、もう少し療養した方がいいかな?」
「傷は完治いたしました」
「えっ? 完治したって、どういうこと?」
エルナが首をかしげながら問い返すと、グレンは淡々とした声で答えた。
「私メは治癒魔法が使えますので。エルナ様に魔力を補充していただいたおかげで、傷を治すことができました」
「え……?」
ちょっと待って。グレンが今、何て言った? 治癒魔法?
エルナがポカンとした顔でグレンを見上げると、グレンの手がゆっくりとエルナの首元へと伸びてきた。
グレンの冷たい手がエルナの首筋をなでる感触がしばらく続いたあと、ヒリヒリと痛んでいた首のあたりから痛みがきれいに消え去った。
「治療するのが遅れて申し訳ありません。眠っていらっしゃる女性の部屋に勝手に入るわけにはいかないので……」
まさかという思いで手鏡を取り出して確認してみると、前日にグレンが意図せずにつけてしまった赤く擦れた跡が、跡形もなく消え去っていた。
「嘘でしょう……グレン、あなた聖職者だったの?!」
「聖職者というわけではございません」
「それじゃあどうやって治癒魔法をなんて使ってるの? 治癒魔法は神聖魔法だから、一般人には使えないはずじゃ……」
「ラカンタでは聖職者でなくても治癒魔法を使えます。それに、使っているのも神聖力ではありませんし」
「嘘でしょ……じゃあ魔力で使ってるっていうの? 神聖魔法を?」
「はい。ただ、使える者と使えない者が分かれているのは同様ですが」
一体どうやって? 神聖魔法は神聖力でしか使えないはずだ。聖職者ではない人間が治癒魔法を使えるというのは、実に衝撃的な事実だった。おまけに……。
「治癒魔法の使い手なのに、獣刑に処されたっていうわけ? 正気なの?」
それとも、獣人大陸には治癒魔法の使い手が多いのだろうか?
湧き上がる疑問を胸に、エルナはグレンを見つめながら尋ねた。
「ねえ、グレン。獣人大陸には神聖魔法を使える人が多いの?」
「多いわけではありませんが、珍しくもありません。白鴟族は代々、治癒魔法に特化した種族でもありますし」
「へえ……」




