#27. 対等な関係。
「エルナ様? 今、何とおっしゃいました……?」
「今日の朝ご飯、一緒にどう?」程度の気軽な口調で放たれた契約の提案に、グレンが反射的に問い返した。それにエルナが1グラムの重みも感じさせない軽やかな声で答えた。
「あら、私としたことが。気が急いちゃったみたい。契約の前に条件も話していなかったわね……」
「いいえ、エルナ様。条件をお話しされているのではありません」
「えっ? それじゃあ?」
エルナが首をかしげて尋ねた。あまりにも自然に進む会話に、かえってグレンの方が混乱してしまった。
整った顔立ちいっぱいに戸惑いを浮かべたグレンが、困ったような表情で二度三度まぶたをパチパチさせてから口を開いた。
「私と、契約をなさるということですか?」
「うん。そうよ」
「エルナ様。私は罪人です。本来なら、こうして会話を交わすことすら許されない存在なのです」
「分かっているわ。だから契約をするんでしょう?」
「どうして契約をなさるのですか?」
「それは……」
「あなたを幸せにしてあげるからよ」と言いかけたエルナは、言葉を飲み込んでグレンを見つめた。
幸せにすると決意したものの、具体的にどう幸せにするのかまでは決めていない。
奪われたものを取り戻してやることも、きっと長い道のりになるはずだ。
エルナは獣人大陸については無知だから、約束を果たせなくなるかもしれない。
(形だけの口先だけの言葉なんて大嫌いだわ)
行動が伴わない言葉は、エルナが最も嫌うものだ。
不確実な未来について自信満々に口にすることなどできない。そこでエルナは言いかけた言葉をぐっと飲み込み、目をクリクリと動かした。
そして、ゆっくりと言葉を続けた。
「あなたの助けが必要だからよ」
「助け……ですか?」
「そう。私はザハードを故郷に連れて帰るために獣人大陸に来たの。大体の場所は分かるけど、人族の女である私は差別の対象になりやすいから」
エルナの言葉に、グレンが複雑な表情で彼女を見つめた。
「同じ獣人として、お詫び申し上げます」
「グレンがどうして謝るのよ。差別自体はどうってことないわ。人族大陸でも獣人を差別する人はたくさんいるし。ただ、他のことはともかく、道順を見つけるのは難しそうだなと思って」
エルナの答えに、グレンが怪訝な面持ちをした。そこでエルナは、ラディオンに向かう途中で詐欺に遭った話を簡潔にまとめて聞かせた。
「なるほど。旅行客を狙った犯罪は後を絶ちませんので」
「そうなの。盗賊たちを討伐するのは難しくないけど、一度道に迷うと見つけ出すのにかなり時間を無駄にしてしまいそうで。グレンは軍人出身だから、大体の道は分かっているでしょう?」
元軍人であることに加え、グレンは半世紀をひとりでさまよっていた男だ。脇道はもちろん、獣たちが通る道まで知っているはずだから、エルナが道に迷う心配はないだろう。
思いつきで作った言い訳にしては、かなりもっともらしい理由だった。
いや、冷静に考えてみれば本当にグレンがいてくれなければ困りそうだ。万が一彼に断られたらと心配になったエルナは、早口で言葉を続けた。
「契約と言っても、あなたを縛り付けるつもりはないわ。あなたが望まないならいつでも契約を破棄できるし、生活も保障する。もちろん給料だってもちろん払うわ。それに……」
「分かりました」
契約の条件について思いつくまま話し始めたエルナの姿を見て、グレンがうなずきながら答えた。
「あの、グレン? まだ契約の条件を全部話し終えていないんだけど」
「どのような条件でも構いません。むしろ、私の方からお願いしたいのです」
グレンの言葉に、今度はエルナが首をかしげた。理解できないというエルナの表情に対し、ベッドから起き上がったグレンが床に下りると、そのままひざまずいた。
「えっ? え? グ、グレン?!」
「エルナ様。お願いでございます。あなたのためなら何でもいたしますので、どうか私をあなたの従者としてお迎えください。ザハード様をお見送りするその道に、どうか私も同行させていただけるようにお願いいたします」
(従者だなんて……)
もちろん隷属の契約なのだから主従関係が成立するのは事実だが、エルナにはザハードの家族であるグレンを下に見るつもりなどなかった。だからエルナは、グレンに従うように床にひざまずいたまま言った。
「グレン。悪いけど、従者にするつもりはないわ」
「負担に思われるのはよく分かります。しかし……」
「ううん、そういう意味じゃないの。グレン。私はあなたと対等な関係がほしいの」
「対等な……関係ですか?」
「そう。あなたが危険な時、私はあなたを助けるし、私が危険になったらあなたが私を助けてくれる。そういう関係よ」
「ですが、私は……」
「グレン。私にとってあなたは、『ザハードの家族』であるグレンでしかないわ。獣刑に処された犯罪者でも、行く当てもなくさまよう狐でもないの」
立ち上がったエルナがグレンに手を差し伸べた。反射的にグレンがその手を握ると、彼女はグレンを立たせながら言葉を続けた。
「だから、対等に接してちょうだい。『様』という呼び方も、堅苦しい言葉もいらないわ」
「……それでも、よろしいのですか? 私のような……何も持っていない者が、あなたと対等になってもいいのですか?」
グレンがためらいがちに問い返すと、エルナは彼を見つめ、パッと華やかな笑みを浮かべた。
「もちろんよ。あなたが負担に思うなら、私からタメ口にするわね。ううん、私からタメ口で話すわ。グレン。私のそばに一緒にいてくれる?」
エルナを見つめるグレンの赤い瞳が、みるみるうちに潤んでいく。言葉に詰まったように声が出せないグレンは、唇を噛みしめながらうなずいた。たまっておいた涙が頬を伝って流れ落ちた。
(本当に、よく泣く人だな)と思いながら、エルナは彼の頬に伝った涙を拭い去ってやった。




