#24. 雪の降る港。
「今年は冬がやけに長いな」
世界を覆いつくすように降り積もる雪の塊を眺めながら、ジェニュード・ハレンは目を細めた。彼が操る船がハダン港に錨を下ろして今日でちょうど一週間。
ラカンタではそろそろ冬が終わる頃合いだというのに、空から降る雪は止む気配を見せなかった。
「こりゃあ、出航に支障が出やしないか心配だな」
ジェニュードが率いる砕氷船がハダン港に停泊する期間は約二か月。
その間に港へと集まる輸入品を積み込んでから出航する手はずとなっている。
まだラカンタに来て一週間しか経っていないため、期間的な余裕は十分にあった。
だが、雪が止まなければ貿易品を運んでくる商人たちの足も止まってしまう。
様子を見る限り、雪はかなり長く降り続きそうだった。いくら獣人たちが強靭な肉体を持っているとはいえ、数メートルも積もった雪をかき分けて港までたどり着くのは容易ではないはずだ。
(まったく……お嬢様は大丈夫なのだろうか)
ジェニュードの視線が窓の外の緩やかな丘へと向かった。
港からラディオンまでは徒歩で三日ほどだが、これほど大雪の時は道に慣れた地元の人間ですでに道に迷いやすい。果して、元貴族の令嬢が無事に村にたどり着くことができるだろうか。
(まあ、普通の令嬢じゃないから大丈夫か。令嬢というか王妃様だしな)
エルナもオルルテンス公爵も特に言及はしなかったが、ジェニュードも船員たちも、彼女が誰であるかは一目見ればすぐに分かった。
ハメルーンには珍しい黒髪と、それ以上に珍しい金色の瞳を持つ公爵令嬢であり、魔獣侵攻の際には最前線に立ち、誰よりも多くの魔獣を屠った「黒夜の戮殺者」。
ハメルーンの民であれば、誰もが一度は戦場に立つエルナ・オルルテンスを見たことがあった。
夜空のような真っ黒な黒髪をなびかせ、道標のように輝く金色の瞳をぎらつかせながら幻獣を従えていた怪物。
王城の夜宴で国王が聖女を選んだということは、遥か遠くの港町まで噂が広がるほどの出来事だった。
だからこそ、港にいる誰もがエルナに獣人大陸へ赴く事情を尋ねたりしなかった。
彼女が選んだ道を止める者などいないからだ。
ただ……。
(あの王太子……いや、国王はきちんとあの令嬢を手放したのだろうか?)
今はこうして貿易船の船長モドキを演じているが、かつてジェニュードは伯爵家の次男だった。
何度も王太子を見たことがあったし、侵攻戦争の時には共に戦ったこともあった。
彼がエルナに向ける愛情は本物だった。誰よりもエルナを大切にし、彼女のためなら何でもする男だった。
そんな彼がなぜ聖女を選んだのか、理由は分からないが……。
(嫌な予感がするな)
予感がきれいに外れてくれればいいのだが。
あいにくこういう時のジェニュードの勘は、なかなかに当たる方だった。降りしきる雪を見つめながらため息をついたジェニュードは、上着を羽織ると外へ出た。
[おいおい、ジェニュード。人族のくせに寒がりじゃないのか? 何しに出てきたんだ?]
窓の外で熱心に雪かきをしている獣人たちの姿をただ見ているわけにもいかず外に出ると、彼の宿る宿屋の主人であり、灰犬族の獣人であるアカが声をかけてきた。
[寒さが嫌いなんじゃない、この国の服が薄すぎるんだよ。みんなが雪を片付けているのに、俺たちだけゴロゴロしているわけにはいかないだろ?]
灰犬族は人族と仲の良い種族ではないが、港に停泊するたびに利用している宿屋なだけに、なんだかんだで親交が生まれていた。
ジェニュードの軽口に、灰犬族の主人は豪快に笑いながら答えた。
[ははは、気転が利くじゃねえか。雪かきが終わったら美味いメシを馳走してやるから、精々手伝いな]
[心配するなよ。俺たちの腕前はあんたもよく知ってるだろ?]
[そりゃよく知らぁな。一日や二日の付き合いじゃねえんだからよ]
ジェニュードが率先してスコップを動かし始めると、船員たちも待ち構えていたかのように外に出て作業を手伝った。手際の良い船員たちが揃っているおかげで、雪かきは瞬く間に終わった。
[ふう、雪かきをすっかり済ませたから、数時間は安全だな]
[数時間か。この辺りは嫌になるほど雪が多いぜ]
[もう春が来てもいい頃合いだというのに……]
アカの視線が港の向こうへと向けられた。まるで何かを確かめるかのように、灰褐色の瞳が細められた。
[異常気象が続く年には、決まって不吉なことが起こるもんさ]
[おい、縁起でもねえことを言うなよ。俺たちはまだ行くべき道が長ェんだから]
[はは、枯れ爺の戯言だ、気にするな。それにしてもよ、お前たち。もう一人、人族の女を連れていなかったか? 最近見かけねえが]
[ああ、あの子はこの大陸に用事があってな。短くても半年……遅けりゃ来年にならなきゃ戻ってこねえよ]
[なんだと? お前、正気か? 人族の小娘を一人で送り出すなんてよ?!]
ジェニュードとは長年の付き合いだからか、アカが心配そうに尋ねた。それにジェニュードは心配いらないと言わんばかりに手を振ってみせた。
[心配する必要はねえよ。俺が保証するが、主人あんたが襲いかかろうとも、あの子はまばたき一つしねえさ]
[あぁん? どういう意味だ? 人族のガキがそんなに強いわけが……]
[あの子は幻獣使いだ。なんとエアルテを召喚できるんだぜ。その怪物はラカンタでも有名なんだろ?]
[……エアルテ? 待て、その女のガキ、まさかハメルーンの女王なのか?]
[女王じゃなくて王妃……いや、待てよ。主人、どういうことだ? あんた、それをどうやって……]
たとえハダン港がハメルーンと近いとはいえ、ここは人間を蔑む獣人大陸だ。
人族の国の王妃を知っているはずがない。驚いたジェニュードが言葉を続けようとしたその時だった。
「失礼します。あなた方はもしかして、ハメルーンからいらした方ですか?」




