#19. 宿にて(1)。
ホリと別れた後、彼が勧めた宿に向かうため、エルナは商業地区を横切り北東へと向かった。
どうやら北へ行くほど、富裕層のショッピング街のようだった。
北へ進むにつれて、彼女が歩いていた裏門側の通りとは違って周辺の通りが綺麗に整備され、屋台の数も目に見えて減り始めた。
建物もまた黒い石で建てられている点は同じだが、窓枠や玄関などが高級な素材で作られており、規模も大きく華やかになっていっていた。
(どこに行っても貴族たちの街はあるものね)
ラカンタ連邦国は階級社会ではないため、公式には貴族も階級も存在しない。
しかし、連邦国自体が百年ほどしかない短い歴史を持っているからなのか、港でも似たように通りが分かれていたことが思い出される。
(まあ、いくら体制を変えようと努力しても、簡単に変えられるものではないわよね)
刹那の時を生きる人族ですら、体制を改革することは数々の反発を伴う。種族間の結束力が強い獣人たちであればなおさらだ。
比較的長い道のりだったにもかかわらず、周辺を鑑賞しながら歩いたためそれほど辛くはなかった。
遠くからでも威圧感を放っている宿の前に立ったエルナは、浅い息をつきながら宿の建物を見上げた。
ホリは七階建ての宿だと言っていたが、獣人たちの基準だからなのか、エルナの目にはそれよりもはるかに大きく荘厳に見えた。
首を限界まで上げて見ても最上層が見えないほどの高い建物の外見は、奇妙なことにエルナの故郷であるオルルテンスで見られるような建築様式だった。
しかし、オルルテンス地方と完全に同じかといえばそうではなく、まさに人族と獣人族が入り混じったラディオンらしい建築物だと言えた。
(誰が建築したのかは知らないけれど、本当に見事な造りだわ。美しいこと)
見るだけで感嘆の声が漏れる建物を眺めていると、金色に塗られた扉が開いて一人の人間の女性が出てきた。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
「こんにちは。ええ、宿泊したくて。もしかして従業員の方ですか?」
どれほど人族が行き交う場所だとはいえ、ここは獣人大陸だ。
人間の従業員がいるとは思っていなかったため、エルナがまばたきをしながら尋ねると、長い茶色の髪を三つ編みにした女性が微笑みながらうなずいた。
「はい、そうです。申し訳ありませんが、現在一般室はすべて埋まっておりまして、スイートルームしか空いていないのですが、よろしいでしょうか?」
「スイートルームに泊まるつもりだったから構わないわ」
「それでは、ご案内いたします」
礼儀正しく挨拶を終えた女性は、エルナを宿の中へと案内してくれた。驚いたことに、この宿には人族の従業員と獣人族の従業員が半々ほどだった。
「人族の従業員が多いのですね。冒険者が多いラディオンだから人族の従業員が多いのでしょうか?」
「必ずしもそういうわけではないんです。ラディオンには人族がたくさん行き来しますが、それ以上に多くの獣人たちが訪れますし、この宿も人族より獣人族のほうが多く利用しますから」
「それなら、なぜこんなに人族の従業員が多いのか伺ってもよろしいでしょうか?」
初対面でこのような質問をするのは失礼かもしれない。しかし、疑問を抑えきれなくなったエルナが尋ねると、女性は微笑みながら答えた。
「お客様もご存じのとおり、ラディオンには多くの人族が集まります。しかし、誰もが通行証を発行してもらえるわけではありません」
女性の言葉どおり、すべての冒険者が獣人大陸を旅行できる通行証を手に入れられるわけではない。通行証の発行率は半々。
つまり、これほど多くの冒険者の中で、獣人大陸に足を踏み入れられるのはちょうど半分だけという意味だ。
「獣人大陸に集まる人族は大きく分けて二種類です。黄金郷を求めて冒険に出た、お客様のような冒険者。残りは、人族大陸にいられなくなってやむを得ず新しい故郷を探して旅立たなければならなかった難民です」
「あ……」
「能力のある人たちは冒険者として生計を立てればいいですが、そうではない人間も存在するのです。私たちのような行く当てのない人族を受け入れてくださったのが、他ならぬ青熊族の族長タル様なんです」
女性の言葉にエルナの瞳が大きく見開かれた。
「タル様が私たちのために尽力してくださり、情け深い青熊族が私たちを受け入れてくれたおかげで、こうして青熊族の間で暮らしながら従業員として過ごすことができているのです」
「……」
考えたこともない主題だった。人族大陸が獣人を差別するように、獣人大陸もまた人族を差別する。
だからこそ、獣人大陸に向かうのは自分自身を守れる冒険者だけだと思い込んでいた。しかし、冒険者だけにしては人族の数が多すぎた。
単に冒険者が多いから、世界中の冒険者がすべて集まっているから人族が多いのだとばかり思っていたのに。
(故郷を離れて新しい故郷を探してさまよわなければならない人々……もしかしてこの女性はスパニアの国民だったのかしら?)
ほんの数年前にもスパニア王国が滅亡し、数え切れないほどの難民が生まれた。大国と呼ばれていたスパニアが滅亡し、スパニアの国民たちは他の王国へと流れていった。
しかし、難民を無条件ですべて受け入れてくれる国など存在しない。ハメルーンですら、受け入れることができたスパニアの難民はごく一部にすぎなかった。
では、残りの人間たちはどこへ行ったのか。人族大陸で足の踏み場もなかった彼らが行き着く場所は、ここ、獣人大陸しかなかったのではないか。
(スパニアの国民はたいてい茶色の髪に緑色の目をしているわ。この女性と同じ……)
砕氷船の船員たちは、青熊族は気性が穏やかで寛容だと言っていた。他の獣人に比べて人間とうまくやっていると。
ひとまず見習うべきだったな。
(私だって……一つの面だけを見るのではなくすべてを見なさいと、ザハードにあれほど言われていたのに)
実際に会った青熊族はたった三人しかいないというのに。先入観を持って見てしまっていたんだわ。




