#18. 選択の村、ラディオン。
ホリを案内役に、村人だけが知る裏道をどれほど疾走しただろうか。
道はなかなかに険しかったが、地理を把握していれば移動できないほどではなかった。
ホリの後についていきながら道順を確実に暗記したエルナは、深いクレバスの下、人間一人がかろうじて通れるほどの細い道を抜けて、ついに[選択の村]と呼ばれる青熊族の村、ラディオンに到着した。
「わあ」
バルカンへ入城するための最初の関門らしく、ラディオンは高い山にある村とは思えないほどに栄えていた。
通りを歩く獣人は青熊族が多い傾向にあったが、思ったよりも他の種族の姿もちらほら見かけた。
そして当然といえば当然ながら、人族の数が凄まじかった。
港にいる人族の数よりも多く、ラカンタ大陸の人間のおよそ三分の一くらいはここにいるのではないかと思えるほど、人族の数が多かった。
特異なことに、建物はすべて真っ黒な石で建てられていた。
白い雪の下にそびえる黒い建物群は冷たい印象を与えたが、建物の下にしつらえられた屋台は色鮮やかな布で飾られ、多様な品々が並んでいて独特の美しさを醸し出していた。
下層の港とはまた違う意味で目を奪われる村の光景に純粋に感嘆していると、ホリが村について簡単に説明してくれた。
「俺たちが中に入った裏庭は、商業地区と繋がっているんだ」
「商業地区ですか?」
「ああ。この村は商業地区と居住地区に分かれているんだよ」
「ほお……」
それほどの規模であれば、村ではなく都市と呼ぶ方が適切ではないだろうか?
(獣人大陸は人族大陸の十倍以上広いと言うから、この程度なら村と言えるのかしら?)
感嘆の声を漏らしながら村を分析していると、ホリがエルナの方を振り返って尋ねた。
「それで、お嬢さんはどうするんだ?」
「何をですか?」
「本来、ラディオンは誰でも自由に出入りできる村だ。だけどお嬢さんの場合は、ちょっと特殊というか……」
言葉を濁したホリの視線が、エルナのコートの方へと下がった。
エルナのコート、正確にはコートの下で眠っている狐を見つめる視線だった。
(なるほどね)
エルナ自身は自由に出入りできるとしても、獣刑に処された狐は出入りに制限があるということらしい。
「とにかく一度自警団に行って事情を説明しなきゃいけないと思うんだ。俺もそっちに向かうところだし、一緒に来るか?」
「うーん……今すぐ行かなくてはなりませんか?」
「いや、そうじゃない。こっち側にも事情があるし、話が終わってからお嬢さんをどう扱うか決めることになるだろうさ。ただ、この場合だと自警団の方からお嬢さんを迎えに来ることになる」
「注目がかなり集まりそうですね」
「その通り。お嬢さんは通行証をもらいに村へ来たんだろ? 目立っていいことなんてないだろ?」
「一理ありますね」
エルナが連れているのが単なる負傷した犯罪者であったなら、迷うことなくホリについて自警団へ向かったことだろう。
しかし、今のエルナにはそれよりも何よりも先に行わなければならないことがあった。
何がより急ぎなのか。優先順位を考えていたエルナは、やがて口角を持ち上げて答えた。
「気遣ってくれてありがとう、ホリ。だけど、まずは荷物を解きたいの。お風呂にも入りたいし。準備が終わったらそちらに向かうから、自警団の建物がどこにあるかだけ教えてもらえるかしら?」
「お嬢さんが来てくれるって言うなら、こっちとしてもありがたいね。自警団の建物は、今いる通りを左に曲がってから……」
ホリから詳細な住所を聞いたエルナは、せっかくだから宿の推薦も受けておくべきだと思い、宿についても尋ねた。
「お金は構わないから、セキュリティがしっかりした宿に泊まりたいわ」
「それなら商業地区の北東の端にある七階建ての建物に行きなさい。村の住民でも簡単には泊まれない高級ホテルだけど、お嬢さんなら泊まれるはずだ」
高級ホテル、か……。
獣人大陸に来る前に連邦国の通貨をたっぷりと両替しておいて本当によかった。やはり事前に準備しておけばすべて役に立つものだ。
バッグの中から手帳を取り出し、ホリから教わった情報を簡単な絵と共に書き留めた。
情報の整理を終えたエルナは、用事が済んだからそろそろ行くと言いかけたホリを引き止めた。
「ちょっと待って、ホリ」
「ん? まだ何か聞きたいことでも?」
「いいえ。お礼を受け取っていなかったので」
「そんなのいらないって」
「ダメよ。ホリが私にくれた好意は、お礼の言葉だけでは足りないものだから」
収納バッグを漁りながら言葉を続けると、エルナはやがて黄金色の液体が入った透明な瓶を取り出した。霊妙な光を放つ瓶を見つめるホリの目が少し見開かれた。
「お嬢さん、これは……」
「オルルテンス領で作られた蜂蜜酒よ。公爵家にのみ納品する特別な醸造所で製造したお酒だから、ラカンタはもちろんハメルーンでも手に入りにくい一品よ?」
「え、えっ? よく分からないけど貴重なものなのか? 俺がもらってもいいのか?」
実はこの蜂蜜酒、青熊族の族長であるタルへ献上するための品で、また何かで役に立つかもしれないと予備でもう一本持ってきた貴重なお酒ではあった。
ホリにあげるにはいささか過分な代物かもしれない。しかし――。
「このお酒に値するだけの好意を、あなたは私にくれたのだから。もらった分は返す。当然の常識でしょう?」
「俺が何かしたっていうのかよ」
「すごくたくさんよ。あなたのおかげで無事に村まで来られたし、言葉がうまく通じない二人の獣人と武力衝突することなく別れられたんだから」
何より、ザハードを知る狐をエルナの掌中に収めることができた。この事実だけでも、この蜂蜜酒を渡すには十分すぎる。
「口に合うお酒だから、ホリあなた自身が飲んでもいいし、競売場に出してもいいわ。それなりの高値がつくはずよ」
「いやはや……こんな貴重なものを貰っちまったら、受け取らないわけにもいかないな」
困惑したような口調とは裏腹に、ホリはエルナが差し出した蜂蜜酒をしっかりと受け取っただけでなく、大切そうに抱え込んでいる。
その二面性が人間らしくもあり、どこか可愛らしかった。
「もし私の贈り物が過分だと感じるなら、自警団に戻って少し取り持ってくれるかしら? 私が何度も説明しなくて済むくらいならちょうどいいんだけど」
エルナの茶目っ気のある提案に、ホリは図々しい笑みを浮かべて返した。
「おや? これって買収工作ってやつか? こりゃあ、しっかり説得しねえといけねえな」
「それじゃあお願いね?」
「お嬢さんがどれだけ強いかはしっかり見届けたからさ、俺にできる範囲で最善を尽くしてみるよ」
「ふふ、ありがとう、ホリ。それでは私は宿に向かうわね。また後で会いましょう」
「ああ、あとでな」




