イオーラの敗北。
「教えて? お義姉様」
立ち竦むイオーラが、体の前で合わせた手をそっと握って、ウェルミィが問いかけてくる。
「私は、何をしたら良いの?」
体が触れ合うと、より強く感じられる。
ウェルミィの意志が。
煌めくような輝きが。
揺らぐことのない信念の強さに裏打ちされた、決意が。
ーーーウェルミィ……。
イオーラは、自分の負けを認めた。
ある意味でウェルミィを見くびっていたことを。
彼女の体が、輝くような朱色の燐光に包まれているかのように、ウェルミィという存在を支える意志が、その内側に満ちている。
精霊が、祝福しているように感じた。
世界を形作り、支える不可視の存在がウェルミィの意志に惹かれて舞い踊っている。
「貴女にお願いをするのは……これで二度目かしら?」
一度目は、結婚式の後に踊りに誘った時。
あの時のように手を取り合って、瞳を見つめて。
「やって欲しいことは、たった一つだけ……貴女が一番得意な、あの魔術を使って欲しいのよ」
それが鍵なのだ。
エイデス様に聞いた、ウェルミィが最大の力を発揮した状況。
それは、『語り部』が抑え切れなくなった瘴気に、イオーラが取り込まれた時。
『私のお義姉様をォ……ッ! ーーー返しなさいよ、このクソ野郎ッッ!!』
その、解呪の力。
【魔王】の瘴気すら跳ね除ける程の意志と魔力をもって、精霊を動かした力。
「戻ってきて……わたくしの、ウェルミィ」
イオーラは祈りを込めて、乞い願う。
その魂の内側から、自らを蝕む瘴気を吹き飛ばして、ウェルミィが目覚めることを。
すると彼女は、いつもの勝気な笑みと共に、応える。
「当然よ。ーーー私のお義姉様が望むなら、ウェルミィ・オルミラージュは全てを叶えるわ」
その瞬間、ウェルミィの全身から強烈な魔力が放たれる。
ミシミシと王城そのものが軋むような、凄まじい力の奔流が渦を巻き、精霊の歓喜の波動がそれに重なると。
オォォオオオオオォォォ……と、人ならざる音が夜会に集った貴族らの口から、放たれた。
ーーーウェルミィの魂を蝕む、瘴気の苦悶が。
「エイデス様!!」
人間を模していた瘴気がドロリと溶け落ち、黒い泥人形のような姿に変異してウェルミィに襲い掛かろうとするのを。
「……〝滅べ〟」
ゆらり、と姿を消すように動いたエイデス様が、瞬時にウェルミィの背中を庇う位置に姿を現して腕を振るう。
同時に、乾いて灰色に染まった瘴気の塊が、それこそ灰のようになって崩れ落ちる。
その体からは、普段の彼が放つ冷たい紫の魔力ではなく、禍々しく赤黒い魔力が放たれていた。
瘴気の影響から、『夢』の中で目覚めたウェルミィの意志を守っていたのは、エイデス様。
彼は……ウェルミィの為に、禁断の呪法に手を出した。
どうしてもそれが必要であったから。
ーーー目覚めて真実を知ったら、ウェルミィは怒るでしょうね。
エイデス様は、【魔王】と化すことを自ら受け入れたのだ。
そして、もう一人。
「ズミアーノ」
「言われなくでも、やってるよー」
エイデス様に声を掛けられた彼が、指の間に複数枚のトランプカードを挟んで、それを周りにばら撒くように投擲すると、一枚一枚が別々の瘴気の泥人形に突き刺さる。
すると瘴気が形を崩して、そのトランプの中に吸い込まれて行き、消滅させるとズミアーノ様の手にひとりでに戻っていく。
彼の瞳もまた、紅に染まっていた。
バルザム帝室に伝わる【紅玉の瞳】のような色合い。
その上、白目の部分が黒く染まっていた。
魔人王として覚醒したズミアーノ様は、楽しそうに舌なめずりする。
「【魔王】の瘴気の残滓如きがミィを持っていこうなんて、ホントふざけてるよねー」
ウェルミィの魂を傷つけずに瘴気を排除する方法は、他になかったのだ。
まずは、彼女自身の意志を目覚めさせること。
次いで、それを呑み込もうとする瘴気を彼らの力で誤認させること。
【魔王】と魔人王の存在によって、瘴気を『ウェルミィを喰らうな』と留めること……その表象として『夢』に現すのに適していたのが、『魔導省長としてウェルミィを追う魔導卿』という形だった。
そして最後の一つが、ウェルミィが解呪の力を行使して、瘴気を彼女自身の魂から引き剥がすこと。
「レオ!」
「任せとけ!」
イオーラが打った手は、まだある。
レオは、【聖剣の複製】を手にしていた。
「ふっ!」
紫髪を靡かせて一気に瘴気の泥人形に向かって踏み込むと、複数を同時に斬り伏せていく。
当然、聖なる力を秘めた剣は瘴気にとっては天敵である。
彼は動き回りながら、声を上げた。
「ゴルドレイ! クラーテスを!」
「ええ」
三叉の爪を両手に握り、クラーテス様に襲い掛かろうとする瘴気の泥人形を、近づけないように引き裂いていく〝闇の拳士〟に守られながら。
クラーテス様はその場で、いつものように柔らかい笑みを浮かべながら……彼もまた、朱色の燐光を放っていた。
「流石の僕も、娘に手を出されたら怒るよ。……それにこれでも、かつては神童と謳われたリロウド公爵家の元・嫡男でね」
半分白く染まっているけれど、義妹に良く似たプラチナブロンドの髪と、朱色の瞳。
「解呪の魔術なら、ウェルミィに負けないくらい得意だよ」
【魔王】の瘴気に風穴を空けた時の、もう一つの要素がある。
それが〝太古の紫魔晶〟を通して、力を重ねた『もう一人のウェルミィ』。
「返してね」
クラーテス様の解呪の力に精霊達が呼応すると、ついに瘴気の泥人形の動きが止まった。
ーーーここね。
「オレイア!」
「はい。ウェルミィお嬢様。……失礼ながら、魂に干渉させていただきます」
イオーラの後ろから姿を見せたオレイアは、瞳に紫の靄を纏わせて目を細める。
「去れ、瘴気ども。ーーーそして、主人の皆様方。そろそろお目覚めの時間です」
彼女の宣言と同時に、スゥ、と視界に映る景色が薄れて、遠ざかっていく。
この場に訪れた人々だけを残して混ざり合い、朱色の光と瘴気の漆黒が辺りを覆い、徐々に徐々に朱色の光が漆黒を押し返していく。
やがて頭上に白い光が見えて、イオーラはそれを見上げながら、ウェルミィに声を掛けた。
「戻りましょう。……お帰りなさい、ウェルミィ」
そして申し訳なさを感じながら、言葉を重ねた。
「わたくしのせいで、ごめんなさい」




