【第68話】帳面の外
永禄九年。秋の風が吹き始めた頃、粥場の列が短くなった。
最盛期には上限の百人を遥かに超える者が押し寄せ、あふれた者たちが林の中に居座っていた。その列が、七十人になり、五十人になった。翌日に回す者がほぼいなくなった。林の滞留者たちも、少しずつ散り始めている。焚き火の跡が冷え、藁の小屋が崩れたまま放置されている。人がいた痕跡だけが残っていた。
帳面の数字が、それを裏付けている。
粥場を開いてから、十月が過ぎた。冬を越え、春を越え、夏を越えた。その間、列が途切れた日は一日もなかった。受入人数は冬場に百人の上限に張りつき、春に一度減りかけたが、田植えの時期に信濃から再び人が流れてきて元に戻った。ようやく減り始めたのは、この秋になってからだった。信濃の村々に、今年の収穫が戻り始めたらしい。作柄が特別よいわけではない。ただ、去年が悪すぎたのだ。平年並みに戻っただけで、人が生きられるようになる。飢饉とは、そういうものだった。
蔵の消費を最終的に集計した。融通に使った米の総量は、十月で約三十石。月あたりに均すと三石ほどだ。受入を百人で抑え、一人一合の粥を守り続けた結果がこの数字だった。討伐案であれば、出撃費だけで同じ期間に四百石に達していた計算になる。
岡部に、この数字を見せた。
「三十石か」
岡部はそれだけ言って、帳面を返した。反論はなかった。十月の数字が語っているからだ。だが、岡部は最後にこう付け加えた。
「結果論だ。次も同じようにいくとは限らん」
その通りだった。十月の運営の中で、幸運もあった。冬場に疫病が出なかったこと、武田との間に衝突が起きなかったこと、粥場で流民と今川の領民の間に死者が出る争いが起きなかったこと。どれが一つ欠けても、帳面の数字は違うものになっていた。
この飢饉の間、他国では幸運とは程遠いことが起きていた。三浦からの報告や、遠州屋を通じて入ってくる情報を総合すると、越後の上杉輝虎は飢饉の最中にも関東への大規模な遠征を繰り返していた。自国に食がなければ、軍勢を他国に送り込んで現地で食わせる。略奪と呼ぶか兵粮調達と呼ぶかの違いだけで、飢えた国が外に兵を出すのは、この時代の冷徹な生存の知恵だった。越中にも出兵しているという。戦国の大名にとって飢饉は、戦をやめる理由ではなく、戦をする理由になる。
今川の近辺では、幸い、そこまでの争い事は起きなかった。三国同盟が生きていたからだ。武田も北条も、今川との境を荒らす余裕はなかった。だが、それが続く保証はどこにもない。
岡部の言葉は、いつも正しい。正しいが、今回は僕の案が通った。通った結果、米は三十石で済んだ。だが、薪、人足、兵の疲弊、粥場の外に残った者たちの始末は、石高には換算できない。帳面に載る数字だけが、粥場の全てではなかった。
粥場を畳むために、僕は砦まで出向いた。
釜を片づけ、板囲いを外し、兵が地面に線を引いて作った武器置き場の杭を抜く。流民たちが鋤や棒を置いて並んだ場所だ。十月の間に踏み固められた地面は、雨が降っても草が生えなくなっていた。
帰っていく者たちの顔を見ていると、来た時とは少し変わっている者がいた。頬に肉がついたわけではない。ただ、目が据わっている。十月、ここで粥を食い、列に並ぶことを繰り返した者たちだ。この秩序に慣れた者たちが、これから信濃に帰って、何をするのだろう。
そんなことを考えていた時、三浦がやってきた。
「畳むのは、いつ頃になる」
「あと十日ほどで受入を終える予定です。残った滞留者の帰還を確認して、砦の兵を通常配置に戻します」
三浦は頷いた。それから、少し声を落とした。
「全員が帰るとは限らんぞ」
分かっていた。粥場の列が短くなっても、林の奥に残っている者たちがいる。念仏の集団だ。彼らは飢えが収まりつつあっても、動く気配がない。
「あの者たちは、食えるようになれば去るだろう、と圭は言ったな」
「はい」
「食えるようになり始めている。だが、去らぬ」
三浦はそれだけ言って、僕を見た。答えを求めているのではない。事実を共有している。
僕にも、理由は見当がついていた。彼らにとって、ここは粥がもらえる場所ではなくなっている。仲間がいる場所になっている。念仏を一緒に唱える者がいて、子供を預け合える者がいて、食うものを分け合える者がいる。飢えが去っても、そのつながりは消えない。
信濃に帰ったところで、彼らを受け入れる村があるかどうかも分からない。流民になった時点で、元の村から弾き出された者も少なくないはずだ。
帰る場所がないから、ここにいる。
三浦が去った後、砦の兵から、別の話を聞いた。信濃に帰った者たちが、村々でこう言っているらしい。
「今川の殿様は、粥をくれた。おらたちの殿様は、何もしてくれなかった」
ただの噂だ。確かめようがない。だが、もしこれが事実なら、僕たちがやった融通は、武田の領民の心に妙なものを植え付けたことになる。今川はくれた。武田はくれなかった。その比較が、武田の殿様への不満に変わるとしたら。
それは僕の意図ではない。粥場は、飢えた者を生かすためのものだった。武田の民心を揺さぶるためではない。
だが、意図がどうであれ、結果は勝手に動く。
砦の門を出て、林の方を見た。
夕暮れの空の下、念仏の声が低く聞こえていた。前より人数が減っている。だが、声は小さくなっていない。むしろ、少人数になったことで、一人ひとりの声が重くなった気がした。
砦に戻ると、もう一つ報告が入った。
「掛川の方から、妙な話が流れてきております」
聞いた。朝比奈の領内で、今川の蔵から信濃の流民に米を出したことへの不満が出ているらしい。特に、今年の年貢を納めたばかりの百姓の間で、という話だった。
「自分たちが汗を流して納めた米が、よその国の者に食わせるために使われている」
そういう声だという。
事実としては、粥場に使った米は三十石で、今川領全体の年貢から見れば微々たるものだ。だが、数字の大小は、感情を鎮めない。自分の納めた米が他人に渡った、という感覚は、三十石でも百石でも同じ怒りを生む。
この不満がどこから出ているのか。百姓が自然に声を上げたのか、それとも、誰かがそう言わせているのか。
考えすぎだと思った。
だが、声が出ているのは、朝比奈の領内だった。




