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【第12話】銭勘定

雪斎に言いつけられた用事は二つ。墨と紙の調達、それと寺の銭の両替だった。


「市に出ろ。この銭を両替してこい、鐚銭びたせんが溜まりすぎた。ついでに紙と墨も買え。紙は杉原紙で良い。墨は安物でいい、お前の字にはもったいない」


最後の一言は余計だが、反論はしない。

見張りの小者はつかなかった。「逃げたければ逃げよ。だが、行く当てはなかろう」とでも言いたげだった。素性もわからない僕を一人で外に出す。これも雪斎の試練なのだろう。


臨済寺の坂を下り、駿府の市場に足を踏み入れた。

先日、雪斎に連れられて今川館を訪ねた時に通りかかった場所だ。あの時は雪斎の後ろを歩くのに必死で、街の中身を見る余裕がなかった。今日は一人だ。


市場は賑わっていた。魚を売る声、味噌を量る音、子供の泣き声。間口の狭い商家が道の両側に並び、軒先に品物を広げている。道端では古着売りが声を掛け、その横を荷を担いだ行商人が足早に通り過ぎていく。人の密度が寺の何倍もある。ぶつかりそうになりながら歩くだけで疲れた。

紙屋で杉原紙と墨を買い、次は両替だった。


紙屋の隣に両替商があった。店先では番頭が客の相手をしている。忙しそうだった。奥から、帳面を手にした娘が出てきた。


「いらっしゃい。両替?」


十五、六だろうか。商家の娘らしく髪をきちんと結い上げ、藍染めの着物の袖を肘まで捲っている。


「はい。寺の銭袋をそのまま預かってきたんですが、永楽銭と鐚銭がごちゃ混ぜになってまして。全部でいくらあるか確認して、鐚銭の分は永楽に替えてもらえますか」


「出して」


僕は雪斎から預かった袋から銭を台の上に広げた。


娘は手早く仕分けにかかる。永楽銭と鐚銭を一枚ずつ分けて山にしていく。その手が止まらない。

僕はごまかされないよう、頭の中で暗算を試みた。永楽銭三十一枚。鐚銭が五十七枚。比率四なら——。

僕が計算を終えるより早く、娘が手元の算盤を弾き終えていた。


「百八十一文。でも、この鐚銭のうち五枚は欠けがひどいから、値打ちを引かせてもらうよ。それからうちの手間賃。合わせて百七十五文。永楽銭で四十三枚と、端数の鐚銭が三枚。これでいい?」


一瞬だった。銭の質を見極め、相場を適用し、手数料を引き、即座に支払額を提示する。

僕は言葉を失った。頭の中の「181」という数字が、ただの机上の空論に思えた。これが本物の商人か。


「……文句はないです。その欠けた銭は銅の目方が足りません。お定めの相場通りに無理に同じ値打ちで通用させれば、誰もが良い銭をしまい込んで、悪い銭ばかりを支払いに使うようになる。悪貨は良貨を駆逐する、ですから」


「あっかは、りょうかをくちくする?」


娘が銭をまとめる手を止めた。僕の顔をまじまじと見る。

しまった、と思った。口にしてから、背中に冷たい汗が流れた。

明らかにこの時代の言葉ではない。中世経済史の知識が、ついそのまま出てしまった。


「……悪い銭と良い銭が同じ価値で扱われるなら、人は良い銭をしまい込んで、悪い銭ばかり使うようになる、という意味です。だから商人が悪い銭の価値を低く見積もるのは、理にかなっています」


娘はしばらく僕を見つめていた。

やがて、口角を少しだけ上げた。


「面白いね、あんた」


「え?」


「あたしたち商人が『なんとなく損しそうだから』でやってることを、そんな風にすっぱり言い切る人、初めて見たよ。『悪貨は良貨を駆逐する』か。うん、それ、いい言葉だ」


娘は腕を組み、小さく笑った。


「理屈は面白い。でも、それで銭が増えるかどうかは別だね。……けど、試す価値はある。なんか儲けの種になりそうだ」


「あんた、どこの人?」


「臨済寺の……雪斎様のもとで帳簿を」


「ああ、太原の御坊の。坊さんにしちゃ、銭の動きがよく見えてるね」


娘は藍染めの袖をまくり直し、僕に替えたばかりの永楽銭を差し出した。


「あたしは佐夜。うちはここで廻船と両替をやってる。父も兄も湊に出てるから、店先はあたしが見ることが多いんだ。ねえ、他にもそういう『理屈』を知ってるなら、今度教えてよ。商売に使えるなら、高く買うよ」


「高く、とは?」


「さあね。銭かもしれないし、耳寄りな話かもしれない」


佐夜は事もなげに言って、奥へ戻っていった。帳面を持った手を軽く振りながら。


寺への帰り道、紙と墨を抱えながら、僕は妙な高揚感を感じていた。

雪斎の前では、常に腹を探られているような息苦しさがある。だが佐夜は僕の正体など気にしていない。ただ、僕の知識が「商売に使えるか」だけを見ている。


歴史の教科書には載っていない、生身の経済。それを動かしている人間の熱を、僕は初めて肌で感じていた。


坂を上りながら、臨済寺の屋根が見えてきた。

寺に戻れば、また帳簿と雪斎の沈黙が待っている。それはそれで、嫌ではなかった。

今日から1日1話更新となります。

楽しみにしてくれている方、申し訳ありません。

またストックができたら、1日2話更新にしたいなと思っています。。。

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