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夫のパスワード  作者: 松山 さくら


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9.第二章 雅代 エピソード4

「お父さんと再会したときは、お母さん、それはもう、その場に倒れそうになるくらい驚いたけど、後から考えれば、雅代がお母さんの知らないところで、あれこれ動きまわってくれて、その場をセッティングしてくれていたんだと思うわ」

「えっ、どういうこと?」

 身を乗り出すように、多香子が訊いてくる。どうやら、雅代はそこまで深くは、話していなかったのだろうか。

「今だから話すけど、実は、お父さんも、雅代にお母さんのことを相談していたの」

「えっ、お父さんが雅代さんに?」

 私は、もう一度、リビングの夫の遺影に視線を向けると、「あなた、もう話してもいいわよね」と、心の中で投げかけた。

「実はね、高校生のとき、お父さんは、お母さんと雅代が友達同士だってことを知っていたのよ。雅代の部活が休みのときに、お母さん、たまに雅代と一緒に帰っていたから、それで知ったんだと思うけど……」

 私が、その後に話したのはこうだった。夫と、電車の中で仲良くなり始めた頃に、夫が偶然にも雅代を見かけて、相談したのだと言う。それは、私との交際を深めるには、どうしたらいいかということ。突然のことに、雅代は最初、驚いたようだったが、夫から事情を聞いて話を飲み込んだ雅代は、夫に遊園地、もしくは映画館に誘ってみてはどうかと提案した。その意味は、だいぶ後になってから聞いてみて私はすぐにわかった。どちらも、自然にお互いの距離を縮めることができる場所だったから。

 だけど、夫はなかなか私を誘おうとしなかった。いや、喉元まで出かかっていたのかも知れないが、あと一歩が踏み出せなかった。

 一向に深まらない交際にやきもきしていたのは、私だけではなかった。相談を受けて、アドバイスをした雅代もそうだった。夫から相談を受けていたことは、もちろん私には内緒にしていたが、雅代にしてみれば、私たちの交際を、どちらの立場からも眺められる位置にいたのだ。

 今、振り返ってみれば、当時の雅代は、私に対して随分思わせぶりなことを話していたと思う。

「好きな人ができたんじゃないの?」とか、「美由紀、最近、なんだかうきうきしてそうだよ」なんてことを。好きな人がいることは、雅代には黙っていたけれど、恐らく私のそわそわした態度を見ていて、それとなく私に探りを入れていたんだと思う。

 そんな雅代が、あるとき、私にこんなことを言った。

「ねぇ、美由紀、知ってる? あそこの遊園地をデートで訪れたカップルは、必ず結ばれるんだって」

 変なことを言うものだなと、そのときは聞き流したけれど、結果的にその言葉が私の頭の中にインプットされて、後々、私の口から夫を遊園地に誘うことになったのだけども。

 単なるジンクスのようなものだったかも知れないが、それからだいぶ時間が経って私たちは結ばれることになった。そういう意味では、雅代は、私たちの恋の立役者でもあり、恩人でもあった。

「へぇ、お父さんと雅代さんとの間に、そんなことがあったんだ。だから、お母さんたちが社会人になってから、再会するチャンスを作ってくれたってこと?」

「どうやらそうみたいね。合コンの後、お父さんのことを思い出して、気持ちが塞いでいた私のことを不憫に思ったのか、雅代からお父さんにかけ合ってくれたのよ。その頃、お父さん、大学の近くで下宿していたから、探し出すのは大変だったと思うけど。それから少しずつ、お父さんと連絡を取り合って、再びお父さんの気持ちをお母さんの方に向けてくれていたの。だから、雅代には、感謝しても仕切れないぐらいなのよ」

 そこまで話したところで、私は、リビングの掛け時計に目を遣った。すっかり多香子との話に夢中になってしまって、気がつけば時計の針が午後十時を指していた。

「あら、いけない。多香子、明日も学校でしょ。早くお風呂に入ってしまいなさい」

「うん、そうする」

 そう言って、多香子は、ゆっくりと立ち上がる。

「ねぇ、お母さん……」

 立ち上がった拍子に、多香子が訊いた。

「なあに、どうしたの?」

「今日は、お母さんたちの話を聞かせてくれて、ありがとう。私、お父さんがあまり話さない方だったから、わからなかったけど……お母さんたち、幸せな夫婦だったんだね」

「えっ、あっ、そうね。幸せな夫婦……だったわ」

 多香子が過去形で話したことが引っかかって、ぎこちない返事になってしまった。

「幸せな夫婦だった、かぁ……。あなたは、どうだった? 私は、あなたにとって、理想の妻になれたかな」

 そのままリビングのソファーになだれ込むように座った私は、戸棚の上の遺影に向かって呟いた。

 そこには、多香子の高校の入学式のときに写真館で撮ってもらった、家族写真の中の夫の穏やかな顔があった。


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