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夫のパスワード  作者: 松山 さくら


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2.第一章 美由紀 エピソード1

「美由紀、その後はどう? 少しは落ち着いた?」

 そう訊いてきたのは、高校時代の友人の雅代だった。こないだ交わした電話の中で、私の様子が気になったらしく、雅代が家に駆けつけてきてくれた。

「うん、なんとかね。手続き的なことは、全部、弟が代わりにやってくれたから……」

「多香子ちゃんだったかな、多香子ちゃん、お父さんを突然亡くしてしまって、落ち込んでいるんじゃないの?」

「うん……最近は口数が減ってしまったかな。私には話さないけど、多香子はお父さんが大好きだったから、結構堪えているみたい。今は学校に行かなきゃと思って、なんとか通っているけど……」

 雅代は、気を遣ってくれているのか、言葉と言葉の間に一呼吸おいて、話す言葉を選びながら話してくれている。

「そうなんだ……。多感な時期だもんね。寂しくない訳ないよね。そんな美由紀は、大丈夫なの? こないだも電話で美由紀、健一さんのことを思い出して、泣き出しちゃったから、私、心配なんだ。何か、力になれることがあったら、なんでもするから、遠慮なく言ってね。私たち、そんな遠慮をし合う仲でもないんだからね」

「うん……ありがとう」

 雅代が言ったように、雅代とは高校のクラスで一緒になってから、ずっと懇意にしてきた。それぞれ別の大学に進学してからも、連絡を取り合って会っていたし、お互いに結婚してからは、家族ぐるみとも言えるような付き合いをしてきた。

 だから、雅代をこの家に招くのも、これまでに幾度となくあった。まさに、この家の勝手を知っているといったところだろうが、リビングのソファーに腰かけながらきょろきょろとあたりを見まわしているのは、落ち着かないからだろうか。それとも、目のやり場に困っているからだろうか。

「ねぇ、美由紀、あのスマホって、健一さんが使っていたもの?」

 不意に雅代が視線を向けながら言ったのは、戸棚の遺影の前に置いていたスマホ。夫が使っていたものだったが、まだ解約をせずにそのままにしている。使わなくても毎月の費用がかかってくるので、近いうちに回線を止めないといけないのだが、夫の死を、まだ知らない知人から電話がかかってくるかも知れなかったし、夫が勤めていた会社から連絡が入るかも知れなかった。幸いにもそういった電話が入って、着信音が鳴ることはなかったのだが、あと少し、あと一週間だけと自分に言い聞かせて、回線をつないだままにしていた。

「うん、そうなんだけどね。なかなか解約しきれなくて……」

 雅代は、私が答えた言葉の意味を瞬時に理解したのか、眉毛をハの字にして、口角を下げた。

「そうだよね、健一さんが大事にしていたものだもんね」

「本当は、早く解約しないといけないとわかっているんだけど、なかなか踏ん切りがつかなくて、そのままにしているの」

 そう答えて、私も戸棚の上のスマホに視線を向ける。

「そっかぁ。そうだよね、もしも私が美由紀の立場だったとしても、同じことをしていると思う。もういいかなって思えるときがくるまで、そのままにしているかな」

 そう話しながら、何かにハッと気づいたように、肩を上げる雅代。

「でも、スマホの中に入っているアプリとかはどうしたの。今は、銀行の口座とか、何かの会員証とかも全部、スマホの中に入っているでしょ」

「うん……私も気になったから、スマホの中のアプリを開いてみたの。すでにID番号とパスワードが保存されているものは、そのままアプリの中に入って、退会とか解約の手続きをやったわ。でもね、中には、パスワードがわからないものもあって、まだ全部開いた訳ではないの」

 声のトーンが低くなったのは、実際にそうやってみて、私自身が困っていたからでもあった。夫がパスワードにしそうなものなら、いくつかは思いつく。夫の生年月日とか、銀行のカードの暗証番号とか……。結婚したときに話し合って以来、銀行のカードなんかは、私がまとめて保管していた。私は専業主婦だったので、その方が何かと便利だったから。

 だけど、アプリによっては、『パスワードは英数字何桁以上』とか、『大文字と小文字を混ぜて』とか、わざわざ指定している場合がある。思いつく限り試してみたが、どれも違って、アプリを開けなかった。几帳面な夫のことだから、どこかにそれらをまとめて記録しているかも知れないけど、残念ながら私はまだそれを見つけられずにいる。

 全国チェーンの飲食店の会員アプリや夫の会社の出退勤のアプリなんかは、そのまま放っておいてもよいかも知れないが、なんとなく気持ちが悪い。夫が大事にしていたものなら、夫に代わってちゃんと手続きを済ませたかった。

「そっかぁ……。いくら夫婦でも、互いのパスワードまではわからないよね……」

 どうやらこの話は、このあたりで行き詰まって終わりそうだった。

 それから、美由紀とは違う話をした。互いの子供の進路のこと、近所に新しいお店ができた話など。その方が、塞ぎがちな私にとって束の間の気分転換になったし、私に気を遣って遠慮気味に話していた雅代にとっても話しやすかったし。

「美由紀、あまり思いつめないでね。辛くなったら、いつでも話し相手になるから、遠慮なく言ってね」

 そう言い残して、雅代は帰っていった。その後ろ姿を見送りながら、私は、雅代がそばにいてくれて、本当によかったと思った。


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