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7.構内での遭遇

 父親は物心ついたころからいなかった。

 おれの母親が『髪切り』で、おれはその能力を受け継いで生まれてきた。


 姿は人間とほとんど違わない。

 異なるのは、人の髪に自然と蓄えられる霊力というか気というか生命力の欠片というか、そういうものを体内に取り込んで生きているということ。


 それは特別な人間に限らず誰の髪にでも大なり小なり蓄えられるものだけれど、どちらかといえば長くて手入れのされている髪のほうが良質な気が宿っていることが多い。


 ただ、自分の髪に宿る気ではだめなので、必ず誰か他人の協力が必要となる。

 それが問題だった。


 勝手に通りすがりの誰かの髪を切るのは犯罪だし、かといって誰彼かまわず自分の素性を明かすのは危険すぎる。


 変な奴と思われるくらいならいいけれど、今は光速で情報が飛び交う時代だ。

 下手をしたら、あっという間におれの写真つきでデマか本当かわからないような情報が流されてしまう。


 幸いだったのは、人間だけでなく妖怪の髪にもその気は宿るということだった。


 動物の毛ではダメだったから(『髪切り』という存在なだけに、対象が『髪』であるかどうかが重要らしい)、人型、もしくはそれに近い姿をした妖怪に限られてしまうけれど。


『髪切り』は、ひとりじゃ生きていけない妖怪だ。

 



 翌日はオリエンテーションだった。


 学部ごとに別れてそれぞれ大講義室で説明を受ける。


 おれが通うことになった山加外大学は総合大学で、医学部をはじめ理工農法文教育と多くの学部がある。


 とはいえ一年はどの学部も一緒に受講する一般教養の講義が多いみたいだから、八上と講義が被ることもあるかもしれない。


 そんなことより、問題は教科書代だった。


 高校でも教科書類は結構な量だったけれど、大学で必要な本の一覧を見て目玉が飛び出しそうになった。

 一冊一冊がばか高い。

 全部揃えようと思ったら、貧乏学生にとってはしゃれにならない金額が飛んでゆく。


 とりあえず最低限必要そうなものだけ最初に購入して、あとはアルバイトの給料が入ってからだな、と算段をつける。


 とはいえまだバイト先すらみつかってない状態なので早く見つけないとまずい。


 手袋をしたままでも働けるような仕事は果たしてどのくらいあるのか。


 結局、スマホでアルバイト情報を調べているあいだに、オリエンテーションは終わっていた。

 めぼしいバイト先は見つからなかった。


 仕方ない、地域のアルバイト情報誌も見てみるか……。 


 講義室を出る学生の波が一段落したのを見計らって、腰を上げる。


 せっかくだから図書館でものぞいてみようかな、と思い立つ。

 さっき配られた学内の地図を眺めていて、駐輪場のすぐ傍の建物が図書館だったと知った。


 特に本が好きと言うわけではないけれど、時間ができれば本を手に取る程度には嫌いじゃない。


 ついでに生協に寄ろう。

 学生は生協で本を買えば、定価よりも少し安く買えるらしい。


 法学部棟を出てセンター棟へ向かう。

 その二階に生協の書店が、地下一階に売店がある。


 ひとりでキャンパスを歩きながら、他人との間隔にほっとする。


 高校と比べると密集度が全く違う。

 学生の数は多いけれど、それ以上にキャンパスが広いから、人と触れるか触れないかの距離でびくびくしながら移動する必要がない。


 通学も自転車でできるので、通勤ラッシュの電車に乗る必要もない。


 このくらい周囲と間合いがとれると、精神的にもゆとりがもてる。


 キャンパスには木が多く、春の陽気の中、ゆっくり散歩気分で歩くと心地いい。

 満開の桜がずらりと続く桜並木を歩いていると、並木のあいだをすっと横切る人影があった。


「あっ!」


 その姿を見て思わず声を上げる。


 白い肌に整った横顔、そして背中まで届く黒髪。

 駅で見た、あの子だ。


 せっかくきれいな桜が咲いているというのに、少女はわき目もふらず俯いたまま足早に歩いてゆく。

 おれは、今度こそ見失わないようにと、急いであとを追う。


 女の子はチェックのワンピースにブーツという可愛い服装で、茶色のショルダーバッグの肩ひもをぎゅっと握っている。


 思わず足下を確認したけれど、そこにはしっかりと影ができていて、ああ幻や幽霊じゃなかったんだとほっとする。


 その瞬間だった。


 脛にズキッと痛みがはしり、驚いて立ち止まる。

 見るとどこから現れたのか、蛇のようなものが脛に噛みついていた。


「うっわぁぁぁぁ!」 


 驚いて悲鳴を上げつつ、ボールを蹴るときの要領で足をぶんぶんと振る。


 何度かそうしたところでいよいよ耐えられなくなったのか、噛みついていた生き物は脛から離れ、丸まって近くの茂みへくるくると飛んでいった。


 い、いったいなんなんだ、今の。


 戻って来ると怖いので茂みのほうへと警戒を怠らないまま、噛みつかれたところがどうなっているか確認する。 


 ズボンの裾には二か所ほど小さく凹んだ箇所があるけれど、穴が開いてはいなかった。

 恐るおそるめくり上げると、脛にもふたつ、てんてんと小さな痕がついている。


 内出血はしているようだけれど、皮膚を破るほどの怪我ではなかったようでほっとする。


 あれが毒蛇とかだったら、命に係わるかもしれないところだった。


 やれやれと深く嘆息してから、はっと女の子のことを思い出す。

 慌てて周囲を見渡すけれど、もちろんもう彼女の姿はどこにもなかった。


 また、見失った。


 でも、彼女もこの大学の学生だとしたらまた会えるかもしれない。

 なんの手がかりもなかったこれまでと比べれば、一歩前進できたような気がして、嬉しくなった。

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