表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
53/57

53.お別れ

「はい。そしたら背中をこっちに向けてもらっていいですか?」

「こう?」


 くるりと東風さんが背を向けると、東風さんの栗色のふわふわした髪と一緒に、ひと房の透明な後ろ髪もさらりと揺れる。

 透明なのに確かにそこにあるとわかるのは、改めて考えると不思議な感じだ。


 重さは感じない。

 後ろ髪は、なにかに絡まる時にはどこまでも伸びるけれど、ほどけた時には地面に届くかどうかの長さまで短くなる。


 おれたち髪切りに見える後ろ髪とは、そういうものだ。


 おれは濡れてしまった手袋の代わりに巻いていた包帯をはずした。

 さらさらと揺れる透明な髪をじっと見る。


 ここだ。


 すっと、指を薙いだ。  


 ふわりと、自由になった後ろ髪が舞い上がる。


 ずん、と急激に両肩にかかる疲労を押し隠して、おれは東風さんに声をかける。


「もういいですよ」

「終わったの?」


「ええ。なんてことないでしょう。ほんの、おまじないです」


 切り落された後ろ髪が、黄泉への道を浮き上がらせる。 

 庭から空へと伸びる坂道。


「この道を歩いてゆけば、無事着けます」

「さいごまでありがとう」

「やりたくて、やってることですから」


 それじゃあ、と東風さんが坂道へ一歩を踏み出す。

 するすると上ってゆく後ろ姿を見送っていると「お母さん!」という声が聞こえた。


 見ると二階の部屋からこなたちゃんが身を乗り出している。


「こなた……」

「お母さん! お母さん!」


「元気でね、こなた」

「お母さん、行かないでぇ。行かないでよぉ」


 こなたちゃんの目から大粒の涙がこぼれていた。

 いつもの大人びた口調とは違う、子どもらしい口調で叫ぶ。


 一瞬東風さんが足を止め、それからめいっぱいの笑顔で微笑んだ。


「ありがとう、こなた。でも、さよならよ」


「いや。いやだぁ。やっぱりいやだよ。大丈夫なんてウソだよ。だからお母さん帰って来て。ずっとこなたと一緒にいてよ。運動会で踊るダンス、めちゃくちゃ練習してるんだよ。それに学芸会ではお芝居をやるよ。こなた、がんばって主役狙おうかな。誕生日プレゼントも、クリスマスプレゼントも、お母さんがいてくれたらそれでいい。お年玉もいらない。春になったら中学校の制服着て見せてあげる。だから……だから行かないでぇ!」 


 うわぁぁぁぁん、というこなたちゃんの鳴き声が胸をえぐる。


 そうだよな。まだ小学生だもんな。

 もっともっと、お母さんと一緒に話をしたり、でかけたりしたかったよな。


「ごめんね。でも、お母さん、こなたのお母さんでよかった。一緒に暮らした十一年半、とってもとっても楽しかったわ。こなた、生まれてきてくれてありがとう」


 ばいばい、と東風さんは手を振ると、再び坂道を歩きはじめる。


「おかあさん、おかあさん、おかあさあぁぁん」


 もう、こなたちゃんが呼んでも振り返らない。


「おかあさん、おかあさん、おかさぁん……、おかあさ……」


 ううぅ……とこなたちゃんが俯く。


「こなたちゃん」


 名前を呼ぶと、こなたちゃんが庭にいるおれに気づいた。

 うん、とおれはこなたちゃんの目を見つめながらひとつ頷く。


 こなたちゃんは、わかってるはずだ。

 ゆかちゃんをきちんと笑顔で送れたんだから。 


 はっとしたように瞬きをすると、こなたちゃんはがばっと顔を上げた。 



「お母さん!」


 東風さんはやっぱりもうこなたちゃんを見ない。それでも。


「お母さん、わたしからもありがとう! ありがとうお母さん。ごめんなさい!」


 東風さんは振り向かないまま、軽く手を上げた。


「ありがとう!」


 そのまま東風さんの姿は朝の光の中に消えていった。


 東風さんの姿が見えなくなるのと同時に、うっ、うっ、とこなたちゃんの鳴き声が降ってきた。騒ぎに

気づいた大家さんが、こなたちゃんを抱き占めているのが見える。


 おれは大家さんに一礼して、自分の部屋へ戻った。  


 部屋に一歩踏み込んだところで、そのまま床に倒れ込む。


 ああ、終わった。


 一度倒れてしまえば、もう体をぴくりとも動かすことができなかった。


 意識が朦朧としてくる。


 それでも、東風さんをきちんと送ることができてよかった、と思う。


 後悔はしてない。

 ただ……。


 天音さんの顔が瞼の裏に浮かぶ。


 大和くん。


 天音さんがおれを呼ぶ声が耳に甦る。


 もしこのまま起き上がれなかったら、ごめん。


 ずっと一緒にいたかったけど……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ