50.父さんのこと
母さんは、不慮の事故で亡くなった。
街で見かけた死者を、黄泉路へ導こうとしていたらしい。
最終的に母さんはその死者を送った。
けれどその際、誤って橋から転落してしまった。
「夜霧には夜霧の考えがあった。悔いてはいなかっただろう」
キヨの言うとおり、母さんは後悔していなかった。
ただ、こんな形でおれを残して逝くことだけが心配だと、そればかり口にしていた。
「キヨと母さんは、どんな関係ですか? もしかして……」
おれは父さんを知らない。
生きているのかどうかも聞かされていない。
妖怪だということだけは知っているけれど、おれは父方の性質を受け継がなかったから、どんな妖怪だったのかもわからない。
――でも。
おれが危ない時、キヨは助けに来てくれた。
自分の髪をおれに与えてもくれた。
キヨの髪を食ったあと、体の中が燃えるように熱くなった。
人間の髪を食っただけではあんなことにはならない。
キヨが天狗だとわかった今なら、あれは強大な力をもつ妖怪の髪だったからだとわかる。
『必ず大学に行くのよ。そのあとのことは自分で決めればいいわ。あなたの一生だもの。あなたがどんな選択をしても、あなたの自由よ。でもね、狭霧。わたしを送ったあと山加外に行くことだけは約束してほしいの』
母さんのその言葉を聞いた時、新しい環境で暮らし始めておれの気が変わることを期待しているんだろうと思った。
その時のおれはもう、母さんを送ったあとは髪を食わないと決めていたから。
母さんはそのことに気づいていた。
けれどそれだけじゃなかった。
母さんはきっと確信していたんだ。
山加外に来れば、おれが簡単に死を選ぶことはないって。
ここにはおれの存在を受け容れてくれるひとたちがいる。
その中におれの父さんがいるからこそ、母さんも安心して旅立てたんじゃないか?
「冗談はよせ。俺は子どもなんてもった覚えはねえぞ」
けれどキヨは速攻でおれの予想を否定した。
「でも、母さんは……」
「おまえの父親が山加外を離れる時、あとを任された。その縁で夜霧とも知り合いではある。ただそれだけだ。俺の目の届くところでおまえに死なれたらあとでおまえの父親に文句を言われるだろう。俺はそれが鬱陶しいだけだ」
「おれの父さんは、生きてるんですか?」
「ああ、元気だろうさ。おまえの前に姿を現さねえのは事情があるからだろうが、案外近くでおまえの成長を見守っていたんだろうと思うぜ」
お、酒がなくなっちまった、とキヨが空の徳利を片手に腰を上げる。
お酒ならわたしが、と腰を上げかけた天音に「めったに会えねえんだ。思う存分梨花に文句を言っとけ」と言い残して、キヨは八上たちのいるほうへと歩いてゆく。
「キヨ!」
「なんだぁ?」
「ありがとうございました」
呼びかけに応え振り返ったキヨに、深く頭を下げて感謝を伝える。
「へっ。礼には及ばねえよ。言っただろう。おまえのとーちゃんに文句言われるのが鬱陶しいだけだってな」
それでも、おれを助けてくれたことに変わりはない。
「ただし甘えんなよ。俺がおまえを助けるのはこれで最後だ。おまえのとーちゃんかーちゃんへの義理はもう充分に果たしたはずだ。ここからは、おまえが生きようが死のうが、俺の知ったこっちゃねえからな」
キヨの台詞に、ぎくっとして顔をあげる。
いざという時はまた助けてもらおう、なんて甘いことを考えていたのを見透かされていた。
覚悟を決めろ、ということだ。
「……はい」
おれは決めないといけない。これからどうするのかを。




