48旅立ち
今、おれの前にはゆかちゃんがいる。
ゆかちゃんの後ろ髪はほどけた。
このままでも旅立てる。
けれど後ろ髪は長く、またどこかでなにかに引かれてしまうかもしれない。
そうすれば、ゆかちゃんはまた足を留めてしまうことになる。
できることなら、断ってあげたい。
でも後ろ髪を断つというのは――触れられないものを断つというのは、集中力を要し、更にかなり体力を消耗することだった。
消耗すれば、髪を食わなければ動けなくなるかもしれない。
悩んでいると、どこかから「おーい」という声が聞こえた。
見れば、尋さんと八上が砂浜を駆けてくるところだった。
その横をころころと転がっているのは、丸まったつっちーだろう。
「よかったわね、見つかって」
「こなたの家には連絡入れといたからさ」
「ぜえ、ぜえ、わしがキヨを呼びに行ってやったんだぞ、ぜえ、感謝するがいい」
一気ににぎやかになる。
「みんな、こなたのこと心配してたんだね」
ゆかちゃんが、眩しそうな目をする。
「ええ、とても優しい人たちなの。ゆかと同じよ」
穏やかに話すふたりを見ていると、胸が熱くなってくる。
と、ぽんと肩を叩かれた。
「天音さん……?」
「大丈夫だよ」
「え?」
「思うとおりにすれば、いいよ。ここにはみんなもいるし、わたしもいるから。あとのことは、わたしに任せて。どーんと」
天音さんにはゆかちゃんが見えていないはずなのに、おれがなにを視ているのかわからないはずなのに、おれが悩んでいることに気づいていたようだ。
どーん、と天音さんが自分の胸を叩いた。
その動きが、浴衣の着付けはわたしに任せて、と言った時の梨花さんの動きとそっくりで、血はつながっていなくても親子なんだな、と感じる。
「うん。そうだね」
やる前から心配していても仕方がない。
今は、ゆかちゃんを気持ちよく送ってあげたい。
それに、天音さんの言うとおり、ここには仲間がいる。
キヨもいる。
あまり頼みたくはないけど、どうしても動けなくなったらキヨに髪をもらおうか。
もう髪は食べない、その時が来たら死ぬだけ。
そう思っていたはずなのに、今は、できることならまだみんなといたいと、そう思うようになっている自分に気づく。
女の子の髪を切るくらいなら、まだキヨのほうがましだ。
本人は髪が短くなっても全く気にしていないようだし。
そんなことを考えていたら、本当に大丈夫な気がしてきた。
お別れをしているふたりにゆっくりと近づく。
「ゆかちゃんがちゃんと目的地にたどりつけるように、おまじないをさせてもらってもいいかな?」
「おまじない?」
「そう。迷わないおまじない」
うん、とゆかちゃんが頷くのを確認してから、おれは右手の手袋をはずした。
そして後ろ髪をじっと見つめる。
断つべきところとタイミングを見極める。
今だ、という瞬間、揃えた二本の右指を横に一閃させた。
さらり、と触れられないはずの髪が、ゆかちゃんから切り離される。
切り落された後ろ髪が風にさらわれ、夜の海へと消えてゆく。
「さあ、いいよ。これでもう、ゆかちゃんは迷わない。こなたちゃんと笑顔でお別れしたゆかちゃんのまま、旅立てる」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「どういたしまして」
おれも笑顔でゆかちゃんを送りたい。
疲労感がずしりと肩にのしかかってくるけれど、気持ちはすっきりしていた。
ゆかちゃんとこなたちゃんが、再び向かい合う。
「それじゃあ、こなた」
「うん、ゆか。また、いつかどこかで」
いつかどこかで。
その言葉を聞いて、ゆかちゃんが目を瞠った。
そしてふわりと、とても嬉しそうな笑顔になる。
「いつか、どこかで。それまで、ばいばい」
「ばいばい」
飛んでいった後ろ髪を追うように、すうっと、ゆかちゃんの足元から海へと光の道が伸びた。
手を振って、ゆかちゃんはゆっくりとその坂道を上ってゆく。
やがてゆかちゃんの姿は見えなくなり、光の道も闇にまぎれて消えた。
それを見届けてから、おれはがくりと砂浜に膝をついた。
限界だった。
「大和くん!」
「ごめん。少しだけ、休ませて……」
本当は、こなたちゃんをちゃんと家まで送り届けないといけないんだけど、これ以上は立っていることすらできそうになかった。
あとのことは、申し訳ないけれどみんなに任せてもいいかな。
天音さんの言葉に甘えさせてもらうことになるけど。
梨花さんもいるんだから、きっと大丈夫だろう――。
そこまで考えたところで、おれは意識を手放した。




