39.契約の終わり
八上を待つあいだ、周囲をもう一度捜したけれど、やっぱり尋さんとつっちーを見つけることはできなかった。
今頃、砂浜で花火を見上げて笑っているのならいいけど。
同じ花火会場周辺にいただけのことはあって、八上とはすぐに合流できた。
ただし八上の契約彼女も一緒だった。
事情は電話で大まかに説明してある。
「八上は尋さんと同じゼミの三人組って知ってるか?」
「尋とは学部もちげーし、よくわかんねーんだよな。尋からゼミの話なんて聞かねーし」
「ちょっと恙くん、どういうことなの?」
八上がおれと話をしていると、八上の腕にくっついてきた彼女が険しい顔で割って入ってきた。
「だから急用だって言っただろ。悪いけど、今日はもうつきあえねー。その代わり来週の花火はぜってー一緒に行くから」
「そういう話じゃないわ」
「じゃあどういう話だよ」
「契約を破棄するのかどうか、っていうことよ」
「おまえ……」
八上が息を呑む。
彼女は、真っ直ぐに八上の目を見上げている。
「今日はわたしと花火を見る。そういう契約よ。ちょっと用ができたからまた今度、なんて通用すると思うの?」
強い口調。揺るがない態度。
でも、彼女がそっと自分の首へ触れたその手が微かに震えていることにおれは気づいてしまった。
「契約よりも大事なことがあるというの? わたしはそんな価値のない薄っぺらな契約には意味を見いだせないわ」
八上が口を開いてなにかを言おうとしたその時「天音ー、恙ー、狭霧ー!」と名前を呼ぶ声が聞こえた。
「つっちー!!」
「尋と一緒じゃないのか? 尋はどうした? 大丈夫なのか!?」
ころころと転がってにゅるんと人の姿になったつっちーが、ぜえぜえ息を吐きながら恙にしがみつく。
「尋のあんぽんたん、酒飲まされてるぞ。廃ビルの屋上で花火見ながら酒盛りだ、とか言ってたけど、あんなところで寝ちまったらどうなるかわらないぞ。わし、人ごみではぐれたふりをして元の姿に戻って、尋の袖に忍び込んでついてったんだ。おまえに場所、教えてやらないとと思って」
「よくやった。それで場所は? どこの廃ビルだ?」
「ここから東に走った海の近くだ。体育館を過ぎたところのガソリンスタンドを北へ曲がって、最初の歩道橋の前」
「結構あるな。つっちー、一緒に来てくれ」
「いいぞ」
「狭霧、バイク借りていいか?」
「もちろん。バイクは社務所裏に停めたままだから」
おれはバイクの鍵を八上に手渡した。
すぐに駆け出そうとした八上が、はっとしたように彼女の顔を見る。
「――ごめん。契約は、解約しよう。来週の花火には一緒に行く。それが最後……」
「その必要はないわ。今ここで終わりにしましょう」
「でもそれじゃあ……」
「わたしがいいと言っているの。あなたのことも、そこの小さなお友だちのことも、誰にも言わないから安心して。さようなら、恙くん。さっさとどこへでも行ってしまって」
「……すまない。ありがとう」
八上がつっちーを従えて神社へと走ってゆく。
その姿を見送る彼女の瞳から、つうっと涙が流れた。
ドーン、とひときわ大きな花火が、空に咲く。
「恙くん、一度もわたしのこと名前で呼んでくれなかったのよ……。契約で恋人のふりをしていただけだったんだから、仕方のないことかもしれないけれど。それでも、一度くらい、名前を呼んでもらいたかったな……」
なんと言ったらいいのかわからず、おれはただ黙って立っていることしかできなかった。
きっと、この人は八上のことを好きだったんだと思う。
ちゃんと、好きだったんだと思う。
でも、だからこそ、きっとわかってもいたんだ。
八上には大事な人がいるって。
だからこの人は八上と、恋人になる、ではなく、恋人のふりをする、という契約を結んだ。
それはこの人の良心だったんじゃないかな。
「騒がせてごめんなさい」
そう言って、彼女は人ごみの中へ消えて行った。
首の付け根――ちょうど八上が牙を立てたあたりにそっと触れたままで。




