35.宮司の帰還
町内をまわり終わった神輿が次々と境内に戻って来る。
おれと八上は子どもたちに菓子袋を渡したり、大人たちに社務所へ寄って休んでいってくれるように伝えたりと一気に忙しくなる。
社務所では氏子のご婦人たちが大忙しだろう。
露店には行列ができ、広い境内も人であふれかえっている。
以前のおれだったら、絶対に、こんなに大勢の人が集まる場所には近づいていないはずだ。
今でも、突然人とぶつかるとぎょっとする。その都度、自分の右手を確認してしまう。
それでも、以前ほど抵抗なく人の多い場所にいられるようになった。
大学の講義、サークルのメンバーとの日常のやり取り、それにバイトでの経験から、少しずつ人間の中にいる感覚に慣れてきているんだと思う。
手袋さえきちんとはめていれば大丈夫。
呪文のようにそれを繰り返し、頻繁に手袋の存在を目視で確認してしまうけど、恐怖に我を忘れてしまうようなことはなくなってきた。
法被を回収したり、誘導したりが一段落した時、神職さんっぽい装束姿の女性がこちらへ向かって歩いてくるのに気がついた。
巫女さんが着るような緋袴じゃなくて紫の短袴をはき、華やかな赤い表衣を身につけている。
「こんにちは。ようやく会えたね、狭霧くん」
「えーと、あの……」
おれの名前を知ってる? けどおれのほうには全く心当たりがない。
「梨花さんいつ戻って来たの? 昨日はいなかったでしょ」
「今朝よ、今朝。もうぎりぎりで疲れちゃったわ~」
八上が親しそうに話しかけると、梨花さんも笑顔で応えている。
梨花さん、という名前には聞き覚えがあるような気がする。いったい誰だったっけと記憶を漁ってたどり着いたとき「あ」と思わず声が出た。
「オーナー?」
でも、その服装はどう見てもコンビニのオーナーのものじゃない。
「あ、ちゃんと覚えてたのね~。偉い偉い。そ、わたしがアミーガのオーナー兼山加外神社の宮司兼こなたの伯母兼天音の養い親の梨花です。会うのは初めましてね」
にっこりと笑う梨花さんは、天音さんによく似たからすの濡れ羽色の、きれいな黒髪の女性だった。
すらりと背が高く、神職の装束がよく似合っている。
こなたちゃんの伯母さんということは東風さんよりも年上なんだろうけれど、この姉妹はどちらも年齢より若く見える。
天音さんとは血がつながっていないとはいえ、そのくらいの年の子どもがいてもおかしくない年齢なんだろうけれど、親子どころか姉妹でも充分通用する。
「は、はじめまして。あの、いろいろとお世話になってます。本当に、いろいろと……」
アミーガで雇ってもらったこともそうだし、天音さんやこなたちゃんにもお世話になってるし、そもそもこなたちゃんの伯母さんってことはあのアパートの大家さんの娘ってことで、もうなんだかいろいろありすぎて数えきれないけど、とにかくお世話になりまくりだってことだけははっきりしている。
「あはは。いーのいーの、気にしないで。こっちも狭霧くんにはお世話になってるんだからお互い様よー。みんなで仲良く平和に暮らせたらそれが一番よ!」
梨花さんが大きな口を開けてからからと笑う。
つられてこちらも思わず笑ってしまうような、惹きつけられる笑顔だ。
「はぁ、そう言ってもらえると助かります」
どう考えてもおれのほうが何倍もお世話になってるわけだけれど、梨花さんの言葉に甘えさせてもらうことにする。
「そういえば、祭りの手配丸投げされて、キヨさんすげぇ疲れてたぜ」
「うん知ってる。朝、引き継いだ時、さんざん愚痴られたもん。今度美味しいものでも食べさせてあげないと、ふてくされて留守番してくれなくなっちゃうかも。やばいね」
「それはやばいな」
やばいやばい、とあんまりやばくもなさそうにふたりで笑っている。
梨花さんがいると、それだけで場の雰囲気が明るくなるような気がする。
「ふたりとも今日はありがとねー。尋が手伝うって言ってくれて助かったわ。あ、授与所は日暮れで閉めるし、あなたたちも同じくらいには上がっちゃってね。それなら花火に間に合うでしょ? 女子の浴衣の着付けはどーんとわたしに任せてね!」
どーん、と梨花さんが胸を叩いていると、遠くから「宮司さーん」と呼ぶ声が聞こえた。
「はーい。じゃ、またね」
返事をしてからこちらに小さく手を振る。
「はい、また」
浅沓では走るわけにいかないんだろう、早歩きで梨花さんが去ってゆく。
「相変わらず忙しそうだなぁ、梨花さん」
去ってゆく後ろ姿を見送りながら八上が呟く。
「そういえば、オーナー……梨花さんって今までどこでなにしてたんだろ?」
「あー、まあ、いろいろじゃねー?」
「いろいろじゃあよくわかんないけど……」
「あの人、四六時中動き回ってるから、おれらにもよくわかんねーんだよなぁ」
梨花さんは青年会の人たちとなにかを話しているようで、からっとした笑い声がここまで届いていた。




