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31.あやかしの性

「尋さん……」


 走り去った尋さんを追いかけるべきか、と迷ったけれど、おれが追いかけても意味がないような気がして八上を振り返る。


「八上……?」


 八上が女の人の髪に顔を埋めたまま、目だけを上げてこちらを見ていた。

 その瞳の鋭さに、思わずぞくりとする。


 おれに、おれたちに気づいていたのに、続けるつもりなのか?


 どういうつもりなのか、と困惑するおれを前に、八上は女の人の髪を束にして無造作に掴んだ。

 女の人の白い首筋が露わになる。


 八上の目が、見ていろ、と言っているように思われて、おれは動けなくなる。


 次の瞬間、八上が女性の首に、噛みついた。


「いぃぃぃぃぃっ!!」


 女の人が悲鳴を上げる。

 八上は噛みついたまま女の人の背を木の幹に押しつけると、その口を手で塞いだ。


 八上の背に回された女の人の爪が食いこんでいるのか、シャツに皺が刻まれている。

 それでも八上はやめない。


 離れているのに、ごくごくと八上の喉の鳴る音が聞こえるようだった。


 恙は人の血を吸う。

 それはおれが人の髪を食べるのと同じように、恙としての性。


 だけどこれは……。


 まさか殺してしまうことはないと思うけど、相手の人があまりにも苦しそうなので、止めるべきなんじゃないかと迷う。


 でもこれが、恙にとって生きるのに必要なことなら、口を出すべきじゃない。


 おれが人間だったら、止めていたと思う。

 けれど妖怪には……妖怪には、それが傍から見てどれだけ普通でなくても、生きるために必要な行為のある場合がある。


 それをやめろというのは、死ねと言うのと同じだ。


 結局、おれはなにもできなかった。


 やがて女の人の体から力が抜け、ずるりとくずおれるのがわかった。

 八上がその体を受け止め、そのまま地面へ座り込む。


「悪かったな」


 どうしたものかと思案していたおれに向かって、八上が声をかけた。


「どうして……」

「知ってもらう、いい機会だと思ってさ。もう何百年と吸ってきてるんだ、殺すようなヘマはしないから安心しろよ」 


 ふたりに近づくと、女の人は八上に体を預けて気絶していた。

 八上はその人の頭を、そっと優しく撫でている。


 近くで女の人の顔を見て、入学式に八上が声をかけていた女子学生だと気づく。


「この人が、八上の彼女?」

「彼女、っていうか、まあ、俺に血を吸わせてくれる人」


「彼女じゃないのか?」

「なんだよこだわるなぁ」


「こだわっちゃダメか?」

「まあいいけど。単純に言えば、この子は俺の事情を知ってて、血を吸ってもいいって言ってくれた人。ただし俺がこの子の彼氏としてふるまうことが交換条件。双方合意のもとに交わされた契約ってわけだな」


「話したのか? 自分が妖怪だって」

「妖怪だとは言ってない。ただ血が必要だって言っただけだ。大抵、勝手に吸血鬼かなにかと勘違いしてくれるから、あえて本当のことを説明したりはしないけどな」


 そういうやり方もあるのか、と驚く。


「それでも、恙が吸血鬼だって噂がたったらどうするんだよ?」

「そうならないように一応相手は選んでるって。交換条件の内容にだって誠心誠意対応してる。そうすれば、厄介な問題には発展しねーもんだよ、だいたいはさ」


 そんなものなのかな、と漠然と思うことしか、おれにはできない。

 けれどそうやって何百年も生きてきた恙が言うのなら、そうなのかもしれない。


「あっ! てことは、八上はこの人に特別な感情はもってないってことか?」

「特別っていうか……感謝はしてるし、いい奴だと思ってるけど?」


「それだけ?」

「だけ、って他になにがあるんだよ?」


 八上が肩を竦めてみせる。その動きは少しわざとらしくて、本当はおれがなにを言いたいのか気づいているんじゃないかと思う。


 けど、とぼけるつもりなら、おれが言うしかない。


「さっき、尋さんが! 尋さんが八上たちを見て、それで……」

「ああ、知ってる。あいつは放っとけばいいさ。見られるのは、これが初めてってわけでもねーし」  


「でも、きっと勘違いしてる」 

「してねーよ。あいつは俺を正しく理解してる。何百年のつきあいだと思ってんだよ」


「でも……」


 でも、さっきの尋さんの顔は、ちっとも納得できている風じゃなかった。


 けれどこのふたりのあいだにはおれなんかが知らない何百年かのつきあいがあって、そのあいだにはおれの知らないことがきっとたくさんあって、だからおれはこれ以上なにをどう言えばいいのかわからなくなってしまった。


「まあ、そういうわけで、俺はこいつが目ぇ覚ましたら家まで送ってくっから、それ持って先に行っといてくれよ」 


 八上がそれ、と目で示したところには、アミーガのビニール袋に入ったペットボトルが置かれていた。


「戻って来るのか?」

「戻らねえと、尋の奴がうるさいからな」


「尋さん、戻って来ないかも」

「あいつはこの程度で、大事なことを投げ出したりなんかしねーよ」


 そう言う八上の顔は柔らかくて、尋さんのことを信じてるんだってことが痛いほど伝わってきた。

 おれは複雑な思いとアミーガのビニール袋を抱えて、社務所へと戻った。   

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