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21.先輩の荒っぽい訪問

 発熱から一週間。


 空はすっかり晴れていて、風邪もすっかり治ったはずなのに、おれは部屋から出られずにいた。


 せめてバイトだけは行かないと。

 行って、日野さんに迷惑をかけたお詫びと差し入れのお礼を伝えないと。


 そう思うのに、どうしても出られない。


 気づけば、ぼんやりと自分の右手を眺めている。


 おれのこの特性は、母さんのものをそのまま受け継いでいる。

 母さんだって自分の右指には苦労させられたはずだ。


 それなのに、母さんはいつも笑っていた。


 誰とでも楽しそうに会話をして、仲良くなっていた。


 いろんなことを知っていたし、いろんなところにおれを連れて行ってくれた。


 父親はいなかったけれど、それが寂しいとは思わなかった。

 寂しいと思う隙がないくらい、母さんの笑顔でおれたちの暮らす家は満たされていたから。


 けれどおれは思うんだ。


 母さんは、おれを産んで幸せだったのかな、って。

 おれのせいで苦労ばかりさせたんじゃないか、って。


 親孝行なんてなにひとつできないうちに、儚くなってしまった。

 さいごまでおれのことを気にかけていた母さんに、おれは大丈夫だから、と伝えたはずなのに。


「大丈夫、か……」


 ちっとも大丈夫じゃない現状を鑑みると自嘲することしかできない。


 一週間のあいだ、誰とも連絡をとっていない。

 八上から何度か着信やLINEがあったけれど、返事はしていない。


 あのあと、天音さんは大丈夫だったのかな。


 天音さんにも謝りたい。

 でも天音さんは謝られても困るだけかもしれない。


 もう、近づかないのが一番いいのかもしれない。

 逢わないほうがいいのかもしれない。



 そうすれば天音さんに対するこの気持ちだっていずれ薄れて消えてしまうに違いない。


 そんなことを考えていると、アパートの外からバイクのアイドリング音が聞こえてきた。


 このアパートの住人にバイクを持っている人はいなかったはずだから(駐輪場やアパート周辺に停められているのを見かけたことがないし)、どこかの部屋に来客かもしれない。

 このアパートに引っ越してきて一か月と少しのあいだ、他の部屋の住人を見かけたことは一度もないけど。


 ところが、エンジンの音が止まらないうちに、どんどんどんとおれの部屋のドアをノックする音が響いた。


 音が荒い。


「いるんでしょ開けなさいよ今すぐに別にわたしはこのドアを蹴破っても一向に構わないんだからねわかってるでしょ早くはーやーくー」


 だんだんだんという乱暴なノックをBGMに尋さんの声が聞こえた。

 うん、声が聞こえる前からなんとなく誰が叩いてるのかわかってた。


 尋さんなら本気で蹴破りかねない。

 実際に天井を突き破るのを目撃してしまっている以上(あれは故意じゃなかったのかもしれないけど)、尋さんの台詞をただの脅しだと受け取るのは危険だ。


 慌てて鍵をはずすと、おれが開けるより早く勝手にドアが開いた。

 正しくは鍵をはずすのを待ち構えていたように外からノブを引っ張られた。


 その勢いに驚いて一歩下がると、ずずいと尋さんが玄関に踏み込んできた。


「なっ、なんですか!?」

「なんですかじゃないわよ。一日目の夕方には快方に向かってたはずの風邪でいったいどれだけ休むつもりなの」 


 どうやらおれの状態についてはこなたちゃんから既に聞いていたようだ。


「それは……」

「見た感じいつもの狭霧に見えるけど?」

「はぁ……。それは、その……」


 風邪自体はとっくに治っているんだから、それもそのはずだ。


「働きたいっていうからバイト先紹介してあげたのに迷惑かけまくるし」

「あの、それについては深く反省してます。本当に。すみませんでした。行かなきゃと思うんですけど……」


 キラッと尋さんの瞳が光った――ように見えた。


「だよね。そろそろ行かなきゃね。バイトにも学校にも。自分でも行かなきゃって思うんなら、それはもう行くしかないよね」

「いや、その、そうできればいいんですけど、っていう話で……」


「気になることがある? だから部屋から出られない?」

「別に、なにかのせいにするつもりなんかはないんです。原因が自分の中にあるのはわかってます。ただ……それでどうしたらいいのかって考えると答えが見つからなくて」


「甘えんな!」


 びしっと鼻先に指を突き付けられた。


「うっ……」

「考えるのは自由だよ。でもそのせいで他人に迷惑をかけるってのはまた別の話でしょ。自分のやるべきことをしっかりやった上で、存分に悩みなさい。いいわね!?」


 正論だった。


「は……はい……」


 尋さんの勢いに押されて、おれは頷くしかできない。

 けれどおれが返事をした途端、尋さんの顔がにやりと緩んだ。


 嫌な予感がする。


「ねえ狭霧、君、バイクの免許持ってるよね?」

「は……え? なんでそれを!? あ、そうか履歴書……」


 アミーガに提出した履歴書の資格欄に、確か書いた覚えがある。

 オーナー経由で情報が流れたに違いない。


「というわけで狭霧、あなたにはやるべきことがあるの。いい? まずは外に停まってるバイクでその辺を流してきて。OK?」


「え? ちょ、バイクって、どういうことですか?」 


 くいくいっと、親指で外へ出ろと促す尋さんに逆らえず、免許の入った財布を尻ポケットにつっこんで玄関を出る。


 アパートの前には一台のバイクがエンジンのかかった状態で停められていて、その脇には八上が立っていた。


「よっす!」


 八上は狭霧になにも訊かず、いつもと変わらない様子で片手を上げた。


「よ、よお」


 応えながらも、バイクから目が離せない。

 そこに停められているのは、おれがこのあいだまで乗っていたものと同じタイプのバイクだった。


「ほい」


 八上がヘルメットをぽいと投げてよこす。


「うおっ。えっと、これいったいどうゆうことなんだ……?」


 慌てて受け止めながら八上に訊くけれど、曖昧な笑みを返されただけだった。


「はい、さっさと流してくる。三十分後には戻って来てね」

「え? あの、ちょ……」

「はいはいはいはいはいはい」


 ぱんぱんぱんと手を叩きながら急かされて、戸惑いながらもバイクにまたがる。

 有無を言わせないつもりだ。


「ま、気分転換と思ってさ」


 ぽんぽんと八上に肩を叩かれ、尋さんに「発進!」と尻を叩かれ、おれはわけがわからないながらもとりあえずバイクで走り出した。 

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