18.むかしのこと(1)
風邪をひいた。
あまりの阿呆さ加減にもう笑う気力もないけど、とりあえずバイト先に欠勤の連絡だけは入れておく。
開店前だけれど既に店に来ていた日野さんが電話に出た。
事情を説明すると、こっちは大丈夫だからゆっくり休んでね、というもったいない言葉をもらった。
熱で朦朧とした状態のまま、布団の中に潜り込む。
頭を冷やすどころか温めてどうする。
頭の片隅でそんな突っ込みを入れているうちに、意識が薄らいでいくのがわかった。
◇◇◇
遊んでいらっしゃい。
そう言ってお母さんはおれの背中をぽんと押してくれた。
家から少し遠い大きな公園まで、手をつないで一緒に歩いて行った時のことだった。
おれの両手にはくまさん手袋がはめられていて、そのくまさんがおれを守ってくれるんだって自分に言い聞かせて、ゆっくりとブランコまで歩いていく。
そこでは他の子たちが既に遊んでいて、ブランコは満員だった。近くまで行ったところで、ブランコが空かないかなぁと様子を窺う。
けれどブランコは人気で、仲のいい子たちのあいだで順番をまわしているようで、ひとつたりとも無人になるタイミングがない。
仲良しグループの中に混ざりに行くのはひどく勇気がいることで、おれは尻込みしていた。
「ねぇひとり? こっちで遊ぼうよ」
立ち尽くすおれにそう声をかけてくれたのは、同じくらいの年の女の子だった。
誘ってもらえたのが嬉しくて、おれは力いっぱい頷いていた。
女の子が進む先にあるのは砂場で、おれはちょっと躊躇ったけれど、ブランコはまだ空きそうになかったし、やっぱりやめるともいい出せなかったから、そのままついていったんだ。
手袋をしたまま砂遊びをしたせいでくまさんは砂まみれになってしまったけれど、なかなか立派な砂の城が出来上がりつつあった。
最後に濠に水を流そうってことになって、ふたりでバケツに水を汲んできた。
濠に水を湛えた城は本当にいい出来で、感動した女の子がおれに飛びついてきた。
おれはその勢いに負けて思わずしりもちをついた。
その時、おれの手が水を張った濠の中に浸かってしまったんだ。
慌てて手を上げたけれど、毛糸のくまさん手袋はずっしりと水を吸ってしまっていた。
「大変! 早くなんとかしないと!」
女の子が、おれのくまさん手袋を引っ張った。
「だ、大丈夫だからっ」
慌てて手を引き寄せようとしたけれど、既に手袋の端に女の子の手がかかっていて、その拍子に手袋がはずれてしまった。
そして手袋のなくなったおれの指先が、女の子の長い髪に触れた。
それは一瞬の出来事だった。
即座になにが起きたのかわからなかった女の子は、けれど次の瞬間、自分の髪がばさりと切れてしまっていることに気づき、悲鳴を上げた。
公園中に響き渡るような、大きな悲鳴だった。
おれは自分がしてしまったことに呆然として、動けなかった。
悲鳴をすぐ傍で聞きながら、ただ無残に切れてしまった女の子の髪の毛を見つめることしかできなかった。
◇◇◇
小学校では、右手に包帯を巻いて過ごしていた。
学校に母さんがなんと説明していたのか詳しいことはわからないけれど、怪我か病気か、そんな感じだったと思う。
教師はおれが常に包帯をしていることを理解してくれていたし、体育も手を使う授業は見学していた記憶がある。
それでもやっぱり小学生の子どもが、自分たちと違う異端者を放っておいてくれるわけはなかった。
何度か包帯を剥ぎ取られたことがあるし、その都度おれは右手を抱え込んでなんとかなにも起こさないようにするのに必死だった。
見た目にはなにも異常がないように見えるから、ウソつきだと責められた。
確かにおれは嘘を吐いて、妖怪であることをみんなに隠していたわけだから、その言葉は正しい。
だからこそ、その言葉は胸に深く突き刺さった。
相手は男子のことが多かったけれど、六年生の時、女子に囲まれたことがあった。
やめてと何度も言ったけど聞いてはもらえなくて、包帯を取り返そうと手を伸ばせば髪に触れてしまう
かもしれないからそれもできなくて、ただ固くかたく丸くなっているしかなかったんだ。




