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19.むかしのこと(2)

 中学二年の夏、好きな子ができた。


 大人しいけれど自分の意見はきちんともっていて、それでいて周囲への気配りもできる子だった。


 静かに本を読んでいる横顔や、クラスメイトに相談をもちかけられて意見を述べる時の少しきりっとした顔と凛とした声や、誰もいない教室で展示物のはずれた画びょうを拾って刺し直しているいる姿とか。


 そういうところを見る度におれはどきりとしたし、もっとそんな彼女のことを見ていたいと思った。


 けれどもちろん、つきあいたいとかそんな大それたことは望んじゃいなかった。

 遠くから見ていられるだけでよかったんだ。


 それなのに、奇跡が起きた。


 文化祭に、その子から気持ちを告げられたおれは、死ぬほど嬉しかったけれど、それでもつきあえないと断った。


 それ以外にどうすることもできなかったから。


 つきあってしまえば、近づく機会が多くなる。

 近づくことが多くなれば、おれのこの右手のことがバレてしまうかもしれない。妖怪だと知られてしまうかもしれない。


 それが怖かった。 


 耳にはまだ、子どもの頃公園で聞いた女の子の悲鳴がしっかりと残っていたんだ。


 その後しばらくはそれまで通りクラスメイトとしての関係が続いた。

 ただ以前よりも少しだけ、話をする機会が増えた。


 彼女のほうから、話しかけてくれることが多くなったから。

 それは押し付けがましさとかわざとらしさを感じさせない自然さで、おれも気負うことなく会話をすることができた。


 おれは彼女のことが好きなんだから、それが嫌なわけがなかった。

 むしろ嬉しかった。話しかけてもらえる度にどきどきした。


 告白を断ったという罪悪感を心の隅で感じながらも。


 そうしておれたちの距離は以前よりも近くなって、彼女はもう一度おれに告白してくれた。

 二年の三学期、バレンタインだった。 


 その頃には、おれの中の彼女への気持ちもどんどん膨らんでいて、彼女なら信じてもいいんじゃないかって思うようになっていた。


 こんなにおれのことを気にかけてくれるこの子なら、大丈夫なんじゃないかって。

 だから申し出を受けたんだ。


 おれたちはつきあい始めた。


 一緒に下校したり、図書室で勉強したり。


 ふたりで会う度にどきどきした。

 ふたりで会う度に幸せだって思った。


 いつまでもそんな時間が続けばいいと、心から願っていた。


 けれど、いつまでたっても自分のことを話すことはできなかった。

 そして隠し事をしたままのつきあいなんて、上手くいくはずなかったんだ。


 三年に進級して、新しいクラスで、おれはまた包帯のことをからかわれる。


 体育館裏なんてベタな場所で複数の男子たちに小突き回され、包帯を取り上げられたおれは、ああまただと諦めていつものように丸くなっていた。


 けれどそこに、彼女が現れたんだ。

 おれが連れて行かれるのを見ていた誰かから話を聞いて、心配して来てくれた。


 そんな彼女を、あいつらは乱暴に突き飛ばした。


 それを見た瞬間、おれの中でなにかがぶち切れた。


 頭の中が真っ白になり、喧嘩なんてしたことなかったのに、我を忘れてただ突っ込んでいった。

 どれくらいの時間が経過したのかはわからない。


 名前を呼ばれたような気がして我に返った時、おれはひとりの男子の上に馬乗りになっていた。


 やまとくん、と再び声が聞こえて、そちらを見ると、彼女が目に涙を浮かべて地面に座り込んでいた。

 男子生徒の胸ぐらを掴んでいた手を放して、あちこち痛む体をなんとか動かして立ち上がる。


「だ、大丈夫だった……?」


 突き飛ばされたときにどこかぶつけたりしなかった? 怪我はない? ああでも制服が汚れてしまっている。


 そんなことを思いながら彼女に近づいて、立たせてあげようと左手を差し出した。


「ひっ」


 短く、聞こえた声。彼女がずるりと地面の上をあとずさる。

 その時、気づいた。


 彼女のおれを見る目が、それまでと異なっていることに。


 おれが狂暴だとわかって怖くなった? でも彼女の瞳に浮かぶ色は暴力に対する怯えだけではないように見えた。


 そこまで考えて、はっと背後を振り返る。


 地面に蹲り呻いている男子生徒たち。

 そしてその周囲に散らばる、そいつらの髪。


 もみあっているうちに触れて切れてしまったものもある。


 けれどおれは――。


 乱闘中の記憶が甦る。


 殴り合いの最中、おれはひとりの長髪を右手で掴み切った。


 そして――そしてつい、いつもするように、切り取った髪を食ってしまった。


 目の前で起きたことに頭の処理が追いつかず混乱している相手の隙を突いた反撃で、形勢は逆転した。


 殴り倒す直前、化け物、と相手の口が動いたのを、確かにおれは見た。


「あの……あの、これは、いつか君だけには話そうと思ってて、でもなかなか言えなくて、その……」


 なにか言わなくちゃ、と思った。その時はまだ、話せばわかってくれるかもしれないと思っていたんだと思う。


「いや。いや、やめて。こないで……」

「違うんだ。おれは、おれはっ!」


 おれは必死だった。

 なんとかして誤解を解かなくてはと。


 今思えば、誤解なんてなにもない。

 ただ彼女はおれの本来の姿を見て怯えていたというそれだけのことなのに。


 自分のことに必死で、彼女の気持ちを察することができなかった。


「いやぁぁぁぁ!」


 彼女の悲鳴が響き渡る。

 その段になって、おれは思い出す。


 いつしか薄れてしまっていた、公園で遊んだあの子の悲鳴を。


 ふたつの悲鳴が脳内で響き、頭がぐらぐらした。

 足下も大きく揺れ始め、立っていられなくなって、意識が遠のく。


 意識を手放す寸前、おれは露わになったままの右手をぎゅっと抱え込んだ。 

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