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17.そのあとで

 八上が天音さんを送っていくことになり、おれは半壊したサークル室を尋さんと片づけていた。


 午後の講義はとっくに始まってしまっていたし、受講できる心理状態でもない。


 いつも賑やかな尋さんがしゃべらないので、室内には沈黙が落ちている。


「……あの、尋さん」

「辞めるなんて言わないでね」


 先手を打たれた。 


「でも……」

「あは。そんなにわたし怖かった?」


 尋さんがおどけるように笑う。


「違います。そりゃあ……ちょっと驚きはしましたけど、それが七尋女なんですから、別に怖くなんてないですよ。それに、思ったほど大きくなかったですし」


 七尋女はただ大きくなって人を驚かせるだけで、命を取るとかそういう妖怪ではない。


「一応あれでもなんとか抑えたのよ。本気を出せば、十メートル以上にはなるのよ、これでも。でもそんなことしたら、この建物全壊してたでしょ。サークル室がなくなると困るし、みんなが瓦礫の下敷きになって大怪我でもしたら大変だしね」


「自分で制御できるんですか?」


 妖怪にとって、そこはとても重要なところだ。


 おれの髪を切る特性は、自分では制御できない。触れればどんな髪でも切ってしまう。


 天音さんの雨音も、自分ではコントロールできていない。

 ある程度はできるのかもしれないけれど、コントロールしきれていない。


「完璧じゃないけど、自分の意思で大きくなったり戻ったりすることはできるわね。感情が揺れると自分の意思に関係なく変化することもあるけど」


「それって怖くないですか? 大勢の前で、もし巨大化してしまったら……」


 人目につく規模がけた違いだし、写真でも撮られようものなら誤魔化すのは難しいんじゃないかと思う。


「そうねぇ。だから、気をつけているわけよ。気をつけていればある程度大丈夫なように、これでも努力してきたわけよ。幸い、自分で制御できるんだから」


「でも、もし大勢に見られたりしたらどうするんですか?」


「それはその時考えるわよ」

「そんな適当な……」


「まあね。でもそんな心配より、そういう状況に陥らないようにするにはどうすればいいのかを考えるほうがいいんじゃないか、ってわたしは思うけど?」


 理屈ではそうかもしれない。


 でも、考えないわけにはいかないじゃないか。

 人間の中で暮らしていく以上、考えずにはいられない。


 天音っちはね、と尋さんが続ける。


「ずっと家に引きこもってたの。家の外で雨音をさせてしまうのが怖くて。そのせいでまわりの人に奇異な目を向けられるのが怖くてね。けれど引きこもっているあいだにも不安はどんどん膨らんで、怖いものが増えていった。天音っちはインターネットとかしないのよ。ネット上にあふれる負の感情や言葉が怖いんですって。誰かのブログを炎上させる攻撃性の強い書き込みとか、あまりにも簡単にネット上を飛び交う『死ね』『消えろ』『クズ』っていう類の言葉を見ただけで動悸が激しくなるのよ。たとえそれが自分に向けられたものじゃなくても、天音っちの心は怯えるの」


 尋さんは話しながらも、衝撃で落下した本を拾う手を止めない。


「おれがPCをつけっぱなしにしておいたから、それを見て……」


 はっきりとは覚えていないけれど、最後におれが見ていたページには、それらの言葉が書き込まれていたのかもしれない。


「直接のきっかけはね」

「やっぱり……。やっぱりおれのせいなんですね」    


「でもそれを言うなら、天音っちを家から引っ張り出したわたしのせいだし、狭霧くんに前もって話しておかなかったわたしのせいよ」


「それでもっ……」


「怖いのは、わかるのよ。人間とほとんど変わらない姿をしているのに、やっぱり普通の人間とは違う。違うんだって知られるのは、すごく怖いことだわ。でも、怖がっているだけじゃあダメだと思ったのよ。せっかく生まれてきたのに、ろくに外の世界のことも知らずに家の中にこもっているなんて、そんなの違うって」   


 尋さんは立ち上がり、拾った本をテーブルの上に置くと、おれのほうを向いた。


 怖がっているだけじゃあダメだ。


 それはおれも思っている。


 でもその代償が、ひどい辛さを伴うものなんだったら――。

 天音さんをあんなに苦しめるものなんだとしたら――。


 おれは天音さんがあれほど苦しむ姿を見たくはない。


 そんな風に考えてしまうおれはやっぱり自分の気持ちばかり大事にする自己中で、天音さんのことを心から想っているとはいえないんだろう。


 黙り込んだおれの様子を窺っていた尋さんが、小さく息を吐いた。


「ごめんなさい。さっきの今で、こんな話をされても困るわよね。でも、わたしはみんなで笑えたらいいなってそう思ったの。だからこのサークルを作ったのよ」 


 郷土遊楽会。

 遊び楽しむ。


 確かにその名前からは、尋さんの願いが伝わってくる。

 ――それでも。


 おれには、尋さんたちに気にかけてもらえるような価値はない。

 仲間に入れてもらえるような、そんな奴じゃないんだ。


「すみません、おれ……」 


「ああ、そうね。今日はもういいわ。天井割っちゃったのが痛かったわね。このままここを使うのは危険だし、かといって大学が速やかに修理をしてくれるとは思えないし、明日にでも隣の空き部屋に移るから」


 すい、と尋さんが視線を逸らす。


 これ以上、話を続けるつもりは、おれにもなかった。

 頭を下げて、床に落ちていた自分の鞄を拾うと、サークル室をあとにした。




 頭を冷やしたかったから、カッパを着ず、傘をさして自転車をひくこともせず、濡れながら自転車をこいでアパートまで帰る。


 それでも、さほど冷却効果があるようには思えなかった。


 アパートの駐輪場に自転車を停める。

 濡れた前髪からぽたぽたと雫が落ちる。


 なんでおれはこんなにもどうしようもないんだろう。


 変わろうと、変わりたいと思っていたはずなのに。

 そのために努力しようとしていたはずなのに。


 結局なにも変わっていない。


 好きな子が苦しんでいる時に、指先ひとつ触れることすらできない。

 そっと背中をなでることすらできない。


 なんでおれはこんなにもみっともないんだ――。


「ちくしょう」


 ちくしょう、と繰り返す。


 上手くやれるんじゃないか、なんて思った自分の浅はかさ加減に腹が立つ。

 けれどそれ以上に、自分の愚かさが笑える。

 愚かで、滑稽だ。 


「あははは。あははははは」


 次から次へとこみ上げてくる笑い声を、雨音が呑み込み続けた。

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