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15.雨音

 午後一の講義には少し早い時間に大学に着いたおれは、バイト先で買ってきた惣菜パンとジュースを持って郷土遊楽会の部屋へ行向かった。


 サークル室はメンバーならいつでも使っていいことになっているので、用意してきた昼飯を食べる時や、空き時間をつぶしたい時にはすごく助かっている。


 学食はあるけれど、昼時の混雑の中に入ってゆくのはおれにとってかなりハードルが高いから、バイト上がりにアミーガでなにか買ってくることが多い。


 アミーガは弁当や総菜に関してはコンビニの割に価格設定が良心的で、スーパーと比べてもそれほど差がないことが働き出してからわかった。


 近くて安いのでシフトの入っていない日でも利用したりする。


 サークル室の扉をノックしたけれど、返事がない。


 今日はまだ誰も来てないのかな?


 そんなこと思いながらノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。


「こんにちはー」


 鍵がかかっていないということは、鍵のかけ忘れでなければ誰かがいるということだ。

 一応、声をかけてドアを開ける。


 活動内容の曖昧さのせいか、サークル室には、パッと見てなにをやっているサークルなのかわかるようなものがない。


 本棚には観光ガイドや地域情報誌が一応置いてあるけれど、それ以上にマンガが多かったり、テレビにゲーム機に冷蔵庫となんだかひとり暮らしをしているおれの部屋とさして変わらない家電類があったりする。


 椅子を並べれば、寝心地はともかく寝ることもできる。


 なんだかもう、ここに住めそうだ。というかきっと住める。


 トイレは大学のどこかを借りて、風呂は近くの銭湯へ行けばいいだろうし。


 難点は、大学の隅のほうに位置するこの旧サークル棟周辺は夜になると真っ暗になるところだろうか。


 夜、ひとりでこのサークル室にいるのは少し心細いかもしれない。


 PCで適当にニュースを眺めながら昼飯を食べ終わり、講義まではまだ時間があるので荷物をサークル室に置いたままトイレに行く。


 一応、旧サークル棟にもトイレはあるけれど、随分前に故障してから修理されていないらしく、一番近い工学部棟一階のトイレまで行くことが多い。


 手を洗ってグローブをはめ直しながら工学部棟を出る。

 空を見上げると、灰色の雲は益々厚さを増しているように見えた。


 ぽつり、と頬に雫がひとつ落ちてくる。


 降りだしたか、と足早に旧サークル棟の入り口をくぐると、ざあざあという激しい水音が耳に届いた。


 ぎょっとして背後を振り返るけれど、外はまだぽつりぽつりと雨滴が落ちる程度で、激しい音が立つような状況じゃない。


 じゃあ、この音はどこから聞こえてくるんだろう。


 そこまで考えて、はっと駅で天音さんを見かけた時のことを思い出す。


 もしかしたら――。 


 慌ててサークル室へ向かう。郷土遊楽会の部屋の扉は、開きっぱなしになっていた。

 おれが出る時には、鍵こそかけなかったけれど扉はしっかりとしめたはずだった。


 部屋の中をのぞくと、つけっぱなしだったPCのモニターがいやに明るく見えた。


 続いて床の上に広がる黒髪に気づく。

 天音さんが、床の上に座り込んで体を丸めていた。その体が小刻みに震えている。


「あ……天音さんっ!?」


 おれの声はざあざあという音にかき消されてしまう。


 病気かなにかの発作か。

 とにかく尋常じゃない。


 慌てて天音さんの傍に膝をつくけれど、頭を腕の中に埋めて震えている天音さんの顔は見えない。


「天音さん? 天音さん!」


 呼びかけるけれど、応えはない。


 代わりに、天音さんがなにか呟いているのが聞こえた。

 けれどなんと言っているのかは聞き取れない。


 震える天音さんの肩に手を伸ばし、でも触れる寸前で手が止まる。


 記憶の中の、耳をつんざく悲鳴が甦り、それ以上手が伸ばせない。


 早くなんとかしないと。このままじゃ天音さんが危険かもしれない。


 でも――。


 気は逸るのに、身体が動かない。


「天音さん、天音さん!」


 おれには名前を呼ぶことしかできない。


「天音さ――」

「どけっ!」


 突然、どんと強い力で体を突き飛ばされた。

 吹っ飛ばされた勢いで椅子を巻き込んで倒れる。


「つっち―……?」


 顔を上げると、めいっぱい両手を広げて天音さんの体をぎゅっと抱きしめる、小さな水干姿が見えた。


「天音、大丈夫か? わしが来たからもう大丈夫だぞ。大丈夫だ、怖くない。なにも怖くないぞからな!」 


 怖くない、と繰り返すつっちーの声を、おれは半身を起こした状態で呆然と聞いていた。

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