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12.ふたりだけのささやかな会話

 勝手のほうから微かに食器の音が聞こえてきた。


 開きっぱなしのドアから見ると、天音さんはテーブルの上で、簡単なつまみを皿に盛っているようだった。

 集中しているのか、こちらには気づいていない。


「あの……」 


 できるだけ驚かさないように、大きすぎず、強すぎないトーンを意識して声を出す。

 けれど天音さんはびくりと体を大きく震わせて、固まってしまった。


「ごめん、あの……。ほら、少し片づけようかなって思ってさ」


 持ってきた空き缶を掲げて見せると、天音さんは少し体の緊張をといたようだった。


「あ……空き缶は、ゆすいでそこの袋に。お皿はおいておいて。あとで洗うから」


 相変わらず小さな声だったけれど、天音さんが普通に話してくれたことに感動する。


「ありがとう」


 目を合わさないまま、天音さんが小さくこくりとうなずく。

 邪魔になるからか髪はひとつにまとめて髪留めでアップにしている。


 水道で空き缶をゆすぎながら天音さんを見ると、今度は大きなちくわを切っていた。

 普通のちくわよりも三まわりくらいは太い。


「それ、すごく大きいちくわだね」

「これは野焼き」


 天音さんは顔を上げないけど、会話をしてくれるってことはつっちーにかけられたストーカー疑惑を信じていないってことかな。 


 とりあえず、話もしたくないほど嫌われているとか怖がられているとかではなさそうでほっとする。


 けれど、野焼き?


「野焼きって、あの、野原とかを焼くあれ?」


 あれがどうこのちくわに関係してくるんだろうと首を捻る。

 すると天音さんがふるふると首を横に振った。


「ごめんなさい。正確にはあご野焼。あごはトビウオのこと」

「へぇ。それトビウオで作ってるんだ。初めて見た」


 おれの言葉に、天音さんが顔を上げた。

 少しびっくりしたように、目を丸くしている。


 普段はうつむきがちだからまつ毛の長いことには気づいていたけれど、正面からこうして見るとすごく目が大きいことがわかる。


「初めて?」

「うん。この辺の名物なの?」

「……そうかも。食べる?」


 すすっと盛った皿をこちらへ滑らせる。


「じゃあ、一切れだけ」


 爪楊枝を使ってひとつぱくりと食べてみると、ちくわよりも弾力があった。

 風味があって少し甘い感じがする。


「あ、美味しい」


 これだけでむしゃむしゃいけそうだ。


「わさび醤油つけてみる?」


 今度はわさび醤油が入った小皿をすすすとこちらに寄せてくれたので、じゃあもう一切れだけ、と二切れ目をもらう。


「おお、うまいね!」


 ぴりっとするわさび醤油をつけても美味しい。

 もともと練り製品は好きなほうだから、これはいいものを教えてもらった。


「ん」   


 天音さんは頷くと、自分も一切れつまんでかじっている。

 天音さんは顔が小さいから、あご野焼きがすごく大きく見える。


 遠くから見ているだけだときれいだっていう印象が強かったけれど、こうして近くで見ると、もちろんきれいなのは変わらない上に、なんていうか動作が可愛い。


 どうしよう、目が離せなくなる。


 おれがひと口で食べたあご野焼きを何口かにわけてようやく食べ終わった天音さんが、ふと目を上げた。


 おれと視線がぶつかる。


 咄嗟に目を逸らすのもまずい気がして、お互いそのまま固まった。


 短い静寂。


「おーい、つまみー!」


 キヨの大きな声が部屋のほうから届いて、天音さんがはっとそちらを振り返る。


「はあい、ただいまー」


 天音さんが小さく応えた声はたぶん届いていないだろう。

 既に用意のできているつまみ類の入った皿を、天音さんが急いでおぼんに乗せている。


「あ、おれが持って行くよ」

「で、でも……」

「まだ片づけとかあるでしょ?」


 包丁もまな板も使ったままの状態だ。


「あ……うん」

「先に戻ってるよ」


 おぼんを手に持って、廊下へ出る。


「や……大和くん」


 大和くん。

 

 天音さんの小さな可愛らしい声で名前を呼ばれた途端、心臓がばくばくと飛び跳ね始める。

 挙動不審にならないように気をつけながら振り返ると、天音さんがこちらを見上げていた。


「ん?」

「あの、あ、ありがとう」 


 ぺこり、と頭を下げられて、少し驚く。


 そんな大層なことしてないのに。

 ただ、おぼんを運ぶだけだし。


 でも、そんなささいなことでもお礼を言ってくれる天音さんに感激する。


「どういたしまして」


 少しは、おれのことが怖くなくなってくれてるといいな、と思う。

 そんなことを考えながら部屋に戻ると、ちょうど廊下へ出ようとしている八上と鉢合わせた。


「狭霧どうかしたのか? なんかにやけてんぞ?」

「え、いや。そ、そう? そんなことないよ」


 慌てて、自分でも気づかないあいだに緩んでいた顔の筋肉を引き締めた。

 友だちも先輩も大家さんたちもいい人で、気になる子もいる。


 おれ、なんとかここでやっていけそうだよ、母さん。



  *********


 雪の日、山加外神社の境内でまだ赤ん坊だったわたしは拾われた。

 その時、母と思しき女性は、わたしを抱きしめたまま息絶えていたらしい。


 一面雪景色の中、泣き続けるわたしの周りでは雨音がしていたという。


 その後家庭裁判所に申し立てをして人間としての戸籍をもらい、人間のように暮らしている。


 五歳の頃、境内で遊んでいると、空から蛇みたいな何かが降ってきた。

 落下の衝撃で弱っていたけれど、拾って帰って様子を見ていたらそのうち元気になった。


 以来、つっちーは恩があるからと言っていつもわたしのことを気にかけてくれるようになった。

 つっちーは、わたしの唯一の友だちだった。


 やがて神社に出入りする尋さんや恙くんと顔見知りになり、親しくさせてもらうようになったけど、それでもつっちーはやっぱり傍にいてくれた。


 ちょっと過保護なところもあるけど、つっちーにはすごく感謝してる。

 そして今、もうひとり、妖怪の知りあいが増えた。


 怖くは、ないと思う。


 男の子にしては珍しく物腰が柔らかいし、わたしに対しても気を使ってくれているのがわかる。

 優しい人なんだと思う。


 大きな声ではっきりとしゃべれないわたしなんかとでもきちんと会話をしようとしてくれるし、勧めたものを美味しそうに食べてくれた。


 この人はいい人なんだなぁと思って見ていたら目が合ってちょっとびっくりした。


 狭霧くん、という名前は素敵だと思うけれど、まだ知り合ったばかりなのに名前で呼ぶのは憚られて、苗字で呼んでしまった。


 手伝ってくれることに対してお礼を伝えると「どういたしまして」と穏やかに笑って応えてくれた。


 その「どういたしまして」の言い方が、強くもなく、弱くもなく、高くもなく、低くもなく、とても優しかったから、胸がどきどきしてしまった。


 いつか、尋さんや恙くんみたいに、名前で呼べるようになるかな。


 なれたらいいな、と思った。

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