第008話 火曜の台
所内連絡 飼育第八六号
発 飼育部門
宛 各区画担当 係員各位
件名 六月の定期計測について(依頼)
標記について、下記のとおり実施しますので、ご協力をお願いします。
記
一 実施日
六月一日、八日、十五日、二十二日、二十九日(いずれも火曜)
体重の計測は毎週火曜としています。延期は認めていません。制定以来の延期は七件で、いずれも設備の故障によるものでした。
二 時間
〇七時三〇分から一〇時まで。区画ごとの割当は別紙のとおりです。
E区画は第二食堂の前室を使います。前室が狭いため、列は渡り廊下まで伸びます。屋内に入れるのは前の八十名までとしてください。
三 台
据置型を一台。目盛は〇・一キログラム単位です。
較正は月に一度行っています。前回は五月四日でした。較正の記録は技術課が保管します。飼育部門へは結果の通知のみが来ます。
四 手順
番号順に並ばせてください。履物を脱がせ、台の中央に立たせます。手は体の横につけさせてください。数値が安定するまで動かさないようお願いします。
読み上げは個体に聞こえる位置で行ってください。これは前年度の申し合わせによるものです。理由の記載は残っていません。
五 記録
読み上げた値は個体記録票の第三欄へ転記してください。年次の更新で最終計測値として確定します。
週ごとの推移は別表に記入し、飼育部門で保管します。別表の保存年限は三年です。
六 お願い
前室での質問には、答えられる範囲でお答えください。答えられない事項は「担当ではない」とお伝えいただければ結構です。
なお、前月は計測の順番について個体から申し出が二件ありました。順番は番号順で固定です。変更は行いません。
七 申し送り
前室の掲示は昨年度のものが貼られたままです。差し替えの予定はありません。差し替えの所管は広報課です。
八 その他
計測の済んだ個体から順に給餌を始めてください。計測前の二時間は飲食をさせないでください。
前室での待機中に体調の変化が見られた場合は、計測を中止し、獣医室へ連絡してください。前年度の中止は零件でした。
本連絡の写しは各区画の控室へ掲示してください。掲示の期間は当月末までとします。
以上
(飼育部門 庶務)
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火曜の朝は、廊下の並び方が違う。
いつもは食堂へ真っ直ぐ行くのに、この日は前室の扉の前で列になる。列は番号順で、私は四十番目になる。
前室の扉は八時に開く。それまでは廊下で待つ。
待つ間に食べられない。前の二時間は飲食をさせないと決まっている。だから火曜の朝の給餌は、計測が終わってからになる。
六時の点灯で目が覚める。火曜だけは、覚めてから起きるまでが早い。
起きて、寝台の布を伸ばす。皺は伸びる。伸ばした跡は残らない。
廊下へ出ると、もう十人ほどが立っている。立っている場所は決まっていない。番号順に並ぶのは扉が開く三十分前からになる。
それまでの三十分を、皆それぞれの場所で過ごす。壁に凭れる人。しゃがむ人。歩き続ける人が一人いる。
空腹は七時の鐘で来る。鐘は鳴るが、皿は出ない。
鳴ってから開くまでの一時間が、この日で一番長い。腹が鳴る人がいて、鳴った人が笑われる。笑われた人も笑う。
今朝は前から三人目の人が鳴った。大きかった。四人が振り向いた。
「今の、俺じゃない」
「誰も言ってないでしょ」
「言う前に言っとくんだよ」
列の何処かで誰かが吹き出した。私も笑った。笑うと腹がもっと鳴る。
列は廊下の壁に沿って伸びる。壁の反対側は空けておく。空けておかないと係員が通れない。
二百四十一名が一列に並ぶと、E区画の廊下では収まらない。前の八十名までが屋内で、あとは渡り廊下へ出る。今日は晴れているので、外に出た人も濡れない。
私は四十番目なので屋内にいる。屋内の列は動きが遅い。前が詰まって、止まっては進む。
列の中では話す人と話さない人がいる。話すのはだいたい同じ顔ぶれになる。
私の後ろの人は毎週黙っている。前のK-0212は音を出す。三つの音を、決まった順で。列の中では小さい。
七時の鐘が鳴ると、列が締まる。締まるというのは、間隔が詰まることだ。
詰めても早く開くわけではない。それでも詰まる。前の人との間が三十センチを切ると、相手の背中で布の織り目まで見える。
八時。扉が開く。
前室は狭い。台が一つと、机が一つ、それに冷蔵の箱が置いてある。
台は床に据えてある。動かない。上の面は樹脂で、四隅に細い溝が切ってある。溝は水を逃がすためだと聞いた。誰から聞いたのかは覚えていない。
冷蔵の箱は膝の高さにある。蓋が上に開く。開けると白い霧が出て、すぐ消える。
机の上には筒が並んでいる。番号を書く前の筒は透明で、書いた後も透明だ。書いた字は側面に貼る細い紙に載る。
前室の壁は上半分が塗ってあり、下半分は板になっている。板は床から一メートルの高さまでで、継ぎ目に細い隙がある。
隙のところだけ塗料が入っていない。入れなかったのか、剥がれたのかは分からない。
列は一人ずつ進む。一人あたり十七秒から二十秒。
私はその間、前の人の踵を見ている。前の人はK-0212だ。踵の外側が減っている。減り方はH-0009と似ているが、こちらのほうが浅い。
列が進むと、前の人の背中が近くなる。近くなってから、また離れる。
離れる時に足を出す。出す幅は毎回同じにしている。同じにすると、いつ自分の番が来るかが分かる。四十番目までに、私は四十回足を出す。
台に乗る時の決まりは四つある。
履物を脱ぐ。中央に立つ。手は体の横につける。数値が出るまで動かない。
手を体の横につけるという指示は、私が七回目に乗った時から出ている。それまでは何も言われなかった。何かがあって決まったのだと思うが、何があったのかは知らない。
この四つを、私は説明されて覚えたのではない。前の人がやるのを見て覚えた。
台に乗っている間は、誰も自分を見ていない。読む人は窓を見て、書く人は紙を見る。
見られていないのに、私はいつも同じ姿勢を取る。取らなくても数値は出る。
係員は二人いる。一人が台の横で数値を読み、もう一人が机で書く。
読む人の声はよく通る。この人は毎週同じで、読み方も同じだ。数字を二つに切って読む。五二と、四。
列が進む。
前から順に数字が出る。私はそれを聞いている。聞こえるようになっているからだ。要領にそう書いてあるのかどうかは知らないが、読み上げは必ず全員に届く高さで行われる。
列の中では、聞く人と聞かない人がいる。
聞かない人は下を向いて、耳の横に手を当てる。当てても聞こえるが、当てている間は自分が聞いていないことになる。三人いる。
聞く人は前を向く。数字が出る度に、口が少し動く人が二人いた。数えているのだと思う。私の口も動くのかも知れない。自分の口は見えない。
番号が若い人ほど前にいる。前のほうは数字が高い。若い番号は古い個体で、古い個体は帯が上にある。
上の帯から順に読まれるので、朝のうちに大きい数が続く。四十番目あたりで数が下がり始める。下がり始めたところで、列の後ろが少し静かになる。
私の前はK-0212で、その前がA-0330になる。
K-0212は毎週、読まれた後で一度だけ振り返る。振り返って、後ろの誰かと目を合わせる。誰と合わせているのかは、私の位置からは見えない。
六三・八。四七・一。五五・〇。
三八・二。この人は一番前の帯にいる。
四〇・六。四二・九。
五九・三。この人は前の月に五八・八だった。増えている。
三三・一。この人は一番軽い。去年からずっと変わらない。変わらない人は、読み上げの声が短い。
四四・七。四九・九。四九・九は帯の境目にいる。あと〇・一で上の帯へ動く。動けば皿が四三〇になる。この人は毎週、その〇・一のところにいる。
数を覚えるのは難しくない。順番が毎週同じだからだ。
同じ順で、同じ人が、同じ台に乗る。数だけが少しずつ動く。動き方に決まりはない。増える人もいれば減る人もいて、ほとんど動かない人が一番多い。
列の三十番台に、私より後から来た人が二人いる。番号は後だが年は上になる。番号は入った順で、年の順ではない。
番号が若いほど古い。H-0009は一桁で、T-0002はもっと若い。若い番号の人は、列の前のほうにまとまっている。前のほうは進みが遅い。乗るのにも降りるのにも時間がかかる。
私の二人前の人は、乗る前に必ず息を吐く。吐いてから乗る。
その人の数は毎月〇・二から〇・三ずつ増えている。半年で一・八増えた。帯が上がるまであと少しになる。
増える人の顔は、降りる時に少しだけ変わる。変わり方は説明出来ない。眉の位置だと思う。
E-0044は私の六人前にいる。
この人の数は、去年の今ごろ三九・八だった。今は三五・六になる。
私は毎週聞いている。聞いて、覚えている。書く場所が無いので覚えるしかない。
三五・六。今週も同じだ。
先週も三五・六だった。その前は三五・七で、その前が三五・七。一か月で〇・一しか動いていない。
去年の今ごろからの差を引いた。四・二になる。
四・二キログラムは、皿で言えば十枚になる。
目盛が〇・一単位だということを、私は台の窓を見て知った。窓には数字の右にもう一桁ぶんの場所がある。そこは使われていない。
使われていない桁は、いつも同じ形で暗いままだ。何かが表示されることはない。
台の前で靴を脱ぐ場所には、薄い布が敷いてある。布は毎週替わる。今日のは端が縫ってあった。前の週のは切りっぱなしだった。
縫ってあるほうが足の裏に引っかからない。それだけの違いになる。
列の後ろから、誰かが小さく数えている声がした。前に何人いるかを数えているらしい。
数え終わると、また最初から数え直している。人数は減っていくので、数える度に違う数になる。
私は列の中で立っている。前の人が台を降りる。私の番になる。
私の前でK-0212が乗った。五一・二。
この人は乗る時に一度だけ息を止める。止めるところが毎週同じだ。止めてから、数値が出るまで止めたままでいる。
降りる時に息を吐く。吐く音が私のところまで届く。
履物を脱ぐ。前室の床は冷たい。素足で乗るのは台のほうで、床は一歩ぶんしか歩かない。それでも冷たさが踵から来る。
台に乗る。中央に立つ。手を体の横につける。
樹脂の匂いがする。人の足の裏の匂いと混ざっている。台は毎朝拭くと聞いたが、火曜の四十番目ではもう混ざっている。
乗った瞬間、足の裏に台の面が押し返してくる。押し返しは一度で止まる。止まってから数字が出る。
止まるまでの間、体の何処かが揺れている。揺れているのが分かるのに、止め方が分からない。
数値が出るまでに二秒ある。
その二秒、私は目盛の窓を見ない。見てはいけないとは言われていない。見ると顔が下を向いて、体が動く。動くと数値が安定しない。
「五二、四」
係員が読んだ。
五二・四。先週と同じだ。その前も五二・四で、その前が五二・三。
私の帯は四三〇のままになる。四六〇へ動くには、あと七・六必要だ。
私は毎日、三口分をもらって、それでも動かない。
目盛の窓は台の前についている。乗っている本人からは真下になる。
読む人は横から見る。横からのほうが読みやすい位置に窓がある。作った人がそうしたのだと思う。
台を降りる。降りる時に、係員が机の人へ何か言った。聞こえなかった。
降りた足の裏に、台の面の温さが残っている。前の人の分だ。
四十番目まで来ると、台は室温より温かい。朝の一番の人は冷たい面に乗る。冷たいか温かいかで、数値は変わらないと聞いた。
台を降りて一歩で机の前に立つ。前室が狭いので、二つの作業が続けてくる。
乗るほうは三十秒で済む。机のほうが長い。
机には紙が二種類ある。一つは記録票で、一枚ずつ綴じてある。もう一つは横に長い紙で、こちらは綴じていない。
係員は数値を二度書く。一度目が票の第三欄、二度目が横長のほうになる。二度目のときだけ、書く前に前の週の欄を見る。
見てから書く。見ないで書ける人もいる。今日の人は見る。
横長の紙は、私の側からは裏になる。裏からでも線の位置は透ける。
縦の線は細かい。横の太い線が四本ある。四本の間に入る行の数が帯ごとに違う。
一番上の帯の行が少ない。一番下も少ない。真ん中の二つが厚い。
「動かないでください。もう一度」
台へ戻された。数値が安定しなかったらしい。
二度目も五二・四だった。二度目のほうが早く止まる。足の置き方を体が覚えている。
台の下に扉がある。中に分銅の箱が入っている。
較正は月に一度で、今月は四日だった。四日に出した分銅が箱に戻っていない。机の端に置いたままになっている。
分銅は鈍い色で、上に持ち手が付いている。誰も触らない。触ってよいものかどうかを聞いた人がいない。
「この紙は、どうなるんですか」
私は横長のほうを指した。
「三年で捨てます」
「捨てた後は」
机の人は答えなかった。答えずに、次の番号を書いた。
机の人は若い。この前室では見たことのない顔だ。読む人のほうは毎週同じで、こちらは替わる。
替わると質問の答え方が変わる。前の人は「決まりです」で終わらせた。この人は途中まで答えた。途中までのほうが、聞いた側には残る。
出口の脇に洗面台がある。手を洗ってよいことになっている。
洗う人は少ない。台に乗る前に洗った手を、降りてまた洗う理由が要る。
前室を出る。出たところに、次の人が待っている。四十一番目だ。
列はまだ二百人分ある。終わるのは十時前になる。私は先に食堂へ行ってよいと言われた。計測の済んだ者から順に給餌が始まる。
廊下を戻る途中で、後ろの列がまだ動いていないのを見た。渡り廊下の先まで伸びていた。
外へ出た人は日に当たっている。E区画の中にいると日に当たらないので、この日だけ肌の色が違って見える人がいる。違って見えるのは半日で戻る。
食堂で皿を受け取る。四三〇。
二時間ぶん空けた後の一口は、いつもより甘い。甘いというより、味の立ち上がりが早い。同じものだと分かっている。
食堂は火曜だけ、入る時刻がばらける。列の順で終わるので、着く順もその通りになる。
いつも同じ卓に座る人が、今日は違う卓にいる。空いている席から埋まるからだ。週に一度、座る場所が入れ替わる。
入れ替わっても、話す相手は変わらない。声の届く距離まで移動する人がいる。
E-0044はもう座っていた。私より先に済んでいる。
この人の皿は三八〇だ。半分ほど減っている。私が座ると、匙を置いて、皿を少し私のほうへ寄せた。
「今日はいいです」
私は言った。
その人は皿を寄せた手を戻さない。こちらを見ている。目のところの皺が動かない。
「いいって」
「今日はいいです」
「そう」
皿は戻った。戻る時に、縁が卓に当たって短い音がした。
「どうしたの」
その人が聞いた。声が細い。
「今日は足りています」
「そう」
足りているというのは本当だ。二時間空けた後の皿は、いつもより長く保つ。保つ理由は分からない。
この人はそれ以上聞かなかった。
卓の向かいに、匙を鼻の下に挟む男が座った。今日は挟まない。
「今日は何キロだった」
「五二・四です」
「俺は六一・二。先週から〇・四減った」
「減ると何かありますか」
「何もない。減っても増えても、皿は同じだ」
この人は笑った。私も笑った。六一・二は一番上の帯になる。〇・四減っても帯は動かない。
私は自分の皿を食べた。四三〇を全部食べた。
全部食べても、いつもと同じ量になる。三口分が無いぶん、終わるのが早い。早く終わって、まだ腹に隙間がある。
隙間の分だけ、この人の皿に残っている。
私の皿の底が見えるまでに、この人は三分の一しか進んでいない。
匙を持つ手の甲に青い筋が浮いている。前に見た時より本数が増えた。増えたというより、浮き方が高くなった。
袖は手首で余っている。余り方も前より大きい。同じ服を着ているので、余った分だけ中が減ったことになる。
その人は最後まで食べた。食べ終わるのに、いつもより時間がかかった。三度休んだ。休むのは前からで、回数が増えている。
休んでいる間、匙は皿の縁に掛けたままにする。掛ける位置は毎回同じで、縁の欠けているところの手前になる。欠けは小さい。爪の先ほどしかない。
三度目の休みで、匙が滑って皿の中へ落ちた。音がした。周りの二人が顔を上げて、すぐ戻した。
その人は匙を拾って、袖で拭いた。袖には拭いた跡が残らない。生地が乾いているからだ。
食べ終えて、この人は言った。
「明日は」
「明日はもらいます」
「そう」
それだけで、この人は皿を持って立つ。
食堂を出る時、配膳台の皿を見た。伏せてある皿は四枚だ。まだ計測の済んでいない人の分が二百枚近く残っている。
四枚は今日の欠席になる。欠席の四名は、火曜なので計測も受けていない。受けなかった週の数字は、表では空欄になると聞いた。
昼の当番へ行く前に、手を洗った。洗い場は食堂の外にある。水は冷たい。
台の面の温さは、この時刻まで足の裏に残っている。残っているというより、思い出せる。
昼まで洗濯の当番だった。
袋は十四枚ある。四枚と五枚と五枚に分けて運ぶ。分け方は自分で決めた。決めた通りにやると、終わる時刻がだいたい同じになる。
運ぶ間に、数を並べた。
三九・八から三五・六まで。一年で四・二。月に直すと〇・三五になる。週に直すと〇・〇八。
目盛は〇・一単位だ。〇・〇八は目盛に乗らない。
乗らないものは、週ごとの表に線が出ない。線の出ないところで四・二が済んだ。
袋を三度に分けて運ぶ間、頭の中では引き算だけをしていた。
三九・八引く三五・六。四・二。
途中で袋を落とした。角が肩から滑った。拾って、積み直す。
積み直しても数は同じだ。落としたことは誰にも見えていない。
私が覚えたのは、割る前の四・二のほうだった。
私はこれを誰にも言っていない。言う相手を決めていない。
畳む人の手は速い。角を合わせて、二つに折って、また二つに折る。四回で一枚が終わる。
その人が今日は途中で手を止めて、袋の裾を裏返した。番号の刷りが剥がれている。裾の折り返しの内側だけ、刷りが残っている。
袋の番号を見た。刷ってあるものと、剥がれているものがある。剥がれた袋は数だけで管理していると聞いた。
剥がれた袋は今日で三枚あった。先週は二枚だった。増えているのか、たまたま同じ袋が回ってきたのかは分からない。同じ袋かどうかを見分ける方法が無い。
積み上げた袋が肩の高さを越えると、上の三枚が見えなくなる。見えないまま運ぶと、角が扉の枠に当たる。
当たった拍子に一枚落ちた。落ちた袋を、隣で畳んでいた人が拾って、私の腕の上へ載せた。載せる時に、下から支える形になった。
「ありがとうございます」
その人は頷いた。頷いてから、自分の畳みへ戻る。名前は知らない。番号はH-0031で、洗濯の当番では三度目に会う。
三度目で初めて礼を言った。前の二度は、落としたものを自分で拾った。
午後、洗濯室で袋を積んでいると、廊下から係員の声がした。
名簿を読んでいる。明日の当番の割り振りだ。番号が続く。
途中で一度、声が止まった。止まってから、番号が来た。
「J-0037」
「はい」
私は返事をした。手は袋を持ったままだった。
係員は次の番号を読み終えて、名簿を裏返した。裏は白い。
袋の角が手の中で滑った。持ち直すと、角の折れているところが手のひらに当たる。当たるのは同じ場所だ。
洗濯室の窓は今日も曇っている。指の跡が三つある。縦の棒は昨日と同じ場所にあった。
私は書かない。書くものが無いのではなく、書く場所を選べない。曇りは毎日消える。
午後の遅くに、廊下で香月獣医師とすれ違った。白衣ではなく、上に何か羽織っている。
「体重、変わってない?」
「変わっていません」
「そう。じゃあいい」
その人はそれだけ言って、処置室のほうへ行く。何がいいのかを私は聞いていない。
夕方、掲示板の前を通った。
新しい紙が貼ってある。給餌の実績についての紙だ。数字が並んでいる。
私は立ち止まって読んだ。読むのに時間がかかった。
五月の残食率が出ている。〇割三分とある。
去年の同じ月は一割一分だった。去年の紙も見た。覚えている。
紙は上のほうに表があって、下に短い文が三つある。表の数字は大きく、文の字は小さい。
私は表から読んだ。表のほうが速く読める。数字は読む順番を自分で決められる。
表には帯が四つ並んでいる。私の帯は上から三つ目だ。三つ目の残食率は〇割三分になる。
一番上の帯は〇割一分だった。数字が小さいほど、残っていないことになる。
改定の効果、と紙には書いてある。
改定というのは、去年の十二月に出た給餌基準のことだ。体重で四つの帯に分けて、量を変えた。あの通達は私も聞いた。
私は紙をもう一度読んだ。書いてあるのは数字と、効果という語だけになる。ほかには何も書いていない。
皿が空になったことだけが書いてある。
掲示の紙は四隅を画鋲で留めてある。右上の一つが浅い。指で押すと入るが、離すとまた浮く。
押した。浮いた。もう一度押して、そのままにした。
紙の左の下に、小さい字で作成の部門が入っている。飼育部門とある。
その下にもう一行あって、こちらは印字が薄い。決裁の欄で、名前ではなく職名だけが入っている。園長とある。
園長を私は見たことがない。園内で園長を見た人がいるかどうかも聞いたことがない。
掲示板には、月報のほかに二枚貼ってある。
一枚は来週の当番表で、もう一枚は去年の秋から貼りっぱなしのものだ。角が四つとも丸くなっている。何度か剥がれて、何度か留め直された跡がある。
何が書いてあるのかは、字が薄くなって読めない。読めないまま貼ってある。
夕方の給餌で、三八〇の人の隣に座った。
匙が動く前に、私は皿を少し引いた。引くと相手の匙が届かなくなる。
「今日はいいです」
その人は匙を止めた。止めてから、自分の皿へ戻した。
「そう」
それだけだった。その人は自分の分を全部食べた。食べ終わるのが、いつもより四分早い。
早く終わった四分を、その人は座って過ごした。皿の縁を匙でならしている。
ならすと、平らになったところに照明が映る。映るのは細い一本で、匙を動かすと消える。
食堂を出る時、掲示板の前をもう一度通った。
右上の画鋲がまた浮いている。押した。今度は押したままにしなかった。
紙の下の三つの文のうち、最後の一つを読んだ。
違反の報告は無い、と書いてある。
次の火曜は六月十五日になる。
その日の読み上げで、あの人の数は三五・六の次に来る。次がいくつかは、来週になれば分かる。
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国立人類保全園 第七園
給餌実績月報(五月分)
作成 飼育部門
決裁 園長
報告先 機構 保全課
一、実績
給餌の回数は延べ一万四千八百八十六回であった。対象は二百四十一名、実施日は三十一日、一日二回による。所定の回数は一万四千九百四十二回であり、欠席の五十六回を控除した。欠席の理由別の内訳は集計していない。
残食の総量は百八十八・四キログラムであった。給餌の総量六千二百七十八・七キログラムに対する比率は〇割三分となった。
二、前年同月との比較
前年五月の残食率は一割一分であった。本年は〇割三分であり、〇割八分の低下となる。
低下は令和二百十一年十二月一日に施行した給餌基準の改定によると認められた。改定では体重を四つの帯に分け、帯ごとに給餌量を定めた。
三、帯ごとの実績
帯 対象 規定量 残食率
体重四十未満 三十一名 三八〇 〇割一分
四十以上五十未満 六十四名 四〇〇 〇割二分
五十以上六十未満 百九名 四三〇 〇割三分
六十以上 三十七名 四六〇 〇割六分
四、留意
第一の帯(体重四十未満)の残食率が最も低かった。当該の帯は高齢個体を多く含み、摂食に時間を要する。残食が少ない点について要因は特定していない。
同帯の平均体重は前年同月比で〇・九キログラム減少した。給餌量は規定どおり支給しており、支給量の不足は認めなかった。
五、通達との関係
通達第四十二号 五は「摂食は個体ごとに完結するものとする」と定める。本月において、当該条項に係る違反の報告は無い。
六、獣医室への回付
本月の回付は二件であった。いずれも前月比で三パーセントを超える減少による。
回付の後の処置は獣医室の所管とした。本月において、給餌量の変更を伴う回付は無い。
七、用具の配付
行動観察に伴う用具の配付は、本月をもって全区画で完了したものとした。配付実績の表は別紙による。
別紙にE区画の行は無い。行の欠落について記録管理室へ照会したが、様式の所管は飼育部門であるとの回答であった。
八、次月の見込み
第一の帯の対象は六月に二名が増える見込みである。増加は他の帯からの移動による。
残食率は現在の水準を維持する見込みである。
八、備考
本月報は月次で機構 保全課へ提出する。提出の後の取り扱いについて、当園への回答は例年無い。
(作成 飼育部門)




