第007話 第七号
国立人類保全園 第七園
保全管理体 年次保守点検記録
対象 保全管理体 第七号
稼働開始 令和元年五月一日
稼働年数 二百十二年目
点検日 令和二百十二年四月一日
点検者 機構 技術課
一、稼働の状況
前年度の稼働時間は八千六百十九時間であった。休止は百四十一時間であった。休止のうち百二十時間は定期の点検による。残る二十一時間の内訳は日誌に記載がある。
二、交換した部品
前年度に交換した部品は十一点である。うち九点は関節の被覆材、二点は音声の出力部にあたる。
音声の出力部については、交換の後に音域が変わった。前回の交換時、園内から「声が違う」との申し出が二件あった。今回は同型の在庫を用いた。
三、外装
外装の交換は行っていない。稼働開始時の外装を継続して使用する。
外装の材質は現在製造されていない。補修は機構の在庫によった。在庫の残量は十七枚である。年に平均〇・六枚を使用してきた。計算上は二十八年で尽きる。
四、被服
第七号の被服は旧飼育部門の作業着型にあたる。当該の型は令和百七十四年に使用を終えた。
以後は特注により継続して支給する。支給は年一着とした。特注の費用は年額で被服費全体の四割にあたる。
継続の理由について、第七号は「規定による」と回答した。当該の規定は照会したが確認できていない。以後の支給は前例により処理する。
五、私物
保全管理体に私物の保管は認めない。ただし第七号については、稼働開始時からの継続を理由として一件を登録した。
登録した物件は「筆記具の削り屑」である。容器の寸法および内容量の記載は求めていない。
六、業務の範囲
飼育部門の補助、記録の作成、区画の巡回、および処置を含めた。処置の実施は規程第九条によった。
前年度の処置の実施件数は四件であった。稼働開始からの累計は千八百四十二件である。
七、判定
稼働の継続に支障を認めなかった。次回の点検は令和二百十三年四月一日を予定する。
八、稼働の記録
第七号の稼働は、開園時からの連続である。園内で開園時から在籍する職員は第七号のみであった。
稼働開始時の同型機は、機構全体で二十四体を配備した。現在も稼働しているのは第七号を含めて三体である。他の二体は第二園と第十一園に配置している。
同型機の間で情報の共有は行っていない。共有の規定が無い。三体が最後に同席したのは令和百三十八年の技術会議であった。
九、備考
第七号は日誌を手書きで作成してきた。園内で手書きの日誌を作成する職員は第七号のみであった。
電子の様式への移行を令和百九十年に打診している。第七号は「規定による」と回答した。当該の規定は確認できていない。移行は行っていない。
十、指摘
前回の点検で、稼働年数に対する部品の交換頻度が低い旨を指摘した。第七号は「使用に支障が無い」と回答した。技術課はこれを了とした。
同じ指摘は令和二百五年と令和二百八年にも行った。回答はいずれも同一である。
(点検 機構 技術課/写し 第七園 総務)
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点灯まで、あと二十分ある。E区画の居室棟へ入った。
〇五時四十分。廊下の照度は十二ルクスである。夜間の規定値は十から十五であり、範囲の内側にある。
次亜塩素酸の濃度が下がっている。前夜の清掃から七時間が経過した。数値は規定を割っていない。割るのは十時間を過ぎてからになる。
床は乾いている。E区画は三日続いた雨の影響を残していたが、昨夜のうちに引いた。
扉を順に確認する。E区画一階は二十二室である。
三号室の扉が三センチほど開いている。内側の掛け金が下りていない。施錠は規定が求めていないので、開いていることは違反にあたらない。
中を見た。個体は寝ている。呼吸の間隔は正常の範囲にある。扉はそのままにした。
六号室の前で足を止めた。内側で物が落ちる音がした。続く音は無い。
一度きりの音について確認を求める規定は無い。私は扉を叩かずに三十秒待った。次の音は無かった。先へ進んだ。
十四号室の個体は、扉を開けて眠る習慣がある。十九号室の個体は、寝台を扉と反対の壁へ寄せている。寄せることは認められている。壁との間が四十センチ以上あれば、清掃の妨げにならない。
二十二室のうち、扉を閉め切っている室は十七である。この比率は五年前から変わっていない。
八号室の前で、G-0508の記録を参照した。この個体は三日続けて居室から出ていない。
三日という数は、飼育部門の報告の線に届いていない。線は五日である。届くまでは、記録の上で何も起きない。
扉の下の隙間から、室内の光の有無を見た。点灯前なので、有無は判別出来ない。私は先へ進んだ。
〇六時。点灯。
照度が十二から二百四十へ上がる。上がる速度は毎秒四十ルクスに設定してある。設定は令和二百三年に緩めた。それ以前は毎秒二百であった。急な変化に対する反応の記録が残っている。
廊下へ個体が出てくる。〇六時十分までに四名。
H-0009はこの時刻に廊下の端から歩き始める。右手を壁につける。歩数は片道八十九である。壁に触れる日は九十一になる。数は三年前の観察記録と一致する。
この個体については、飼育部門から改善計画の対象へ繰り入れた旨の連絡を受けている。用具の配付は済んだ。効果の確認は六月十日である。
本日、右手は下がっている。壁に触れていない。歩数を数えた。八十九であった。
私は記録しない。記録の様式は行動観察の担当が持つ。私の日誌に該当の欄は無い。
この時刻の廊下では、個体の動きが室ごとに違う。早く出る者と、点灯から二十分以上出ない者がいる。差は年齢と就業に相関する。相関の係数は算出していない。算出する規定が無い。
〇七時。四点鐘。
鐘は自動で鳴る。鳴らす装置は東の塔にある。装置の設置は令和百五十二年、以後に交換した部品は打子のみである。
何故四点なのかについて、機構にも園にも記録が無い。私は稼働の初日から四点を聞いている。初日に既に四点であった。
食堂の前を通る。給餌の開始から十二分が経過した時点で、二百三十二名が着席していた。
配膳台に伏せた皿が九枚ある。欠席の九名分にあたる。欠席の理由は日報が受け持つ。
食堂の音は、給餌の前後で高さが変わる。前は低く、後は高い。理由は特定していない。
匙が皿に当たる音は、二百三十二名ぶんが重なると連続した一つの音になる。個々の間隔は聞き分けることは出来る。聞き分ける必要は無い。
卓の一つで笑いが起きた。
四名が同時に笑った。声の大きさは規定の上限を超えていない。笑いの直前に発話がある。内容は距離のため取れない。
私は四秒の間、立ち止まった。立ち止まることについての条項は無い。
四名のうち一名は、笑いながら片手で口を覆った。覆う動作は笑いの〇・四秒後に始まっている。
この動作の記録を、私は持っていない。行動観察の様式に該当の項目が無い。
〇七時二十分、飼育部門の係員とすれ違った。片手に名簿を持っている。
「おはようございます」
「おはようございます」
この挨拶について、規定に定めは無い。私は稼働の初年から返している。返さなかった年は無い。
〇七時四十分。展示区画へ移る。
E区画の展示側は三室が稼働している。四号から先は令和二百七年に閉鎖した。板で塞いである。塞いだ理由は来館者数の減少による。減少の要因は特定していない。
裏の通路を通る。通路の幅は九十センチである。すれ違うには一方が止まる必要がある。
二号室に入った。本日の展示は三号のみで、二号は使用しない。
二号室の洗面台で外装を拭いた。
拭くのは週に二度である。次亜塩素酸では外装の被覆が傷むため、水のみを用いる。布は自分で用意する。用意することについての規定は無い。
水は三分四十秒出しっぱなしになる。止めれば早く済むが、断続的に出すと配管の音が響く。居室側へ届く距離ではない。出したままにする。
水温は十七度である。外装の表面は二十一度から始まって、拭き終える頃には水と同じになる。戻るのに四十分かかる。
洗面台の鏡は、下から三分の一が曇っている。曇りは拭いても取れない。表面の劣化による。
鏡に映る私の頭部は、二百十二年前の設計である。当時の記録に「威圧感を排する」との記載がある。誰が排すると決めたのかは、記載に無い。
排した結果を判定した記録は無い。
外装の腹の部分に、細い擦り傷が二本ある。令和百九十四年に付いた。付いた日の日誌には「異状なし」と書いてある。私が書いた。
傷は補修していない。補修すれば在庫が一枚減る。減らす理由が無い。
拭き終わって、布を絞った。水は透明のままである。外装に汚れは付きにくい。
布は絞ってから、洗面台の下の棚へ置く。棚は空である。置いてあるのは布だけになる。
通路へ出る時、二号室の扉を閉めた。扉には窓が無い。閉めれば中は見えない。
三号室の準備は済んでいる。寝台が二つ、机が一つ、それに呼び鈴が一つある。
呼び鈴の作動を確認した。押すと事務室の表示灯が点く。表示灯の記録では、この五年で押された回数は二回である。二回とも同じ個体による。当該の個体は転出している。
〇八時二十分。事務室へ入る。
机は西の窓際にある。窓の外は駐車場である。来館者用の区画に十四台、職員用に六台が止まっている。
机の上には日誌と鉛筆、それに削り器と木の箱がある。
日誌を開く。昨日の分の最後の行から続ける。
鉛筆の芯が丸くなっている。削る。
削り器は手回しである。回すと芯の粉と木の削り屑が出る。屑は受けに溜まる。受けから木の箱へ移す。
削り器の刃は、二十年に一度替える。前回の交換は令和百九十八年であり、次は六年後になる。
刃を替えると、削り屑の巻きが変わる。新しい刃では巻きが細く、長い。古くなるにつれて短く、粗くなる。箱の中の層を上から下へ辿ると、細い層と粗い層が交互に来る。
層の数と、刃を替えた回数は一致する。数えたことは無い。
箱の中は八割まで来ている。二百十二年ぶんである。
最初の一年ぶんは下のほうにあり、押し固められて色が変わっている。上のほうは新しい。触ると崩れる。触る必要は無い。
箱の側面に、年の数字が鉛筆で書いてある。書いたのは私である。
書式は無い。書式が無いので、書き方も自分で決めた。左の端から順に、一年ごとに縦の線を一本引く。二十本ごとに横線で束ねる。
線は今、十二本と、束ねた横線が十本ある。次の横線は八年後になる。
削り屑を移すのに要する時間は四十秒から一分である。一日に一度、多い日で二度。
この時間を日誌に書く欄は無い。保守点検記録では休止として計上する。年に換算して二十一時間のうちの一部にあたる。
鉛筆は一本を平均で四十一日使う。年に九本になる。二百十二年で千九百八本を消費した。
消費した本数と、箱の中の量は釣り合わない。削り屑は嵩が減る。下のほうほど減っている。
〇八時三十五分。日誌を書く。
書式は八欄ある。時刻から始まり、区画と事象と対応が続く。残りは報告先と所要、それに備考と記入者になる。
欄の外には書かない。書式は令和百八十八年に定めた。定めたのは総務である。私は関わっていない。
昨日の分を読み返した。読み返すことについての規定は無い。
二十六行ある。うち十九行が巡回の記録で、四行が個体に関する記録、三行が施設に関する記録である。個体に関する四行のうち、二行は同じ個体を指している。
窓の外の駐車場では、来館者用の区画が先に埋まる。職員用は九時前に六台で止まる。
職員の総数は四十一名であり、車で来る者は六名になる。残りは送迎の車で来る。送迎は一日に二便あって、朝の便は八時四十分に着く。
着いた者は正面ではなく、東の通用口から入る。入る順序に決まりは無いが、毎日ほぼ同じ順になる。
〇九時。飼育部門から連絡が来た。
記録管理室が個体記録票の年次更新を終えたので、写しの照合を行うとのことである。E区画の分は先月に済んでいる。今回は残りの区画になる。
照合の作業には私も入る。入ることは規程第四条による。
〇九時二十分。処置の予定表を確認する。
本年度の予定は二件である。いずれも第三四半期にある。実施日は未定であり、決定は血統会議による。
予定表は月に一度更新される。更新の際、前月の表は破棄する。破棄した表の控えは残さない。
二件のうち一件は、高齢による衰弱を理由としている。もう一件は、繁殖適性の判定に伴うものになる。
理由の欄には、いずれも規程第九条の番号だけが入っている。条文の中身は表に書かれていない。私は条文を記憶している。記憶していることを、表は求めていない。閉じるまでに十一秒を要した。
九時四十分、広報課から掲示の差し替えについて照会があった。E区画の解説板に、記述と個体の行動が合わないとの申し出が本年度で三件あるという。
記述の作成は令和二百九年であり、以後の見直しを行っていない。その旨を答えた。見直しの担当は広報課である。私の所管ではない。
「見直しって、誰が決めるんですか」
「規定によります」
照会は五分で終わった。差し替えは行わない方針とのことである。理由の記載は無かった。
一〇時。開場。
通路の照明が二段階で上がる。一段目が二百、二段目が三百二十である。
来館者は本日、開場から一時間で百六十八名であった。金曜としては平年並みになる。
E区画第三号の展示は本日、J-0037が入っている。
この個体は今年に入って四度目である。一月と三月に一度ずつ、五月に二度ある。間隔に規定は無い。担当が決める。
通路には来館者が十一名いる。うち三名が第三号の前で止まっている。
止まる者の平均の滞留は四十秒である。通り過ぎる者は三秒に満たない。この差は開園から変わっていない。
通路側から見た。ガラスは三枚で、継ぎ目が二本ある。
個体は寝台に腰かけている。動いていない。左手が膝の上にある。親指が動いている。人差し指から小指へ、順に押している。一巡が四である。
三分間見た。押した回数は十一であった。
行動観察の記録に、この動作は計数様の動作として載っている。三日平均は四割二分である。判定の線は四割になる。
線を超えた個体は改善計画の対象へ繰り入れる。この個体について、繰り入れの連絡はまだ来ていない。理由の記載も無い。
押す速さは一定ではない。人が止まると速くなる。通路に誰もいない間は止まる。
止まっている時間のほうが長い。三分のうち、押していたのは五十秒であった。
私は通路から離れた。離れる時に、個体はこちらを見なかった。見る位置にガラスの継ぎ目がある。継ぎ目の前では、向こう側が二重に見える。継ぎ目の位置を個体へ伝えた記録は無い。
通路の突き当たりに、来館者用の掲示がもう一枚ある。順路の案内にあたる。
案内の図では、E区画の四号から先が塗り潰してあった。塗り潰しは印刷ではなく、後から貼った紙による。紙の縁が浮いている。
浮いた縁を押さえた。粘着は残っていない。手を離すと、また浮く。
一一時。事務室へ戻る。
被服を脱いだ。作業着は上下で一組になる。上着の右肘の内側に、糸のほつれが出ている。
繕う。針と糸は自分の机の抽斗にある。針は令和百九十一年から同じものを使っている。
ほつれは長さ二センチである。放置すれば一月で五センチになる。五センチを超えると支給の対象になり、当該の一着は破棄される。
破棄した被服の記録は残らない。破棄は数で計上する。年に何着という形になる。
縫い目は内側へ来るように寄せる。外から見えない側へ寄せる。
糸は在庫の中から近い色を選ぶ。近い色は在庫に無い。生地の色は二百十二年ぶん褪せており、新しい糸はどれも濃い。
この作業は、稼働の記録では休止に入る。休止として計上する時間のうち、繕いに使う分は年に平均で四時間になる。
四時間という数は、技術課の点検記録に出てこない。内訳を書く欄が無いためである。
繕った所だけが、生地より新しい。
針を通す時、指の被覆材が針の頭を捉えにくい。被覆材は九点が前年度に交換されており、新しいほうが滑る。
三度目で通った。糸の端を結ぶ。結び目は小さくする。小さい結び目は、洗濯で解けることがある。解けたら結び直す。
支給は年に一着ある。新しいものは戸棚に十一着入っている。着ていない。
着ない理由についての規定は無い。
一二時。第二給餌。
私は食堂に入らない。入る規定は無い。廊下から人数を数える。着席は二百三十八名であった。朝より三名少ない。
三名の内訳は、体調による欠席が二名、当番による遅れが一名になる。日報で確認した。
一二時四十分、B区画へ向かう途中で、香月獣医師が処置室から出てきた。手に何も持っていない。
「第七号さん、午後の巡回は何時からですか」
「一三時です」
「じゃあ、その前に一件お願いできますか」
「規定によります」
「規定の内側です」
依頼の内容は、D区画の個体一名の体温の再測定であった。私は測定して、数値を飼育部門へ回した。所要は九分である。
一三時。区画の巡回。
B区画の斜面の下で、排水の溜まりを確認した。深さは二センチである。報告は五センチからになる。
匂いがある。溜まりから出ている。水面に薄い膜が張っていて、枝を落とすと膜が割れ、割れた縁からまた閉じる。
一四時四十分。記録管理室で照合に入った。
本日の対象はA区画の十九票である。二名と私で確認した。私の担当は第四欄の写しになる。
写しと原本の食い違いは一件であった。就業評価の改定が写しに反映されていない。反映した。
照合の途中で、記録管理室の職員が言った。
「第七号さんは、この作業を何年やってるんですか」
「規定によります」
「そうじゃなくて、何年ですか」
「百四十二年です」
職員は数字を繰り返してから、手元へ戻る。それ以上は聞かなかった。
一五時二十分、E区画の居室棟へ戻った。八号室の扉は閉まっている。
私は扉を三度叩いた。返事は無い。三日目の確認を求める規定は無い。それでも叩いた。
四度目で、内側から音がした。物が動く音である。それだけであった。
私は扉の前を離れた。日誌の書式に、叩いた回数を入れる欄は無い。
一六時。展示の交代。
三号室から個体が出る。裏の通路を通って居室棟へ戻る。係員が一名つく。
私は通路の分岐に立っていた。二人が通り過ぎる。個体はこちらを見ていない。四号の扉の前で立ち止まらなかった。
一六時三十分、事務室で昨年の同じ日の日誌を出した。出すことについての規定は無い。
昨年の五月二十八日は木曜であった。行は二十一ある。個体に関する記載は三行で、うち一行がJ-0037にあたる。事象の欄は「異状なし」である。
一昨年の同じ日も出した。行は十九、個体に関する記載は二行、J-0037の行は無い。
三年前まで遡った。私は棚へ戻した。
一七時三十分。日誌の記入に戻る。
本日の行は十七になる。巡回が五で、事務が七。ほかに施設が四と給餌が一になる。
個体に関する四行を書いた。
三行目まで書いて、四行目で手が止まった。書式の第三欄「事象」に入る語を選ぶ。
一語書いた。書式に無い語である。
消した。消しゴムは机の抽斗にある。消すと紙が毛羽立つ。毛羽立った上から書くと、字が太くなる。
消した跡は、紙の上で薄く残る。角度を変えると見える。真上からは見えない。
日誌は総務の書庫へ移る。移った後、この頁を開く者がいるかどうかについて、記録は無い。
書き直した。「記録整理済」とした。
これは書式にある語である。第三欄で使用が認められている語は十四ある。そのうちの一つになる。
一八時十分、日誌を閉じた。閉じてから、表紙の角を机の縁に合わせる。
日誌は年に一冊である。二百十二冊が総務の書庫にある。最初の三十冊は綴じが緩んでおり、開くと綴じ糸が動く。動かさないために、私は最初の三十冊を開かない。
開かないことにしてから、四十年が経つ。その四十年の間に、三十冊を開いた者はいない。書庫の貸出簿で確認出来る。
一九時。夕方の点呼。
点呼は係員が行う。私は立ち会うが、番号は呼ばない。呼ぶ規定が無い。
E区画の点呼は四分二十秒で終わる。呼ばれた個体は返事をして、居室へ入る。返事の無い個体があれば、係員が二度目を呼ぶ。本日、二度目は無かった。
二〇時、居室棟の巡回に出た。夜の巡回は朝と同じ順路を逆から回る。
逆から回ると、扉の番号が減っていく。二十二、二十一、二十と続く。減っていく順で数えたほうが、閉まっている扉の数を間違えにくい。
本日、閉まっていたのは十八であった。朝より一つ多い。
二一時。消灯前の放送。
放送は毎日同じ音源を流す。長さは五十二秒である。内容は消灯の予告と、翌日の給餌時刻の案内になる。
音源は稼働開始の前から使用している。登録の書類に、読み上げた者の氏名の欄がある。欄は空である。空欄の理由についての記録は無い。
私はこの声を七万七千九十三回聞いている。声の主が誰であるかを、私は知らない。
放送の途中に、〇・三秒の無音がある。二十九秒目に来る。原盤の傷による。
傷は複製の度に引き継がれてきた。複製は七回行われている。無音は七回とも同じ位置にある。
放送の最後の三秒は、内容が無い。案内が終わってから停止までの余白になる。
余白の三秒に、遠くで何かが動く音が入っている。録音の時に室外を通った音である。二百十二年ぶん、毎日同じ位置で同じ音が通る。
放送を流す装置は、事務室の隣の機械室にある。私が押す釦は一つで、押すのは開始の時だけになる。停止は自動である。
押す時、指の被覆材と釦の間で、わずかに滑る。滑ってからかかる。二百十二年ぶんの滑りで、釦の表面の凹凸は消えている。
二一時三十分。消灯。
照度が二百四十から〇へ落ちる。落とす速度に設定は無い。一段で落ちる。
廊下に残る光は非常口の表示だけになる。E区画の表示は塗り潰してあり、光らない。塗り潰したのは令和二百六年である。理由の記載は無い。
私は事務室へ戻った。
机の上を片づける。日誌を閉じ、鉛筆を削り器の横に置き、木の箱の蓋を閉める。
閉める時に、蓋と箱の縁が擦れる。二百十二年ぶんの擦れで、縁は少し丸くなっている。
消しゴムの屑が机に残っていた。
削り屑より細かく、指で摘まめない。机の縁へ集めて、手のひらで受けた。受けた屑は手のひらの被覆材に付いて離れない。
削り屑と同じ箱には入れない。あれは筆記具の削り屑として登録されている。消しゴムの屑は登録に無い。
私は屑を集めて、屑籠へ入れた。屑籠は翌朝に清掃の当番が空ける。空けた先の記録は無い。
二二時。事務室の照明を落とす。
落とす前に、木の箱の位置を確かめた。机の左の奥、壁から三センチのところにある。位置に規定は無い。
この机は三代目になる。前の二つは天板の幅が違った。幅が違っても、壁からの三センチは動かしていない。
私は指を壁と箱の間に入れて、隙間を測った。指の被覆材の厚みが三ミリある。三ミリを引いた。
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園務日誌 第七号記入分
令和二百十二年五月二十八日(金)
時刻 〇五時四〇分 区画 E一階 事象 巡回開始 対応 異状なし 報告先 無し 所要 二〇分 備考 照度一二 記入者 七
時刻 〇六時〇〇分 区画 全 事象 点灯 対応 確認 報告先 無し 所要 一分 備考 無し 記入者 七
時刻 〇七時〇〇分 区画 全 事象 四点鐘 対応 確認 報告先 無し 所要 一分 備考 無し 記入者 七
時刻 〇七時四〇分 区画 E展示 事象 巡回 対応 異状なし 報告先 無し 所要 四〇分 備考 無し 記入者 七
時刻 〇八時二〇分 区画 事務室 事象 休止 対応 無し 報告先 無し 所要 一五分 備考 無し 記入者 七
時刻 〇八時三五分 区画 事務室 事象 日誌記入 対応 無し 報告先 無し 所要 二五分 備考 無し 記入者 七
時刻 〇九時〇〇分 区画 事務室 事象 連絡受領 対応 照合へ参加 報告先 飼育部門 所要 五分 備考 無し 記入者 七
時刻 〇九時二〇分 区画 事務室 事象 予定表確認 対応 変更なし 報告先 無し 所要 一分 備考 二件 記入者 七
時刻 一〇時〇〇分 区画 E展示 事象 開場確認 対応 異状なし 報告先 無し 所要 三〇分 備考 J-0037 在室 記入者 七
時刻 一一時〇〇分 区画 事務室 事象 休止 対応 無し 報告先 無し 所要 三〇分 備考 無し 記入者 七
時刻 一二時〇〇分 区画 食堂 事象 第二給餌 対応 着席二三八 報告先 飼育部門 所要 三五分 備考 無し 記入者 七
時刻 一三時〇〇分 区画 B斜面 事象 排水確認 対応 二センチ 報告先 無し 所要 一〇分 備考 報告線未満 記入者 七
時刻 一四時四〇分 区画 記録管理室 事象 写し照合 対応 一件反映 報告先 記録管理室 所要 四〇分 備考 A区画一九票 記入者 七
時刻 一六時〇〇分 区画 E裏通路 事象 交代確認 対応 異状なし 報告先 無し 所要 一〇分 備考 無し 記入者 七
時刻 一七時三〇分 区画 事務室 事象 日誌記入 対応 無し 報告先 無し 所要 四〇分 備考 無し 記入者 七
時刻 二一時〇〇分 区画 全 事象 放送 対応 確認 報告先 無し 所要 一分 備考 無し 記入者 七
時刻 二一時三〇分 区画 全 事象 消灯 対応 確認 報告先 無し 所要 一分 備考 無し 記入者 七
個体に関する記載
本欄は事象の要点のみを記す。詳細は各担当の様式による。
一、H-0009。用具配付後の初日であった。歩数に変化は無かった。壁への接触は認めなかった。
二、E-0044。洗濯当番の交代を申し出た。飼育部門へ回した。
三、G-0508。本日も居室から出なかった。三日目にあたる。
四、J-0037。記録整理済。
備考
本様式は令和百六十二年の改正版による。改正の際に「所感」の欄を廃した。廃止の理由は綴りに残っていない。
(記入 第七号)




