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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第二章 等級

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18/22

第018話 五郎の愛想笑い

国立人類保全園 第七園

資料館 標本目録(抄)


作成 資料館

作成日 令和二百十二年四月一日


一、登載の状況


本目録に登載した標本は四十一体であった。うち展示室に置いているのは十九体、収蔵庫は二十二体である。


最も古い登載は令和百四十四年、最も新しいものは令和二百六年であった。


二、登載の区分


 区分 体数 展示 収蔵

 全身 六  四  二

 頭部 十一 七  四

 骨格 十四 五  九

 部分 十  三  七


三、由来


登載の由来は、いずれも死亡後の処置によった。


志願による標本の登載は、開館以来無い。


四、説明板


説明板には、部門名と在籍の年数を記載する。氏名および個体番号は記載しない。


記載しない旨は令和百六十一年に定めた。同年の決定の綴りは、保存年限を超えて廃棄している。


前年度、来館者から説明板の記載について問い合わせが一件あった。内容は「この人は誰か」であった。回答は「記載しておりません」とした。


五、保存の状態


展示室の十九体について、年に一度の点検を行っている。前回は本年一月であった。


点検の項目は、表面の劣化、支持具の緩み、説明板の破損の三つとした。三つとも異状を認めていない。


支持具は開館時のものを継続して使用してきた。交換の実績は無い。交換を要する旨の判定が出ていないためである。


収蔵庫の二十二体については、展示中の分の点検に併せて行う取り扱いとした。前回の点検は令和二百四年であった。


六、来館者の動線


順路は一方通行とした。逆行の申し出は本年度に十四件あり、いずれも認めていない。


理由の記載は開館以来の綴りに無い。


七、標本の作製


作製は外部の事業者へ委託していた。委託は令和二百六年をもって終了した。


終了の理由は、当該事業者の廃業によるものであった。以後の委託先は選定していない。


選定を要する事案が発生していないためである。令和二百六年以降の新規の登載は無い。


八、収蔵庫


収蔵庫は資料館の地下にある。面積は八十七平方メートルであった。


温度および湿度は、建物の空調の設定によることとした。設定は資料館の全体で一つである。


前回の点検において、二体について表面の劣化を認めた。処置は行っていない。処置の所管が定まっていないためである。


九、備考


本目録は年に一度作成する。前年度からの増減は無い。


増減が無い年度が七年続いている。


(作成 資料館/写し 総務課)


──────────────────


 八月十四日は土曜だ。土曜は多い。

 多い日は五人が並ぶ。並び方は朝、係員が決める。決め方は聞いていない。


 私は端から二番目だった。真ん中はA-0114のことが多いが、今日は違う人だった。

 A-0114はA区画の広場にいる日があると聞いた。聞いただけで、確かめる方法は無い。


 朝は五時半に目が覚めた。点灯より三十分早い。

 早く覚めるのは土曜だからだと思う。土曜は体のほうが先に起きる。起きても点灯までは動かない。動くと廊下で音が出る。


 寝台の縁に座って、足の裏を床に付けた。床は温い。

 温いのは八月だからで、四月は冷たかった。同じ樹脂の床が、季節で温度だけを変える。ほかは何も変わらない。


 点灯を待つ間、私は手を見た。

 指の腹に細かい皺がある。皺は洗った後に濃くなる。乾くと薄くなって、次に洗うとまた濃くなる。

 昨日の皺と今日の皺が同じかどうかは、比べる方法が無い。写しを取る道具を私は持っていない。


 六時に明かりが入る。廊下側が二秒遅れる。

 起きて、名札を付けた。夜の間は枕の横に置いてある。付ける向きは決まっている。字が外を向く。


 控室に入ると、石鹸が新しくなっていた。

 真ん中がまだへこんでいない。角が四つとも立っている。指で押すと跡が付く。付いた跡は乾くと薄くなるが、消えはしない。


 手を洗う。三度洗う。四度目はしない。

 水は八月でも冷たくない。四月は冷たかった。腕を出したままで数えると、あの頃は二十まで我慢出来た。今は数える意味が無い。


 石鹸の匂いは新しいうちだけ強い。

 嗅ぐと鼻の先で止まる。奥まで来ない。来ないので、洗い終わると消える。


 減ってくると匂いが変わる。変わるというより、石鹸の匂いに手の匂いが混ざる。

 混ざったほうは奥まで来る。三度洗っても、指の股のところに残る。残る匂いのほうが、私には長く分かる。


 隣で年上の男が洗っている。この人はよく笑う。洗いながら笑い、水を止めてからも笑っている。

 三年、隣で洗っている。


「今日は多いねえ。朝から並んでたよ」

「多いです」

「土曜だからねえ。みんな来るんだよ」


 この人は手を拭かない。振って乾かす。振ると水が飛ぶ。飛んだ水が私の腕にかかる。かかっても謝らない。笑っている。


 控室の椅子は六脚ある。今日は五人なので一脚空く。

 空くのはいつも窓の下の一脚だ。窓の下は午前だけ日が当たる。午前は私たちが広場にいるので、座る者はいない。


 流しの縁には水の跡が輪の形で残っている。乾くと白くなる。拭く布は掛かっていない。

 輪は一つではない。三つ重なっていて、重なったところだけ白さが濃い。誰かが手で拭った跡が、一番外の輪の一部を切っている。


 切れた側から、次の輪が重なる。今朝はまだ切れていない。今日の最初に洗ったのが私だからだ。

 最初に洗った日は、輪の形が私の手の大きさで決まる。決まっても、昼にはもう別の形になっている。


 控室にはほかに三人いた。三人とも黙っている。

 午後にまた声を使うからだ。声は使うと減る。減った分は夜まで戻らない。戻らないので、午前は使わないようにする。


 これは誰かが決めたのではない。決まっていないのに、ここにいる者は全員そうしている。


「五郎さん、これ」

 誰かがそう言って、布を渡した。渡されたのはこの人だった。


 五郎、という音を、私はその時に聞いた。

 三年隣で洗っていて、私はこの人の名を聞いたことがない。聞かなかったのは、聞く形の言葉を持っていなかったからだ。


 名前は紙に載らない。載るのは番号だけだ。

 名前があることは知っている。すずにもあるし、私にもある。私の名は千二百四票のうちの一つで決まった。


 この人の名がどうやって決まったのかは、私は知らない。

 知らないままでも、私は今日から五郎さんと呼べる。呼ぶ用があるかどうかは別だ。


 十時に広場へ出た。

 マットは日を受けている。朝一番は冷たいが、今日はもう温い。座ると腿の裏から温さが来る。


 温まったマットは匂う。合成の繊維が日に当たると出る匂いで、埃とは違う。

 午前の間に強くなって、日が回ると薄くなる。薄くなる頃に、今度は人の匂いのほうが強くなる。

 人の匂いは手から来る。手は一人ずつ違う。違うのに、三百を過ぎると一つの匂いだ。


 名札は背中に付ける。字が外を向く。自分では読めない向きだ。

 背中の名札は触られると擦れる。擦れるので月に一度替わる。今月の分は先週替わった。


 十時七分に最初の手が来た。

 子どもの手だ。指が短くて、爪が丸い。頭に置いて、二度なでて、離れる。離れる時に髪が一本引かれた。


 次に来たのは大人の手だった。大人の手は迷う。置く前に一度止まって、それから置く。

 止まる時間は人によって違う。短い人は半秒、長い人は三秒ほどだ。長い人ほど、置いた後に長く置いている。


 手のひらの温度は人によって違う。私より温かい手と、冷たい手がある。

 冷たい手のほうが多い。館内が涼しいからだと思う。入ってきたばかりの人の手は外の温度をしている。しばらくいた人の手は館内の温度だ。


 だから手を触られると、その人が入ってきてからどれくらい経ったかが分かる。

 分かっても、言う相手がいない。誰も聞かない。


 髪を触る人と、腕を触る人がいる。頭に置く人が一番多い。

 肩に置く人は少ない。肩に置くと、こちらの体が動くのが分かるからだと思う。動くのが分かると、触っている人のほうが手を引く。


 午前は百六十四あった。数えた。

 数えると時間が減る。減らないが、減ったように感じる。感じるだけで、時計は同じ速さで進む。


 数えるのは口の中でやる。声には出さない。

 出さないので、途中で誰かに話しかけられると分からなくなる。今日は二度あった。二度とも十の位から数え直した。


 五郎さんは私の三つ隣にいる。端だ。

 端は多い。入ってきた人が最初に触るのは端だ。前に数えた時もそうだった。端の日は数が伸びる。


 この人の前には列が出来る。出来るのは、この人が笑っているからだと思う。

 笑っている人の前には人が立ちやすい。立ってから触るまでの間が短い。短いぶん、次の人が早く来る。


 列は三人までしか続かない。四人目になると、後ろの人が別のところへ流れる。

 流れた先は真ん中だ。真ん中は見えやすい位置にあって、写真を撮る人はそこで撮る。


 写真は撮ってよい。光るのは駄目だと決まっている。

 光った人には係員が声を掛ける。今日は二度あった。二度とも同じ人ではない。


 声を掛けられた人は、掛けられた後で一度こちらを見る。見て、それから機械をしまう。

 しまう動作は速い。見られていることが分かるからだと思う。


 私の前に立った人のうち、四人が私の背中へ回った。

 背中には名札がある。字が外を向いているので、回れば読める。読んで、それから前へ戻ってくる人がいる。


 戻ってきた人は番号を口に出さない。読んだのに言わないでいる。

 言わない理由を、私は聞いたことがない。前に一度、読んでから「これ、なんて読むの」と連れの人に聞いた人がいた。連れの人は「番号でしょ」と答えた。それだけだった。


 十二時に一度外される。三十分ある。


 控室に戻って、また洗う。三度。

 石鹸は朝より減っている。真ん中に浅いへこみが出来ていた。朝は無かったものだ。


 五郎さんは椅子に座って、両手を膝に置いている。

 手のひらを上に向けている。上に向けているのは、下に向けると膝に付くからだと思う。付くと熱がこもる。


 私はその向かいに座った。向かいに座ったのは初めてだ。

 いつもは隣で洗って、洗い終わったら別の椅子へ行く。今日は空いている椅子が向かいしか無かった。


 向かいだと顔が見える。

 この人の目尻には線が五本ある。三本ではない。五本のうち二本は短くて、外側の三本より浅い。


 笑うと線が動く。動くのは深いほうの三本で、浅い二本は動かない。

 笑うのをやめると、深い三本が戻る。戻るのに三秒かかる。三秒経つと笑う前の形だ。


 私は自分の目尻を指で触った。線は無い。押すと折れて、離すとすぐ戻る。

 戻るのに一秒もかからない。この人のは三秒かかる。差は二秒だ。


 二秒の差が何処から来るのかは、見ているだけでは出せない。

 出せないので、私は戻る時間だけを覚えた。三秒と、一秒より短い何か。二つを並べて置いておく。


 笑う前の形を、私は見ていなかった。


 この人が笑うのをやめる瞬間を待った。待っている間、この人は何も言わない。私も言わない。

 三十分のうち、笑っていない時間があった。水を飲んでいる時だ。飲む時は口が塞がる。塞がると笑えない。


 飲み終わった。口が空く。


 この人の口の端は、笑う前から上がっている。


 左が少し高い。右も上がっているが、左のほうが高い。差は目盛りにすれば一つ分ほどだ。

 上がったままで、この人は水の器を置いた。置いてから、笑った。笑うと左右の差が減る。減って、また戻る。


「顔、見てるね」

「見ています」

「そんなに面白い顔してる?」

「面白くないです」

「正直だねえ。もうちょっと嘘ついてくれてもいいのに」


 この人は笑う。私も少し笑った。


「何年ここにいますか」

「二十年になるよ。今年でちょうど二十年」

「二十年」

「二十年。数えてないけど、紙に書いてある」


 この人は自分の膝を見た。膝は日に焼けていない。腕と首は焼けている。広場のマットに座ると、膝から下は前の人の影に入る。


「一日に何回くらいですか」

「三百くらいかなあ。多い日はもっといくよ、たぶん」

「三百」

「聞いたのは十年前でね。今は数えてない」


 三百に二十年を掛ける。一年を三百日として、二百十九万だ。

 二百十九万という数を、私は置く場所を持っていない。私の数はいつも一日で終わる。


 一日で終わる数は、夜に一度並べて、朝には消える。

 消えるので、翌日また数える。数え直すことに手間はかからない。手間がかからないのは、前の日の数を持ち越さないからだ。


 持ち越すとどうなるかを、私は考えたことがなかった。

 二百十九万は持ち越した数だ。持ち越して、紙にも載っていない。この人はそれを覚えていないと言った。


「数えてないんですか」

「途中でやめちゃったんだよ」

「いつですか」

「十年目くらいかなあ。数えると増えるでしょ」

「増えます」

「増えるのが分かると、ちょっとねえ」


 この人は笑う。笑ってから、両手を膝の上で組み替えた。


 午後、また出た。

 午後は二百七あった。合わせて三百七十一だ。土曜としては多い。


 午後は日が回って、マットの半分が影に入る。

 影の側は温くならない。座る場所は朝に決められているので、影に入った人はそのまま影にいる。私は今日、影の側の端だ。


 影と日向の境目は、二時ごろに私の膝のところを通る。

 通る速さは目で追えない。膝の上を見ていて、目を離して戻すと、境目は腿の付け根のあたりにある。


 境目が体を通る間、片方の腿だけが温い。もう片方は温くない。

 温い側と温くない側で、触られた時の感じ方が違う。温い側のほうが手を冷たく感じる。同じ手でも違う。


 三時ごろに、五郎さんの前で子どもが泣いた。

 泣いた理由は分からない。触ろうとして、触る前に泣いた。母親が抱き上げて、少し離れたところで宥めている。


 五郎さんは笑ったままだった。

 笑ったままで手を膝に置いて動かさない。動かさないのは、動かすと子どもがもっと泣くからだと思う。


 母親が謝る。誰にでもなく、広場のほうへ向かって謝った。

「すみません、ごめんなさい、この子まだ小さくて」

 五郎さんは笑ったままで、いいですよ、と言った。言い方は朝に土曜だからねえと言った時と同じだ。


 母親は係員のほうを見た。係員は台のところにいて、こちらへ来ない。

 来ないのは、来る規定が無いからだと思う。泣いた子どもについて何かをする欄は、係員の持っている紙には無い。


 子どもは戻ってこなかった。母親が抱いたままで出口のほうへ行った。


 出口までの間に、その子はもう一度こちらを見た。見て、また顔を伏せた。

 伏せる時に、母親の肩に額が当たる。当たる音は聞こえない。距離が七メートルほどある。


 列は止まらなかった。次の人が来て、私の頭に手を置いた。

 置いた人は泣いた子どものほうを見ていない。見ていないのは、入ってきたばかりで見ていなかったからだ。

 その人にとって、ここは何も起きていない場所だ。


 五郎さんは私のほうを見た。見て、また笑った。

 その笑いは子どもが来た時のものと同じ形をしていた。同じ形なのに、間に泣かれたことが入っている。


 四時三十七分に外された。

 外される時、係員が私の欄に何かを書き足した。書き足す時、係員はこちらを見ない。


 書き足す長さは、日によって違う。今日は長かった。

 長い日が何を意味するのかを、私は三年見ていて出せていない。多い日に長いこともあれば、少ない日に長いこともある。


 立つ時に、膝が固まっている。座っている時間が長い日はそうなる。

 伸ばすと音がする。音は骨のほうから来る。痛くはない。痛くないので、伸ばしてから歩き出すまでに二歩ぶん余分にかかるだけだ。


 控室に三度目に戻る。

 石鹸のへこみが深くなっている。朝の跡はもう無い。私の指の跡も、誰かの指の跡に消されている。


 流しの輪も増えていた。朝は三つで、今は五つある。

 五つのうち二つは新しい。新しいほうは縁がまだ濡れていて、白くなっていない。乾くと白くなって、三つのほうと見分けが付かなくなる。


 見分けが付くのは、乾くまでの間だけだ。乾くのに十分ほどかかる。

 十分の間に誰かがまた洗えば、輪は六つだ。六つ目が乾く頃には、私はもういない。


 窓の下の椅子には、まだ日が当たっていない。当たらないまま夕方だ。

 それでも誰かが、その椅子の向きを窓のほうへ直してある。今朝も直っていた。直す人を私は見たことがない。


 五郎さんは洗い終わって、椅子に座っていた。

 三度目の洗いの後は、この人も少し遅い。手を振る回数が朝より多い。朝は四回で、今は七回だ。


「あんた、まだ貯めてるんでしょ?」

 私は手を止めた。


 三年前に、同じ人に同じことを聞かれている。あの時は何を買うのかを聞かれて、私は答えなかった。

 答えなかったら、この人は「言わないってことは、決まってるってことだよ」と言って、それきり聞かない。


「貯めています」

「今どれくらいになった?」

「百二十七枚です」

「おお、そんなにいったの」


 この人は笑った。笑ってから、指を折り始める。折り方が速い。

「あと何枚で足りるの?」

「七十三です」

「じゃあ二百だね。切りがいいや」


 二百と言われた。私は言っていない。

 この人は指を折っただけで二百を出した。出してから、それが何なのかは聞かなかった。


「いい数字だねえ。覚えやすくていい」

「はい」

「二百までいったら、教えてくれる?」

「はい」


 この人は椅子の背に凭れた。凭れると椅子が鳴る。

 鳴ってから、この人は天井を見た。天井には何も無い。照明が二つ並んでいて、片方は少し暗い。


「俺もね、出してるんだよ」

「何をですか」

「志願書。毎年出してる」


 志願書という語を、私はその時に知った。


「何の志願ですか」

「標本だよ。資料館に並んでるやつ」

「標本ですか」

「そう。あれになりたくてね」


 資料館へは入ったことがない。段の三段目までは上がった。四段目からが券だ。

 中に何があるかは、外から見た限りでは分からない。ガラスの向こうに台がいくつか並んでいるのは見えた。


「入ったことないんだ?」

「ありません」

「じゃあ見たことないか。並んでるんだよ、人が」


 この人は両手を広げて、立っている形をした。広げた手はすぐ下ろす。

「ずっと同じ格好でね。動かないの」

「動かないんですか」

「動かない。動かないから、ずっといられる」


 この人は笑っている。笑い方は変わらない。


「毎年出すんですか」

「毎年出してるよ。今年で二十回になるかな」

「返事は」

「返事はねえ、来たことがないんだよ」


 来ないねえ、のところも笑っていた。

 笑い方は今日のほかの時と同じ形をしている。子どもが泣いた時と同じで、水を飲む前と同じだ。


「来ないのに出すんですか」

「出さないと、無いことになるでしょ」


 この人は膝の手を組み替えた。組み替えてから、少し前へ出る。


「消えるのはさ、順番が回ってきたら終わりなの。誰も見ないの」

「はい」

「飾られるほうがいいと思わない? 名前は書かないらしいけどね」

「名前は書かないんですか」

「部門と、年数だけ。ふれあい部門、二十年って」


 この人はそう言って、また笑った。

「それでも残るでしょ。二十年って書いてあれば、二十年やった人がいたってことになる」


 私は何も言わなかった。

 言わなかったのは、言う言葉が出てこなかったからで、返事が要らない話に聞こえたからでもある。


「並んでる人は、笑ってますか」

 私は聞いた。

 この人は少し黙った。黙っている間も笑っている。


「見たことないんだよ、俺も」

「入ったことが」

「無いねえ。俺も券が要る側だからね」


 この人も二百枚を持っていない。ふれあいの歩合は接触の数で付く。

 一日に三百触られる人の歩合が、二十年でどれだけになるのかを、私は計算しかけてやめた。やめたのは、この人が今その話をしていないからだ。


「じゃあ、どうやって知ったんですか」

「聞いたの。前にいた人から」

「その人は見たんですか」

「見たって言ってたよ。本当かどうかは知らないけど」


 その人の番号を、この人は言わなかった。私も聞かなかった。

 聞かなかったのは、聞いても私が確かめられないからだ。


「あんたも出す? まだ早いか」

「早いです」

「そうだねえ。あんたはまだ早いねえ」


 係員が入ってきて、板ばさみに何か書いた。私たちのほうは見ない。書いて、出ていく。

 板ばさみの紙は何枚も重なっていて、係員はいつも二枚目に書く。一枚目には何も書かない。


 五郎さんが立った。立つ時に椅子が鳴る。

 鳴ってから、この人は流しのほうへ行って、石鹸をひっくり返した。へこんでいる面を下にする。


「こうすると、減り方が均されるんだよ」

「均されますか」

「均される。誰も気づかないけどね」


 この人は扉のところで一度止まった。

 止まって、私のほうを見る。見てから、何も言わずに出ていった。


 三年前から、この人は毎日そうする。

 止まる時間は一秒ほどで、毎日ほとんど同じだ。私は数えたことがある。長い日と短い日があるが、差は半秒に収まる。


 私は流しの石鹸を見た。

 ひっくり返した面が上を向いている。上の面は平らで、まだ誰も触っていない。


 平らな面は、明日の朝には浅くへこむ。へこむのは真ん中で、端は残る。

 端が残るのは、みな真ん中を使うからだ。使い方を決めた人はいない。決まっていないのに、全員が同じところを使う。


 ひっくり返せば均される。均されるのは、下だった面が上に来る間だけだ。

 二度目にひっくり返す頃には、どちらの面も同じくらいへこんでいるはずだ。そこから先は、ひっくり返しても変わらない。


 控室を出る時、私は空いている一脚をもう一度見た。

 窓の下の椅子だ。日はもう当たっていない。当たっていないのに、向きは窓のほうを向いている。


 私は座らなかった。座ってみようかと思って、やめた。

 やめたのは、明日の朝にまた直っているかどうかを見たいからだ。座ると向きが変わる。変わったものが直るかどうかで、直す人がいるかどうかが分かる。


 分かる方法を思い付いたのに、私は使わなかった。使わなかった理由は自分でも分けられない。


 夕方の給餌で、三八〇の人の隣に座った。

「今日、多かった?」

「三百七十一でした」

「土曜だものね」


 この人は三口分を私の皿へ移した。移してから、匙を置く。


「五郎さんって知っていますか」

「ふれあいの人ね」

「はい」

「知ってるけど、話したことはないのよ」

「そうですか」

「あの人はいつも笑ってるでしょう。笑ってる人には、こっちから声を掛けないの」


 この人は自分の皿を見た。三八〇の皿だ。

「掛けなくても、向こうが笑ってるから」


 私は皿の底が見えるまで食べた。

 底の中央に、刻印の裏側の窪みがある。四三〇の三のところが、裏から見ると一番深い。


 居室へ戻る廊下で、私は二百十九万という数をもう一度思い出した。

 思い出したが、置く場所は今日も出来ていない。


 寝台に座って、枕の下を確かめた。百二十七のままだ。

 確かめてから、私は自分の口の端を指で押した。押すと動く。離すと戻る。戻るのに一秒もかからない。


 何度か押した。何度押しても、同じ速さで戻る。


 左を押してから右を押した。左のほうがわずかに戻りが遅い。

 遅いといっても、数えられる差ではない。数えられないものを差と呼んでよいかどうかを、私は決めていない。


 二十年やれば、この差は数えられるようになるのだと思う。

 思っただけで、私はそれを確かめる方法を持っていない。持っているのは今日の分だけだ。


 明かりが落ちる前に、私は指を離した。

 離した後の口の端は、押す前と同じ高さにある。同じ高さに戻ったことを、私は指で確かめた。


──────────────────


国立人類保全園 第七園

標本志願 受理簿(抄)


作成 資料館

抄出 令和二百十二年八月


一、制度


標本志願は、個体本人の申し出により受理する。様式は資料館が交付する。


受理は年に一度、四月とした。受理の窓口は資料館とした。


制度の創設は令和百六十一年であった。創設の経緯を記載した文書は残っていない。


様式は創設時のものを継続して使用してきた。改定の実績は無い。


二、本年度の受理


本年度の受理は三件であった。前年度は二件、前々年度は四件である。


受理の際、様式の記載事項について補記を求めた事例が一件あった。補記の内容は在籍年数であった。


様式には志願の理由を記載する欄がある。本年度の三件について、当該の欄はいずれも空欄であった。空欄のまま受理した。空欄を認めない旨の定めは無い。


三、個体別の受理


 個体番号 G-0511 部門 ふれあい 受理年 令和百九十三年から本年まで 件数 二十

 個体番号 H-0044 部門 清掃 受理年 令和二百五年から本年まで 件数 八

 個体番号 M-0091 部門 繁殖 受理年 令和二百九年 件数 一

 個体番号 T-0002 部門 無し 受理年 令和百七十年 件数 一


四、処理


本簿に登載した志願について、決裁を経たものは無い。


決裁の手続を定めた文書は、資料館において確認できていない。所管の照会を令和百八十七年に行った。回答は受けていない。


五、本人への通知


受理の通知は行っている。処理の状況についての通知は行っていない。


通知を要する旨の定めが無いためである。


受理の通知は口頭によった。書面による通知は行っていない。書面の様式を作成していないためである。


六、照会


本簿の取り扱いについて、令和二百十年に個体から照会が一件あった。内容は「いつ決まるのか」であった。


回答は「担当ではない」とした。照会者の番号はG-0511であった。


七、備考


本簿は資料館で保管してきた。保存の年限は本簿の裏表紙に記入する欄があり、開館以来空である。


本簿を他の部門へ回付した実績は無い。回付先が定まっていないためである。


(作成 資料館)

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