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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第二章 等級

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第017話 老爺T-0002

国立人類保全園 第七園

視聴覚室 年間番組表(E区画分)


作成 教育普及係

適用 令和二百十二年四月から令和二百十三年三月まで


一、実施


視聴覚室は第二食堂の北にある。座席は三十六である。


上映は週に二回とした。水曜と土曜の一八時から一九時までである。参加は任意とした。


二、番組の構成


 区分         本数 一本の長さ 年間の上映回数

 記録映像(園の紹介) 二  二十分   各十二回

 記録映像(動物)   五  二十分   各十回

 報道番組(録画)   四  三十分   各四回

 音楽         三  十五分   各八回


三、報道番組について


報道番組は令和二百六年に収録した。四本を順に上映し、四本が終わると最初へ戻る。


一年に各四回の上映となる。内容の更新は行っていない。更新の予定も無い。


更新について、令和二百九年に教育普及係から照会を行った。回答は「差し支えのない範囲の映像が他に無い」であった。差し支えの内容についての説明は受けていない。


四、選定の基準


上映する映像は、園外の情報のうち、個体の生活に影響を与えないものとした。


影響の有無の判定は教育普及係が行うものとした。判定の基準を文書にしたものは無い。


判定の記録は残していない。残す旨の定めを設けなかったためである。


前年度に一本を上映から外した。外した映像の題名は表から削除している。削除したのは表を刷る前であった。


五、機器


再生の機器は令和百八十四年の設置である。部品の交換は三度行った。


映像の乱れが生じた場合は、上映を中止し、翌週へ繰り越すこととした。中止は前年度に七回あった。七回とも同じ番組であった。


当該の番組について、機器の側と媒体の側のいずれに原因があるかは確かめていない。確かめる手順を定めていなかった。


六、参加の状況


前年度の平均参加者は十九名であった。座席の五割三分にあたる。


最も多かったのは十月の第二土曜で、二十八名であった。最も少なかったのは一月の第三水曜で、六名であった。理由の聴取は行っていない。


参加者の内訳は、上映の当日に係員の手元の紙へ書く。手元の紙は年度末に処分している。


上映の後、室内に残る個体がある旨の報告を前年度に受けた。残留の時間および人数の記録は求めていない。片付けの開始は一九時三十分とした。


七、備考


上映中の私語は禁じていない。禁じた年度があったが、いつ解いたかは表に残っていない。


前年度、上映の内容について個体から質問を受けた事例が二件あった。二件とも回答した。回答の内容は記録していない。


八、次年度


次年度の番組表は本年度と同一とする予定である。変更の要否について、本年度中に検討した実績は無い。


(作成 教育普及係/掲示 E区画 第二食堂前)


──────────────────


 八月の夕方は、日が落ちてからのほうが暑い。

 昼の間、建物が熱を受ける。受けた分が夜になって出てくる。壁に手を当てると、外側より内側が温かい。


 私の展示は今月、まだ一度も無い。

 改定は八月一日からで、今日は四日だ。順番は上から配る。九十七番目まで下りてくるのは、月の終わりに近い頃だと計算した。


 展示の日は夕方に部屋を出るのが遅くなる。無い日は早い。

 早くなった分の時間を、私はまだ使い方を決めていない。決めていないので、廊下を余分に歩く日が続く。


 八月の居室は、夜のほうが暑い。

 昼は日が入らない。E区画は坂の陰にあって、午前中は窓枠の影が地面に落ちない。落ちないのに、壁は温くなる。

 温くなるのは屋根からだ。屋根の熱は天井を通って、夜になって下りてくる。下りてくるのに半日かかる。


 寝る時、私は毛布を使わない。畳んだ二枚は足元にある。

 足元にあると足が伸ばしきれない。伸ばしきれないぶん、膝の裏に汗が溜まる。溜まる場所は七月と同じところだ。


 朝は水が温い。

 顔を洗う水は、四月には冷たかった。八月は温い。同じ蛇口で、同じ勢いで出る。

 温いと、洗った後に顔の水が乾くのが遅い。遅いので、廊下へ出るまでに一度、袖で拭くことになる。


 朝の給餌の列で、前の人が展示の順番の話をしていた。

 誰の番が今月に来るかは、順位表を見れば出る。見れば出るのに、みな人に聞く。聞いたほうが早いからではない。聞くと、聞かれた人が答えることになるからだと思う。


 答える人は、自分の順位を言わずに答える。上のほうの人ほど言わない。

 言わないのは決まりではない。決まりでないものが決まりと同じだけ守られている場所が、園にはいくつかある。


 昼の当番は清掃補助だった。第二食堂の床を拭く。

 拭くのは配膳台の下と、卓の脚の周りだ。脚の周りは輪の形に汚れる。輪の内側は綺麗で、外側も綺麗だ。汚れているのは輪の線のところだけだ。


 輪の直径は卓によって少しずつ違う。座る人の足の長さで決まるのだと思う。

 一番大きい輪は入口に近い卓にあった。その卓には背の高い人が座る。座る場所は決まっていないのに、輪は決まった大きさで残る。


 輪は拭いても薄くならない。樹脂に入っている。

 入っているのは色ではなく、擦れた面のほうだ。擦れた面は光を返さない。返さないので、周りより暗く見える。


 暗く見えるだけなら、拭く意味は無い。それでも拭くのは、拭くことが当番だからだ。

 当番の紙には輪のことは書いていない。書いてあるのは床の一語だけだ。


 夕方の給餌で、三八〇の人の隣に座った。

 この人は八月から丙になった。明細の紙は昨日出た。


「一枚だった」

「一枚ですか」

「一日一枚。書いてあったとおりよ」


 この人は明細を卓に置いた。私は横から見た。

 行が三つある。清掃、洗濯、園芸。三つとも一枚ずつで、合計が三十一だ。先月は四十四だった。


「十三減ったのよ」

「はい」

「減ったぶんは、何にも減ってないの」

「働く分がですか」

「そう。同じだけ働くのよ」


 この人は匙を持って、私の皿へ三口分を移した。移してから、自分の皿の縁を指でなぞる。

 三八〇の八のところで指が止まる。止まる位置は毎回そこだ。


「あんた、今日は何する」

「決めていません」

「じゃあ北へ行きなさいよ」

「北ですか」

「水曜だから。映るのよ」


 視聴覚室は第二食堂の北にある。

 入口の脇に紙が貼ってあって、一年分の表が載っている。表は四つに分かれていて、区分と本数と長さと回数が並ぶ。


 私はその紙を前に読んだことがある。読んだのは去年で、その時は行かなかった。

 行かなかったのは、水曜の夕方に展示が入っていたからだ。展示の日は戻るのが遅い。遅いと一八時に間に合わない。


 今年は間に合う。


 夕方の給餌を終えてから、私は一度居室へ戻った。

 戻ったのは、手を洗うためだ。洗ってから行くか、そのまま行くかで少し迷った。迷った分だけ遅れた。


 遅れたので、扉のところで一度止まることになった。中に人が入っている音がする。

 音は椅子の脚が床を擦る音で、擦れる長さがまちまちだ。長いのは動かした距離が長いからだ。


 六時前に行った。扉は開いている。

 中は暗くない。窓が二つあって、西を向いている。八月の六時はまだ明るいので、前のほうの席まで光が入る。


 入った光の中に、埃が浮いている。浮いているのは光の当たっているところだけで、外れたところには何も見えない。

 同じだけあるはずだと思う。思うだけで、確かめる方法は無い。


 座席は三十六ある。数えなくても分かる。六列に六つずつ並んでいる。

 背もたれのある椅子だ。E区画の居室には椅子が無い。座るのは寝台の縁か床だ。ここは背もたれが付いていて、腰を後ろへ預けられる。


 預けると、背中が浮く。布が張ってあって、その下に何か入っている。押すと戻る。

 戻るのに二秒かかる。私は三度押した。三度とも二秒だった。


 部屋の匂いは埃と、機械の熱でできている。

 埃は上から来る。機械の熱は後ろから来る。後ろの壁に台があって、そこに箱が据えてある。箱は大きくて、上の面が黒い。


 黒い面に手を近づけると温かい。触ってはいけないとは言われていない。私は触らなかった。

 触らなかったのは、近づけただけで温度が分かったからだ。


 人が入ってくる。

 入ってくる順は決まっていないが、座る場所は決まっている。前から三列目までに座る人と、後ろの二列に座る人がいる。四列目はいつも空くらしい。


 空いている理由を、入ってきた人に聞いてみようかと思った。思っただけで聞かなかった。

 初めて来た者が並び方を聞くと、並び方を決めた人がいることになる。決めた人はいないと思う。


 入ってくる人の何人かは、扉のところで一度止まる。止まって、中を見てから入る。

 止まる時間は一秒に足りない。止まらずに入る人は、たいてい前のほうへ行く。


 窓は西を向いていて、光が斜めに入る。入った光は椅子の背の上を横切っている。

 横切っている線は、六時に近づくにつれて下がる。下がる速さは目で追えない。目を逸らして戻すと、一つ下の列に移っている。


 私は五列目の端に座った。端にしたのは、初めてだからだ。


 十九人いた。数えた。

 紙には前年度の平均が十九名と書いてある。私はそれを覚えていて、今日も十九なので、二度覚えることになる。


 六時に、係員が箱を触った。

 前の壁が白い。白いところに絵が出る。出る前に一度、砂のような模様が走る。走ってから絵だ。


 最初は園の紹介だった。二十分ある。

 映っているのは正門と、通路と、展示室だ。展示室は一号で、中にいるのは知らない人だ。撮ったのが古いのだと思う。


 映像の中で人が歩いている。歩き方が今と違う。

 違うのは速さだ。今の人はもっと遅い。速い歩き方をしているのは、撮る日だけそうしたのか、昔はそうだったのか、私には出せない。


 通路の映像で、柵の高さが今と違うのが分かる。

 今の柵は胸の高さにある。映像の柵は腰くらいで、上に横棒が一本足りない。足りない分だけ向こう側がよく見える。


 展示室の中には寝台が一つしかない。今は二つある。

 二つになったのがいつかは、映像には出てこない。映像に日付は入っていない。入っていないので、古いということだけが分かる。


 解説の声は入っていない。音は足音と、扉の音と、外の風だけだ。

 風の音は前の壁のほうから来る。後ろの箱から出ているはずなのに、前から聞こえる。私は一度後ろを振り返って、それからまた前を見た。


 二十分が終わると、係員が箱をもう一度触った。


 次が報道番組だった。三十分ある。

 始まると、前のほうの席から声がした。声ではなく、口が動く音だ。


「──では、次のニュースです」

 映像の中の人がそう言う。同じ言葉を、前の列の三人が同時に言っていた。声には出していない。口だけが動いている。


 私は口が動くのを横から見た。

 三人とも、映像の人より半拍早い。早いのは覚えているからだ。


 次の言葉も同じだ。その次も同じだった。

 三十分のうち、私が数えられた分では十四回あった。十四回とも、口のほうが先に動く。


 映像の中では、外の街が映る。

 建物が並んでいて、道に車が走っている。人も歩いている。歩いている人は皆、同じ向きへ行く。逆へ行く人が二人だけいる。


 同じ向きへ行くのは、道の右側を歩く人たちだ。左側には人がいない。

 いないのは、そちら側に日が当たっているからだと思う。当たっている側の建物の壁が白く飛んでいる。


 車は八台数えた。八台のうち二台は同じ色だ。ほかの六台は全部違う。

 園の中で車を見る場所は正門の駐車場だけだ。駐車場の車は、来館者用の区画に十四台、職員用に六台入る。数は覚えている。


 二人のうち一人は、傘を持っていた。晴れているのに持っている。

 その二人が画面から出るまでに四秒かかった。四秒のうち、傘の人が見えているのは三秒だ。


 傘は畳んである。畳んだまま手に提げていて、地面に着きそうで着かない。

 着きそうで着かない高さを、その人はずっと保っている。保っているのに、腕は振れている。


 私はその三秒を二度見た。二度目は次の週にまた来れば見られる。

 次の週ではない。この番組は年に四回だ。四本を順に上映して、四本が終わると最初へ戻る。次は三月だ。


 三十分が終わった。係員が箱を触って、部屋の明かりが付いた。

 付くと、椅子の布の色が分かる。緑だった。暗いところでは灰色に見えていた。


 人は出ていかない。半分ほどが残る。

 残った人たちは椅子を動かした。動かすというより、体ごと後ろを向く。前の列の人が後ろを向いて、後ろの列の人はそのまま座る。


 一番後ろの席に、年寄りが一人座っていた。

 私はその人を知っている。廊下ですれ違ったことがある。歩くのが遅くて、壁を伝わずに歩く。伝わないので、途中で一度止まる。


 番号はT-0002だ。園で一番若い番号の一人だ。若い番号は古い個体を指す。

 この人は九十歳だと聞いた。誰から聞いたのかは覚えていない。園の中で年齢は数字として回る。回っているうちに出所が落ちる。


 残った人が十一人になった。私も残った。

 残ったのは、周りが残ったからだ。立つ人がいなかったので、私も立たなかった。


「T-0002さん」

 誰かが呼んだ。

「今日はどれ」

「海がいい」

「海はこの前」

「もう一回」


 その人は椅子の背に手を掛けて、少し前へ出た。前へ出ると声が届く。

 背に掛けた手は、話している間ずっと離れない。離すと体が沈むのだと思う。


「海には三つの色がある。近いところと、遠いところと、その間だ」


 声は低い。低いのに通る。低い声は部屋の後ろのほうで一度跳ねてから来る。

 跳ねた分だけ遅れて聞こえるので、口の動きと音が合わない。合わないのは私の位置のせいで、前の人には合っているはずだ。


「近いところは、砂の色が透けて見える。遠いところは空を映しておる」


 私は三つを数えた。近い、遠い、その間。三つで足りる。


「間のところが一番濃い。濃いのは深さが変わるからだ」


 誰かが聞いた。

「泳げるんですか」

「立てるところまでは行ける。それより先は足が着かん」


 その人は手を胸のところに当てた。当てて、それから下ろす。

 高さを言っているのだと思う。言葉では言わなかった。


「波は七つに一度、大きいのが来る。数えたら下がればいい」


 七、と私は覚えた。


 覚えるのに、二度目が要らなかった。


「本当に七ですか」

 私は聞いた。聞いてから、聞いてよかったのかを考えた。

 その人はこちらを見た。目が合う。合ってから、少し笑う。


「わしが数えたのは七だ。ほかの者が数えたら違うかも知れん」


 笑ったのは私だけではない。前の列で二人が笑った。

 笑い方が同じ形をしている。何度も聞いている人の笑い方だ。


「砂は昼のうちは熱い。日が落ちると裸足で歩ける」

「熱いって、どのくらい」

「素足では立っていられん。だから短い距離を走ることになる」


 その人は走る形をした。座ったままで膝を交互に上げる。上げたのは三度で、三度目に膝が止まる。

 止まってから、自分で笑った。周りも笑う。私も笑った。


「もう走れんな。それでも足のほうは今でも形を覚えとる」


 部屋の温度は下がらない。窓を開けても、外の空気のほうが温い。

 誰かが開けて、開けたまま誰も閉めない。虫が一匹入ってきて、白い壁のところで止まった。壁はもう白いだけになっている。


「塩の味は舌の脇でする。真ん中では分からん」


 私は舌の脇を意識した。今そこに何も無い。

 何も無いところに味を思うことは出来ない。出来ないので、私は言われた場所だけを覚えた。


 園の中で味の名は少ない。完全栄養食は甘いとしか言えない。

 甘いのは温めた時だけで、冷めると薄くなる。薄くなった状態を指す語を、私は持っていない。


 塩、という語は知っている。字も読める。

 読めるのに、舌の脇で起きることが分からない。分からないままでも、私はその語を今日から持つ側だ。


「朝の海は、昼と色が違う。日が低いと横から当たるからだ」


 誰かが聞いた。

「朝も三つですか」

「朝は二つだ。日が低いと真ん中の色が出てこん」


 私はそこも覚えた。三つが二つだ。減る条件は日の高さだ。


「貝は波の来る線に並んどる。波がそこで力を落とすからだ」

「拾えるんですか」

「幾つ拾ってもよい。持って帰っても誰にも叱られんかった」


 叱られん、のところで前の列が笑った。

 笑い方は同じ形をしている。前に聞いた者が先に笑って、後から聞いた者が遅れて笑う。遅れる幅は半拍だ。


「魚は片手で足りる。わしが名を知っとるのは五つだ」


 五つの名前を、その人は順に言った。

 私は聞いたが、書く場所が無い。番号のように短くない。番号は四つの記号で、名前は音が多い。


 言い終わってから、その人は一つを言い直した。

「三つ目は違ったな。あれは別の魚だ」

 誰かが言う。

「この前は合ってたよ」

「そうか。ならこの前のほうが正しい」


 その人は笑った。

 笑ったので、周りも笑う。間違えたことが笑いになる場所を、私は園の中でほかに知らない。


 私は五つのうち三つを覚えた。二つは音が長くて落ちた。

 落ちた二つを取りに戻る方法は無い。次に聞く時に、また同じ順で出てくるかどうかも分からない。


 前の列の人が、横から足した。

「船の話もして」

「船の話か。あれは色より数のほうが覚えやすい」

「白いやつ」

「白いのは近くを通る船だ。遠くを行くのは黒く見える」


 その人はそう言って、少し考えた。考える時、顎の下の皮が動く。動いてから止まる。


「白いのは朝に出る。夕方に戻ってくるのは同じ船だ」


 誰かが言った。

「三隻でしたよね」

「三隻だ」

 言ったのはこの人ではなく、前の列の人のほうだった。この人はそれを聞いてから、同じ数を繰り返した。


 三隻という数を、私はさっき聞いていない。

 聞いていないのに、部屋の中では既にある数として通った。誰も直さなかった。


 三、という数はここでも出てくる。色が三つで、船が三隻だ。

 同じ数が別のものに付くことは園でもある。区画は五つで、等級は四つだ。数が重なっても、重なった理由は無い。


 直さなかったのは、間違いだと思った人がいなかったからだ。私も思わなかった。

 思わなかったが、私は聞いていない。聞いたのは前の列の人で、その人はもう別の話をしている。


「テレビにも海、出ましたよね」

 後ろの人がそう言った。三月の分だ、と別の人が続けた。


「あれは違う」

 その人はそう言って、少し黙った。


「あれは上から撮っとる。上から見た海には、色が一つしか無い」


 私は三月の映像を見ていない。見ていないので比べられない。

 比べられないが、色が一つと三つでは数が違う。数は覚えられる。


 誰かが立って、扉のところで振り返った。

「T-0002さん、次はいつ」

「土曜にはおる。話すかどうかは決めておらん」


 人が少しずつ出ていく。

 出ていく順は、入ってきた順とは関係が無い。近い席の人から出る。


 私は残った四人のうちの一人になった。

 残ったのは、まだ立つ理由が出来ていないからだ。


 その人は椅子に座り直した。座り直すのに時間がかかる。片手で背を持って、体を回して、それから腰を落とす。

 落ちる時に椅子が鳴った。鳴ってから、その人は息を一度長く吐いた。


「今日は知らない顔がある。知らない顔は、たいてい後ろに座る」

「はい」

「番号は」

「J-0037です」


 その人は繰り返さなかった。繰り返さない人は、覚えていないか、覚えたかのどちらかだ。


「持ってきたものはありますか」

 私は聞いた。

「何も」

「何も、ですか」

「何も持ってこなかった。持ってくる話にはなっとらんかった」


 その人は自分の膝を見た。膝の上に手が置いてある。手の甲に薄い斑がある。

 斑は幾つかあって、大きいものと小さいものが重なっている。重なったところだけ色が濃い。


 部屋には四人しか残っていない。四人とも黙っている。

 黙っていると、機械の熱の音が聞こえる。上映が終わっても、箱はしばらく音を立てている。冷えるまで回っているのだと思う。


 私はもう一つ聞いた。

「話は誰から聞きましたか」

「誰からも聞いとらん。わしが見た」

「見たんですね」

「この目で見た。見たものよりほかは話さんことにしとる」


 その人は膝の上の手を組み替えた。組み替えると、斑の重なりが別の形だ。

 形が変わっても、斑の数は変わらない。私は数えなかった。数えるには手の甲が近すぎる。


「外の話は、聞きたい者にだけする。聞かん者に話すと、話が痩せる」


 私は聞き返さなかった。聞き返す形の言葉が出てこなかった。


 窓の外はもう暗い。開けたままの窓から、外の音が入る。

 入るのは虫の音と、遠くの機械の音だ。機械の音は換気のもので、園の何処にいても同じ高さで鳴っている。


「海の音は、この換気の音とよく似とる。ただし切れ目がある」

 その人はそう言った。

「切れ目ですか」

「七つに一度、音が抜ける。抜けたところで次のが来る」


 また七だった。私はそこも覚えた。覚えるのに、やはり手間が要らない。


 係員が入口から声を掛けた。片付けの時刻だ。

 残っていた四人が立つ。私も立った。


 立つ時に、その人が言う。


「わしの話は、持っていっても減らん。減らんから遠慮せんでいい」


 私は何も言わなかった。


 廊下に出ると、視聴覚室の匂いが体から離れていく。埃と機械の熱が、洗剤と樹脂の匂いに戻る。

 戻るまでに廊下を七歩ぶん歩いた。七歩というのは、匂いが変わったと分かった場所までの数だ。


 廊下は昼より暗い。夜の照明は昼の半分の高さだ。

 半分になると、床の継ぎ目が見えなくなる。見えなくても足は覚えている。三本目の継ぎ目のところで、私は歩幅を少し変える。変えるのは体のほうで、私が決めているのではない。


 居室へ戻る途中で、私は今日の数を並べた。

 三つの色。朝は二つ。七つに一度の波。五つの魚の名で、覚えたのは三つ。それと、部屋にいた十九人。


 十九だけが、覚えるのに一度紙を要った。去年の紙に書いてあった数だ。

 ほかの数は紙に無い。紙に無いのに、全部残っている。


 寝台に座って、枕の下の枚数を確かめた。百二十七のままだ。展示が無い月は動かない。

 動かないものを確かめるのは、動いていないことを確かめるためになる。


 二百までは七十三ある。

 七十三のうち、今月に入る分は清掃補助の枚数だけだ。展示は下旬まで回ってこない。回ってきても三枚だ。

 三枚は七十三の中では小さい。小さいので、月の終わりに数え直しても、桁は変わらない。


 私は枚数を戻して、枕の位置を直した。直すと、下の紙が少し鳴る。

 鳴る音は薄い。重ねてある紙が擦れる音で、枚数が多いほど長く鳴る。今の長さがどれくらいかは、比べるものが無いので出せない。


 毛布は使わない。畳んだ二枚が足元にある。

 私は天井の線を見た。線は右のほうが白い。八月でも変わらない。


 換気の音は今夜も同じ高さで鳴っている。

 私は切れ目を探した。七つに一度、切れるはずだった。


 三十回まで数えた。切れ目は来ない。

 来ないのは、この音が海ではないからだ。同じ高さで、同じまま続く。続いている間、切れ目の来る音がどんなものかを私は思い浮かべられない。


 目を閉じる前に、波を七つ数えた。

 七つ目が何なのかは、私は見たことがない。


──────────────────


国立人類保全園 第七園

個体記録票(抄)


管理番号 T-0002

年齢 九十

区画 E


一、由来


野生。収容は令和百二十五年であった。収容時の年齢の記載は無い。


野生由来の在籍個体は、本票の作成時点で当園に一名であった。機構全体では四名。


当園における前の一名は令和二百三年に死亡した。死亡時の記録に、本個体との関係についての記載は無い。


二、収容の経緯


収容の経緯を記載する欄は、当時の様式に無い。現在の様式にはあるが、遡って記入する取り扱いは定めていない。


収容時の記録として残っていたのは、受付の日付と、当時の担当者の職名のみであった。担当者の氏名の欄は空であった。


三、備考


収容時の所持品 一点


処分の記録は無い。保管の記録も無い。


所持品の欄に品名を記入する定めは、令和百五十二年に設けた。それ以前の収容分について、遡って記入は行っていない。


四、就業


現在の就業は無い。年齢による。就業を解いたのは令和二百六年であった。


解いた際、日課の代替について検討を行った。検討の結果は残っていない。


就業を要しない個体の日課は、区画の担当が随時に定めることとした。


五、健康


年次の所見は「年齢相応」であった。過去七年について同一の記載であった。


歩行について、令和二百十年に「速度の低下を認めた」との記載があった。翌年以降の記載は無い。継続の観察は、翌年の定期の際に併せて行う取り扱いとした。


六、居室


E区画一階の二十一号室に単独で収容している。単独としたのは令和二百四年からであった。


単独とした経緯を知る担当は、既に転出している。同室であった個体も同年に転出した。


七、視聴覚室


本個体は視聴覚室の上映に高い頻度で参加している。参加の記録は取っていない。


上映の後、室内に残る個体があるとの報告を受けた。報告に本個体の番号が含まれていた。番号を書くかどうかは報告者の判断による。


八、備考の二


本個体について、教育普及係から聞き取りの依頼が過去に三度あった。実施したのは二度であった。


一度目は令和百六十二年、二度目は令和百八十一年であった。記録はいずれも要旨のみで、発言の全文は残していない。


三度目は実施していない。依頼の受理は令和二百七年であり、以後は教育普及係の予定表に載り続けている。


(記録 記録管理室)

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