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人間館 ―絶滅危惧種ヒトの飼育記録―  作者: 智珠
第一章 展示

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10/22

第010話 三秒

国立人類保全園 第七園

視聴覚資料保存目録(抄)


作成 記録管理室

基準日 令和二百十二年六月一日


一、目録の範囲


本目録は園が保管する視聴覚資料のうち、収録年が令和百九十年以降のものを抄録した。


それ以前の資料は媒体の規格が異なった。再生の装置は令和二百四年に更新しており、旧規格の再生は行っていない。件数は三百十一件であった。


二、資料


 番号 映-〇三一 件名 開園記念式典 収録 令和百九十年 長さ 四二分 保存年限 無期限 状態 良

 番号 映-二〇八 件名 命名式(A-〇一一四) 収録 令和百九十五年 長さ 九分 保存年限 令和二百十三年度末 状態 良

 番号 映-二一四 件名 命名式(J-〇〇三七) 収録 令和百九十六年 長さ 十一分 保存年限 令和二百十二年度末 状態 一部に乱れ

 番号 映-二一九 件名 命名式(M-〇一四四) 収録 令和百九十六年 長さ 八分 保存年限 令和二百十二年度末 状態 良

 番号 映-三〇二 件名 ふれあい広場(記録) 収録 令和二百六年 長さ 一一〇分 保存年限 令和二百十六年度末 状態 良

 番号 映-三三七 件名 生息環境展示(案内用) 収録 令和二百九年 長さ 六分 保存年限 無期限 状態 良

 番号 映-四〇一 件名 給餌手順(研修用) 収録 令和二百十年 長さ 二二分 保存年限 令和二百二十年度末 状態 良


三、保存年限


保存年限に達した資料は、翌年度の初めに廃棄することとした。廃棄の前に複製を作る定めは無かった。


映-二一四については、映像の後半に乱れを認めた。乱れの発生時期は特定していない。修復は行わないこととした。修復の費用を計上する科目が無かった。


四、利用


上映は行っていない。上映の実績は開園以来で四件であった。いずれも機構の視察に伴うものであった。


職員が業務の参考として再生する場合は、上映に当たらないものとした。よって記録を取っていない。


五、貸出


外部への貸出は広報課の照会によることとした。本年度の照会は二件であった。いずれも命名式に係るものであった。


貸出の可否は個別に判断してきた。判断の基準は定めていない。


六、保管の場所


資料は記録管理室の第三書庫に置いた。室温は二十度から二十四度の間を保つこととした。


本年度の記録では、七月の三日間に二十六度へ達した。空調の停止による。以後の措置は講じていない。


七、留意


命名式の資料は、当該個体の在籍中に限り保管することとした。在籍しなくなった場合の取り扱いは記載が無かった。


過去に該当した例が五件あった。五件のうち四件は所在を確認できていない。


(作成 記録管理室/写し 広報課)


──────────────────


 撮影は前の日に知らされた。

 知らせに来たのは洗濯当番の係員で、紙は無い。口で言われた。明日の十時に、旧西棟の第二会議室へ来ること。それだけだった。


 旧西棟は使っていない。廊下の途中に扉があって、いつも閉まっている。

 閉まっている扉の前を、私は洗濯の時に週に四度通る。取っ手の下に鍵穴があって、鍵穴の周りだけ塗装が剥げている。剥げ方は円くない。片側だけが濃い。

 濃いほうは右になる。鍵を差す人の手が右だからだと思う。差す人を見たことは一度もない。


 その夜、私は眠るのが遅くなった。

 寝台の縁に足を下ろして座っていると、脹脛の裏側だけが冷える。冷えるのは金具の当たっているところで、金具は寝台の縁に沿って走っている。

 撮られるということが、体の何処に来るのかが分からない。痛くはないと聞いている。聞いていても、朝までの間に三度目が覚めた。

 三度とも、目が覚めてから同じ姿勢へ戻した。戻す位置は決めてある。決めてあるほうが早く眠れる。


 朝、点灯の後で髪を梳かれた。

 梳くのは同じ区画の年上の人で、櫛は共用のものを使う。歯の間に前の人の髪が残っている。取ってから梳く。取るのに時間がかかる。

 櫛は歯が二十四本ある。うち三本が短い。折れて短くなったのか、初めから短いのかは分からない。短い三本のところだけ、通りが軽い。


 梳かれている間、頭皮が引かれる。引かれるのは分け目の右側で、左は引かれない。同じ側から梳くからだと思う。

 私は目を閉じていた。閉じていると、櫛の歯が地肌に当たる位置で、何処を梳いているかが分かる。耳の上を過ぎて、後ろへ回る。回ったところで一度止まる。止まるのは絡まった時だ。


「今日、撮るんでしょ」

「はい」

「じゃあ、後ろも」

 その人は私を後ろ向きにして、襟の内側まで梳いた。梳き終えた櫛からは、少し焦げたような匂いがする。摩擦の匂いだと聞いた。


 爪も見られた。長さではなく、縁の欠けを見る。右手の中指の爪が一つ、端が割れている。洗濯の袋の口を引く時に割れた。

 割れた側を、その人は指で押さえて確かめた。押さえられると、爪の下の肉のところに鈍い感じが来る。痛みとは違う。押されているのが分かるだけになる。

「これは映らないよ」

「はい」


 服は洗濯したてのものが配られた。皺が伸ばしてある。

 伸ばしてあるが、袖の折り目は消えていない。畳んだ位置に線が残っている。線は肘の少し上を横切る。写真に入るかどうかは分からない。

 配られた服は自分のものではない。番号も入っていなかった。撮影の日だけ回ってくる服で、丈が少し長い。前に着た人のほうが背が高い。


 朝の給餌は無かった。撮影の前に食べさせない定めがあるのか、時間の都合なのかは聞いていない。

 空腹は十時までなら我慢が利く。十時を過ぎると、腹の中で音が鳴り始める。鳴るのは決まって左の下のほうからになる。


 旧西棟の廊下は暗い。

 照明は半分しか点いていない。点いていない側の壁に、器具の跡が残っている。外した器具の輪郭だけ塗装が新しい。新しいというより、色が褪せていない。


 埃の匂いがする。

 人の出入りが少ない部屋の匂いだ。乾いていて、鼻の奥のほうで止まる。喉までは来ない。


 旧西棟は床が違う。今いる棟の床は継ぎ目が見えないが、ここは板を並べてある。

 板の継ぎ目に足を掛けると、少し沈む。沈んで、離すと戻る。戻る時に音がする。歩くと三歩に一度その音が出る。


 第二会議室の前に、椅子が七つ並べてあった。

 三つが埋まっている。私は四つ目に座った。座ってから、番号を確かめられた。名簿を持った係員が、一人ずつ番号を読む。


「J-0037」

「はい」

 係員は名簿に印を付けて、次へ行った。印は鉛筆で、付けた後に一度なぞり直している。


 先に座っている三人は、どれも知らない番号だった。

 一人目は年配の男の人で、膝の上で手を組んでいる。組んだまま動かさない。爪が厚い。

 二人目は私と同じくらいの背丈で、髪を後ろで束ねている。束ねる紐は服と同じ生地に見える。裂いて作ったものだと思う。

 三人目は若い。座り方が浅い。浅く座ると靴の先が床に届かないので、爪先で床を叩いている。叩く音は板に響く。係員が一度こちらを見た。見てから、何も言わずに戻った。叩く音は止まらない。


 その人が入って、すぐ出てきた。

 早い。前の二人はもっとかかっていた。

「終わった」

 その人は誰にともなくそう言って、私の隣に座り直した。座り直す必要は無い。もう帰ってよい。


「早かったですね」

「二回目だから」

「二回目」

「去年、目えつぶってて、載らなかった」

 その人は少し笑った。私も少し笑った。笑ってから、その人はまた爪先で床を叩き始めた。今度は音が小さい。


「あれ、なんの映像ですか」

 私は画面のほうを指した。

「知らない。ずっとやってる」

「はい」

「ずっとやってるけど、誰も見てない」

 その人は立って、行った。行く時に画面のほうを一度も見なかった。


 誰も喋らない。喋ってはいけないと言われた覚えはない。

 三人目が一度、私のほうを見た。目が合った。合ってから、その人は先に外した。私も外した。


 待つ。

 室内から時々、声が漏れる。何を言っているかは分からない。文の長さだけが分かる。短い文が三つ続いて、それから長いのが一つ来る。同じ順で繰り返される。


 前の人が出てきた。

 出てきた人は手ぶらで、少し歩き方が硬い。硬いのは椅子に長く座った後の歩き方に近い。私は自分の膝を伸ばした。


「次」

 呼ばれたのは私ではない。三つ目に座っていた人だった。

 その人が入る。扉が閉まる。廊下に残ったのは四人になった。


 椅子は硬い。座面が板で、布が張っていない。

 園の中の椅子はどれも布が張ってある。ここのは違う。ここは個体のための部屋ではないのだと思う。会議室だから、職員のための椅子が置いてある。


 待つ間に数えるものが無い。廊下のタイルは大きすぎて、数えても四十で終わる。壁の器具の跡は六つ。扉は二つ。窓は無い。

 数え終わってしまうと、時間の進み方が分からなくなる。


 腹が鳴った。三人目の人がこちらを見て、すぐ前を向いた。

 鳴った後は少し楽になる。楽になってから、また元へ戻る。戻るまでが十分ほどある。

 板の椅子は尻の骨が当たる。当たる位置を変えるために、少しずつ体を動かした。動かすと椅子が鳴る。鳴らない座り方を探して、結局は前と同じ座り方へ戻った。


 廊下は寒くない。暑くもない。空調は入っていないが、閉め切った場所の空気が動かないでいるだけだ。

 服の内側だけが温い。背中に汗が出て、椅子に付いたところで冷える。冷えたところが服越しに分かる。


 卓が一つ、椅子の列の向かいに置いてある。

 卓の上に画面が載っていた。薄い板の形をしていて、立てて置いてある。画面には映像が流れている。


 音は出ていない。

 側面に丸い部分があって、そこを回すと音が出るのだと思う。回してある位置が端まで来ている。


 映像は繰り返している。

 最初は建物の外観だった。次に広場が映る。それから室内が映って、また外観へ戻る。一回りに六分ほどかかる。


 映っているのは全部この園だ。

 広場の場面には人が座っている。座っている人の顔は映らない。腰から上が入っていて、首から先が枠の外へ出ている。撮り方が決まっている。

 来館者の顔は映る。子どもが手を伸ばしていて、伸ばした先に誰かの肩がある。肩だけが映っている。


 室内の場面は居室だった。

 私の居室ではない。寝台が四つ並んでいて、窓が大きい。あんな部屋を私は見たことがない。

 窓の下に卓があって、その上に何か置いてある。潰れて見えない。人は映っていない。誰もいない部屋を、誰かが撮っていた。


 参考用だと係員が言った。

 冊子に載せる写真の調子を合わせるため、前の版の映像を流しているらしい。撮る側が見るためのもので、私たちが見るためのものではない。

 それでも画面は椅子の列のほうを向いている。向きを変える人はいない。


 二回りしたところで、映像が変わった。

 いつもと違う場面が入る。屋内で、人が多い。前のほうに机があって、後ろに人が並んでいる。


 式のようだ。

 園の職員が並んでいる。並び方が揃っている。真ん中に台があって、台の上に布が掛けてある。


 布が取られる。

 下から板が出てくる。板には字が書いてある。大きい字だ。画面が小さいので、字は潰れて読めない。


 画面の下に、別の字が出た。

 白い縁取りの付いた字で、映像とは別の層に乗っている。これは読める。


 令和百九十六年 命名式


 字は三秒で消えた。

 消えてから、また映像だけになる。台の上の板は映っているが、字は潰れたままだ。


 私は椅子から少し前へ出た。

 出ても画面は同じ大きさにしか見えない。距離ではなく、画面のほうが小さい。


 次の場面で、板が寄って映された。

 板の字が大きくなる。二文字ある。ひらがなだ。園の中でひらがなを見るのは、正門の掲示と、給餌口の表示と、この板になる。


 画面の下に、また字が出た。


 なな  投票総数 千二百四票


 三秒は二字を読むには長い。


 余った時間で、私は数のほうを読んだ。千二百四。四桁ある。

 字が消える。映像は次へ行く。台が引かれて、人が拍手をしている。音は出ていない。拍手は手の形だけで分かる。


 もう一回りを待った。六分かかる。

 六分のうち、式が映るのは四十秒ほどになる。四十秒のために六分待つ。待っている間に外観と広場と居室が来る。順番は変わらない。


 二度目に見た時は、字より先に部屋のほうを見た。

 壁が白い。天井に照明が並んでいて、そのうち二つが点いていない。床は板を並べてある。継ぎ目が縦に走っている。

 部屋の奥に扉があって、扉の上に小さい札が付いている。潰れて読めない。


 字が出た。三秒だ。数えた。一、二、三で消える。


 三度目を待った。

 三度目は人のほうを見た。

 職員は十四人いる。前列が六人で、後列が八人。前列も後列も台のほうを向いた。

 後列の右の端に一人、向きの違う人がいた。台ではなく、画面のこちら側を見ている。服の色が周りと違う。少し濃い。顔は小さすぎて分からない。


 台が引かれて、拍手が始まる。

 前列の六人が手を叩く。後列の八人のうち七人が叩く。右の端の一人は手を下ろしたままでいる。

 叩いている人の手は速い。下ろしている手は動かない。音は出ていないので、速いか遅いかは形でしか分からない。


 台が消えて、映像は次の場面へ行った。

 外観が映る。正門が映って、掲示のひらがなが読める大きさになる。まもるための ばしょです、と書いてある。

 ひらがなは三度目でも同じ位置に出る。板の二字も、正門の字も、同じ画面の同じ明るさで出る。区別は付かない。


 三度目の途中で名前を呼ばれた。


「J-0037」

「はい」

 私は立った。立つ時に、画面をもう一度見た。式の場面はもう終わっていて、広場が映っている。


 第二会議室は明るい。

 窓は無いのに明るいのは、照明を持ち込んでいるからだ。三脚に付いた四角い照明が二つ、こちらへ向いている。近づくと熱がある。顔の高さで、額のあたりだけ温い。


 壁が白い。天井に照明が並んでいて、そのうち二つが点いていない。床は板を並べてある。継ぎ目が縦に走っている。

 部屋の奥に扉があって、扉の上に札が付いている。第二会議室、と書いてある。


 私は入口のところで一度止まった。

 係員が私の背中に手を当てて、前へ押した。押されたので進んだ。


 部屋は広い。奥行きが十歩ある。撮影に使っているのは手前の半分で、奥は椅子が積んである。

 積んである椅子は座面に布が張っていない。廊下に並べてあるものと同じ形になる。数えた。二十六脚ある。


 壁に白い布が張ってある。皺が寄っている。寄ったところに影が出る。

 布の前に椅子が一つ。座るように言われた。座る。


「もう少し右」

「はい」

 椅子ごと少し動かした。動かすと足が鳴る。鳴らないように持ち上げて置き直す。


 撮る人は二人いる。一人が機械を持って、もう一人が私の横に立った。

 横の人は板を持っている。板には番号が書いてある。J-0037。字は白い。黒い板に白い字で書いてある。


「これ、持ってください」

 私は板を受け取った。胸の高さで持つ。板は思ったより重い。厚みが一センチほどある。


「顔上げて。動かないで」

 機械の前で光が二度出た。二度目は少し遅れて出る。

 光った瞬間、目の裏に別の色が残る。緑に近い。残っている間は白い布が緑に見える。消えるまでに十秒ほどかかった。


「もう一枚。今度は少し笑って」

「はい」

 笑い方が分からない。口の端を上げると顎に力が入る。入れたまま止めていると、頬が震え始めた。

「あー、いいです。そのままで」

 光がまた二度出た。

「今の、いい顔」

 撮る人がそう言った。私は自分の顔を見ていない。

 園の中に鏡はある。洗面所の上に一枚ある。高さが合っていないので、映るのは額から上になる。顎の下は映らない。

 だから自分の笑った顔がどうなっているのかを、私は確かめる方法を持っていない。


 照明の熱が顔に残っている。額のあたりが乾いて、引きつる感じがする。

 両方の手のひらが湿っていた。板を持っていたところだけ、板の面のほうにも湿りが残る。返す時に見えた。


「はい、次」

 板を返す。返した板を、横の人が布で拭いた。白い字が消える。

 消してから、次の番号を書いた。書くのは白い棒のようなものだ。書くと少し音がする。


「あの」

 私は声を出した。

「はい?」

「これ、何に使うんですか」

「冊子。ここに来た人が買うやつ」

「はい」

「見たことある?」

「ありません」


 その人は少し笑う。

「そうだよね。中に入ってる人は見ないもんね」

 笑ってから、自分で少し困った顔になった。私は「はい」と言った。


 撮った後で、机のほうへ回された。

 机には紙がある。私の頁だと言われた。頁には枠が六つ並んでいる。上から番号と名称と生年が来る。その下が出生地と系統と就業になる。

 枠は六つで、幅がそれぞれ違う。名称の枠が一番広い。系統の枠はその半分ほどしかない。就業の枠は一番狭くて、字を詰めて入れてある。


 紙は薄い。裏の字が透ける。透けているのは次の個体の頁だ。番号の頭がKに見える。


「読み合わせします」

「はい」

「番号、J-0037」

「はい」

「生年、令和百九十六年」

「はい」

「出生地、当園」

「はい」

 名称の欄は読まれなかった。読まれずに次へ行った。

 系統の欄も読まれない。


「以上です」

「はい」

 私は枠を見た。名称の欄には字が入っている。私の位置からは逆さになる。逆さでも二字は分かる。

 系統の欄は白い。線が引いてあるだけで、何も入っていない。


「ここ、入らないんですか」

 私は系統の欄を指した。指してから、指を引いた。紙に触れてよいかを聞いていない。

「そこはうちじゃないので」

「うち」

「広報。書くのは記録管理室です」

「はい」

「うちが書くと怒られます」

 その人は笑わずにそう言った。怒るのが誰なのかは聞かない。


 就業の欄には字が詰めて入っている。洗濯とふれあいと展示、それに清掃補助。四つで枠が埋まっている。

 枠は名称の欄の半分ほどしかない。半分に四つ入れるので、字が小さくなる。小さくても読める。

 読めるのは近いからだ。冊子になった時にどうなるのかは、冊子を見たことがないので分からない。


 前の版の冊子が机の端に置いてあった。

 開いてある頁は別の個体のものだ。写真があって、その下に同じ枠が並んでいる。系統の欄に文字が入っている。JP-3 とある。


「それ、去年のです」

 係員が言った。

「はい」

「今年のは秋に出ます」

「はい」


 部屋を出る前に、私はもう一度奥の扉を見た。

 札には第二会議室とだけある。番号は無い。会議室は二つあるはずだが、第一のほうは廊下の反対側で、扉に板が打ち付けてある。

 打ち付けてある板は横に三枚で、釘の頭が錆びている。錆は下へ流れた跡を残している。


 部屋を出た。

 廊下の椅子は二つ埋まっている。画面はまだ流れている。今は給餌の映像だ。皿が並んでいる。

 新しく来た二人は画面を見ていない。一人は目を閉じていて、もう一人は自分の指を見ている。

 私はその場に立って、もう一回りを待とうとした。係員が「戻って」と言う。戻った。


 廊下の窓から外が見えた。旧西棟の窓は塞いでいない。

 外は明るい。植え込みがあって、その向こうに柵がある。柵の外にも道がある。道に人はいない。

 窓の桟に埃が積もっている。積もり方が均一ではない。片側だけ厚い。風の入る隙間が何処かにある。


 旧西棟から戻る途中で、A-0114とすれ違った。反対から来た。

「撮った?」

「撮りました」

「痛くないでしょ、あれ」

「痛くないです」

「そう。私、去年のとき目つぶって、三回撮り直した」

 その人はそう言って、行った。行ってから、廊下の先で振り返って片手を上げた。私は手を上げなかった。上げようとした時には、もう向こうを向いていた。


 昼の給餌で、三八〇の人の隣に座った。

 この人は今日も三口分を私の皿へ移す。移す時に匙の腹を滑らせる。音は出ない。


「撮影だったって」

「はい」

「私も昔あった」

「今はないんですか」

「呼ばれない」

 その人はそれだけ言って、食べ始めた。呼ばれない理由は聞かない。


 食べ終わる少し前に、その人が言った。

「載ってたよ、前は」

「冊子にですか」

「うん。二十年くらい前」

「見たんですか」

「見てない。載ってるって聞いただけ」

 匙が皿の底に当たる。当たる音が二度した。


「その冊子は、何処かにありますか」

「知らない」

 その人は皿を持って立った。立ってから、一度だけこちらを向いた。

「あんたのは、残るといいね」

 それだけ言って、行った。


 午後は洗濯だった。

 袋は十一枚ある。四枚と四枚と三枚に分けて運ぶ。分け方は自分で決めた。

 撮影の服は返した。返す時に、係員が丈を確かめて、次の人へ回す山のほうへ置いた。山は六枚ある。私のは上から二枚目に置かれた。


 自分の服に戻ると、袖の折り目が無い。折り目は洗濯の折り方で付くもので、毎日着ていると消える。

 消えていることに、私は服を着てから気がついた。朝は気がつかなかった。


 運ぶ間、頭の中で数えた。

 千二百四。四桁を分けると千と二百と四になる。分けても数は変わらない。

 園の中の人数は四百十二だと聞いたことがある。四百十二を三度足すと千二百三十六になる。千二百四より三十二多い。三度足す手前で足りなくなる。


 ふれあいで一日に触られる数は、真ん中の日で三百を超える。四日ぶんで千二百に届く。

 同じ人が二度触れば二つ数える決まりなので、四日ぶんの千二百は千二百人にならない。票のほうは一人が一つだと思う。思うだけで、確かめる相手がいない。


 千二百四人が、何処かにいた。

 その人たちの顔を、私は一つも知らない。知らない人が千二百四人、同じものを選んだ。選んだ後を追った記録が何処にあるかも知らない。


 私は袋を積み直した。積み直しても数は同じだ。


 千二百四票のうち、二番目に多かった名前が何だったのかを、私は知らない。

 二番目があったはずだ。投票なので、選ばれなかった側が必ずある。選ばれなかった名前は何処にも残らない。

 残らないものを数える方法は無い。私は袋を持ち上げて、次の四枚を運んだ。


 夕方、旧西棟の前をもう一度通った。

 洗濯の当番の道順は旧西棟の前を通らない。通らない道を選んで通った。遠回りは十四歩ぶんになる。


 扉は閉まっている。廊下の椅子は片づけられていて、七つとも壁に寄せてある。

 寄せ方が揃っていない。三つは壁に付いていて、四つは少し離れている。離れているほうの下に、床の板の継ぎ目が見える。継ぎ目は縦に走っている。


 卓は残っていた。画面は消えている。

 消えた画面は黒くて、通路の照明が映る。照明の下に、私の形も映る。輪郭だけで、顔は分からない。


 卓の隅に、あの板が置いてある。

 白い字は拭いてある。番号は入っていない。黒い面だけになる。

 近づくと、拭き残りが見えた。字の形ではなく、薄い曇りが横に伸びている。布を動かした向きに沿っている。

 私は指で触れた。粉が付く。指の腹を擦り合わせると、粉は落ちた。落ちた先は見えない。


 布は板の横に畳んで置いてある。畳み方は四つ折りで、角が揃っていない。

 畳んだ人は、明日もここへ来る。四十一名のうち、今日で終わったのは十八名だと係員が言っていた。残りは来週になる。


 板は明日も同じ場所にある。書かれる番号だけが替わる。


──────────────────


国立人類保全園 第七園

個体紹介冊子(令和二百十二年度版)校了報告


作成 広報課

決裁 広報課長

件名 改訂に係る校了について


一、経過


六月十八日に撮影を実施した。対象は四十一名であった。前年度の対象は四十四名であった。


撮影は旧西棟第二会議室を用いた。当該室は通常の用途に供していない。使用の申請は総務へ行った。


二、写真の差し替え


撮影した四十一名のうち、写真を差し替えるのは十九名とした。


差し替えないものは二十二名であった。前版の写真を継続して用いることとした。継続の理由は、前版の頁の売上が新版を上回った例が過年度にあったことによる。当該の比較は令和二百七年に一度行った。以後の比較は行っていない。


三、枠の記載


各頁の枠は前版の様式を継続した。記載は個体記録票の写しによった。


J-0037 の第二欄は前版のとおりとした。当該欄は記録管理室の所管であり、広報課において記入する権限を持たない。


四、名称


名称の記載は全個体について行った。誤記は認めなかった。


なお、名称を来館者へ口頭で伝えることは係員心得四により認めていない。冊子への記載は当該の心得の対象外とした。


五、読み合わせ


撮影の後、各個体と枠の読み合わせを行った。読み合わせの対象は番号、生年、出生地とした。


名称および第二欄は読み合わせの対象としなかった。理由の記載は前版の報告にも無かった。


六、参考資料


撮影に際し、前版の制作時の映像を待合に流した。映-二一四ほか三件であった。


再生は業務の参考によるものであり、上映に当たらないものとした。よって視聴の記録は取っていない。


再生の総時間は四十分を超えた。この間、待合に個体が常時三名から五名いた。


七、経費


撮影の費用は前年度と同額とした。差し替えを十九名に絞ったのは費用の都合による。全数の差し替えを行った場合の増額は八万円であった。


八、留意


映-二一四は本年度末で保存年限に達する。廃棄の前に複製を作る定めは無かった。


当該資料の取り扱いについて、広報課から記録管理室へ照会した。回答は「目録のとおり」であった。再度の照会は行っていない。


冊子の発行は九月を予定した。部数は前年度と同じとした。


(作成 広報課)

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