6-20『赤い大地』
第六章
第二十話『赤い大地』
現実にあるとは思えない、漆黒に塗り潰された場所から出た先は、赤茶けた、荒涼とした景色が広がっていた。
あちこちに大小さまざまな岩が転がり、草木一本生えていない。
遮るものの何もない、ただ淡々と続く、枯れた大地。
空は妙に青くて、赤と青がくっきりと分かれた不思議な景色だった。
「成る程ねえ」
辺りを見回して、クイニークさんは小さく苦笑する。
「これが南の大地の象徴かあ」
「はい?」
何を言われているのか判らなくて首を傾げれば、クイニークさんは苦笑のまま、景色を指差した。
「南のほうってねえ、火山が多いんだあ」
「そういえば、そう仰ってましたね」
確か初めてクイニークさんとまともに話した時、そう言っていた気がする。
「一番目の異界じゃあ森林だったんだろう?」
「はい、二番目は雪景色で……あ」
思い至ったことに口を開けた私に、クイニークさんは優しく微笑んだ。
一番目の異界の先、白黒の大樹があった場所は、深い森だった。
ファービリアさんが治める西の領地は、緑が多く広い森林地帯があるらしい。
二番目の異界の先は、真っ白な雪景色だった。
サンシュが治める北の領地は、雪深くて年中冬みたいな場所もあるっていう話だ。
そしてクイニークさんが治める南の領地は火山地帯が多く、そうであれば緑は少ないんじゃないかと想像できる。
「この先に大樹の核があるのならあ、ここがそれぞれの領地を象徴したような景色になるのもお、頷けるよねえ」
それは確かにその通り。
二番目くらいで気付けても良かったことだろうけど、実際にみんなの領地を体感したことがないせいか、思い至らなかった。
「それにしてはあ、随分作り物っぽいけどねえ」
小さく溜め息を吐いて、クイニークさんは首を振る。
確かにこの空間は、前の二回と同じように、何処か偽物みたいな空気が漂っていた。
赤い荒涼とした大地の寒々しさは肌で感じるのに、生きた気配の何もない空間は悪い夢みたいに感じる。
「そういえば、ファービリアさんは魔法が使えなくなってましたけど……」
「そうだったみたいだねえ。僕もねえ、竜化もできそうにないなあ」
何かを試そうとしてる様子はなかったけど、自分の力のことだ、すぐに判るのかもしれない。
魔法も、それから竜化も無理そうだと言ってから、クイニークさんは首を傾げる。
「遠くまで行くならあ、飛べたほうが楽だったんだけどねえ」
「い、いえ、歩きましょう」
残念だねえ、と苦笑するクイニークさんに、私は少し焦ってそう促してしまった。
結構、酔いそうだったんだよね、あれ。
竜酔い? って言ったらいいのかな?
ひょっとしたらあの時は結構小刻みに動かなきゃいけなかったからかもしれないけど、なんかもう、ちょっとしたトラウマみたいになってる。
「そうかあい? じゃあ、ここでただ立っていても仕方がないからねえ」
クイニークさんは私の内心を知ってか知らずか、にこにこと微笑って歩き出した。
あの黒い空間から手を繋いだままなんだけど、なんかこうして誰かに手を引かれて歩くことに慣れつつあるな。
致し方ないとはいえ、ちょっとばかり情けないと思う気持ちも拭いきれない。
それでもまあ、じゃあ手を離しても不安なく歩けるのかと自問するまでもなくて、私は諾々とクイニークさんに手を引かれて歩き続ける。
踏みしめる地面の感触は硬くて、最初の森林や二番目の雪原とは全く違っていた。
そういうところは見た目通りなのに、なんていうか、この空間に溜まった空気が普通とは違ってるみたいで、偽物の地面を歩いてる気分が付き纏う。
ここがもし本当に各領地を象徴している場所なら、もう少し本物っぽくてもいいんじゃないだろうか。
それか、もう少し、こう……神秘的な感じ?
そういうので溢れててもいいんじゃないかと思う。
もしかしたら、私たちが感じている偽物っぽさが神秘性そのものなのかもしれないけど、なんだかちょっと、気持ちが悪いんだよな。
ひょっとしたら大樹の核が弱ってるから、こんな風に感じるのかもしれない。
そういえば、確か本来であれば、今の時期は南の大樹の力が弱るんだって、最初にファービリアさんが教えてくれたっけ。
あの頃はこの世界のことを本当に何も知らなくて、ただ説明される言葉を無理矢理飲み込んでいた気がする。
今だってこの世界で生まれた人たちと同じくらいの知識があるとは言えないけど、あの頃よりは随分マシだ。
「ううん、本当に何もないねえ」
「そうですねえ」
見たままのことを口にするクイニークさんに、私も思わず語尾を伸ばしながら応えた。
いや、本当に何もないんだよね。
見えるのは赤茶けた荒野が淡々と続く景色だけで、何処を見回しても大樹の影さえ見えない。
このままどれだけ歩けばいいのか。
だだっ広い荒野に放り出された不安に重ねて、そんな焦りが湧いてくる。
「何もないけどお」
呟くように言いながら、クイニークさんはぴたりと足を止めた。
それにほんの少しだけ遅れて、私も立ち止まる。
彼の視線はずっと前を向いていて、釣られるようにそっちを見るけど、私にはこれといって何も見えない。
「すこおし先にねえ、崖があると思うよお」
「崖?」
大樹じゃなくて?
思わず鸚鵡返しになった私に、クイニークさんは前を向いたまま頷いた。
「この距離だとお、慣れていないと見えないかなあ」
クイニークさんの手に、少しだけ力が籠る。
痛いほど強くはない。
だけど、振り解けるほど弱くもない。
私を逃がさない為に力を籠めたわけじゃなくて、無意識に強くなったような感じだ。
それが彼なりの緊張感の表れなんだと、漸く気付いた。
いつもにこにこ微笑んでいて、困ったときすら苦笑っていう笑い顔で、間延びした穏やかな口調を変えることもないのんびり屋。
そんな風に見えるクイニークさんだって、こんな場所で緊張しないわけがない。
私は大樹の核に会うのが……その先に一人で行くのも三回目だけど、クイニークさんは話に聞いてるだけで、初めての体験なんだから。
「……私の目だとちょっと判らないので、行ってみましょうか」
目を細めて先を見てから、私はクイニークさんに微笑み掛けた。
クイニークさんが緊張してるのは、きっとこの先、大樹の核と対面したあと、私が一人になるからだ。
傍に居れば護るだけの自信がある。
だけど、最後の場所に自分は行けない。
そう判ってるから、緊張してるんだろう。
この世界で私を護ろうとしてくれる人たちは、みんなそうだ。
私だって、みんなと同じ立場なら同じように思っただろう。
戦闘能力皆無の私が傍に居たって、何ができるわけでもないけど。
「そうだねえ、行こうかあ」
ぎゅ、と強く私の手を握ってから、クイニークさんは足を踏み出した。
私も勿論、それに続いて歩き出す。
そうして少し進んだ先に、確かに崖があるように見えてきた。
崖があるみたいだ、と言われていたからこそ判るくらいの、微かな景色の変化。
赤茶けた地平線が見えるような途方もない場所で、それを見分けるのは私にはヒントなしじゃ無理だったと思う。
お互いに無言で歩き続ければ、はっきりと大地の終わりが見えるようになった。
深い、深い崖の向こう岸は、更に淡々と荒野が続いてる。
だけど視線を下に向ければ、そこに白黒の大樹があった。
相変わらず、そこだけ色彩が抜け落ちたような酷い違和感。
「こうきたかあ……」
思わずぽつんと呟いてしまうくらい、意外な場所だ。
「南のほうはねえ、こういう大地の亀裂みたいなものがあ、沢山あるんだよお」
「そうなんですね」
ああ、だから遠くからでもこの崖が判ったのか。
納得しながら、私は改めて大樹を見た。
深い崖の下に根付いているらしい大樹は、ここからだと頭の上しか見えない。
大樹を上からみたのなんて初めてだけど、それよりも気になることがあった。
最初は気のせいかと思ったけど、確かに腐臭がする。
血でできた、熟れた大粒の果実を思わせる、独特の腐敗臭だ。
今までは、少なくとも大樹の核であろう人型の姿を目にするまでは判らなかったその匂いが、ここまで漂ってる。
「あの……下まで、どう行きましょう?」
大樹を見付けたはいいけど、先への進み方が判らない。
魔法も竜化もここでは無理なら、どうやって崖下に行けばいいのか。
「そうだねえ。すこおし、乱暴になってもいいかあい?」
「は? え? あ、はい」
にっこり微笑まれて、私は意味不明な言葉のあとに、うっかりと『はい』と言ってしまった。
クイニークさんの言うところの『すこおし乱暴』がどういうものか、身に沁みて判ってたはずなのに。
「うんうん、聞き分けのいい子は好きだよお」
「え? あ、はあ!?」
にっこり笑ったクイニークさんは、おもむろに私を肩に担ぎ上げた。
重い荷物を肩に担ぐような感じなんだけど、まさかクイニークさんにこんなことをされるとは思ってもみなくて、身体が硬直する。
「何かがあったときにい、片手は空けておきたくてねえ」
そんなことを言いながら、クイニークさんはすたすたと前に進む。
いや、あの、これ以上前に進んだら、崖から落ちますけど?
「喋らないようにねえ、舌を噛むからあ」
「……!?」
クイニークさんの言葉の意味を理解するよりも、急激に下降する身体から胃の腑が転げ出そうになるのが先だった。
「!!??」
喋るとかなんとかいうレベルの話じゃない。
悲鳴すら出ない。
何故か瞬きを忘れた私の目に映るのは、嫌になるくらいに青い空と、遠ざかる崖っぷちだけだった。
続




