5-16『帰り道にて』※カリス視点
第五章
第十六話『帰り道にて』
※カリス視点
夜の街特有の賑やかさを通り過ぎると、急に静寂そのものの空気に包まれた。
王宮から徒歩圏内で行ける街は貴族街っつって、圧倒的に治安が良くてそもそも喧騒とは縁遠い場所ではある。
東の領主代行が、夜にほとんど供も連れずに歩ける程度には治安がいい……ってまあ、本来はお忍びだろうがなんだろうが、この人が護衛一人だけ付けて出歩くとか、本当はマズいんだろうけどな。
そう思いながら、横を歩くヒイラギさんにちらりと視線を向ける。
これといった表情も浮かんでないヒイラギさんは、ぱっと見、とっつきにくい感じがした。
美人ってのはなんの表情もないと、近寄り難い感じがするもんだなって、この人を見てると思う。
「アディが心配かい?」
「へ?」
不意にこっちを見たヒイラギさんに問い掛けられて、俺は間の抜けた声を上げた。
そんな俺を見て、ヒイラギさんは小さく苦笑する。
「それとも、何も訊かずに色々やってる私が気持ち悪い?」
「いや、それはないッスけど」
小首を傾げるヒイラギさんに、反射的に首を振った。
首を振ってから、少しばかり先を歩いてるサイゾウさんから、背筋が凍りそうな殺気が零れてることに気付く。
あの人、ヒイラギさんのことになると、情けも容赦も見境もなくなるから、下手な反応すると速攻で敵認定されるんだよな。
ヒイラギさんの言葉を否定した俺の反応が本心からのものだと察してくれたのか、その殺気はすぐに引っ込んだ。
それはほんの一瞬のことだったんだが、ヒイラギさんもしっかり感じたらしく、俺に小さく苦笑する。
『サイゾウがごめん』とでも言いたげな目を俺に向けてから、ヒイラギさんは小さく肩を竦めた。
「じゃあ、どうして今、私があの子をあそこに預けて来たのか気になる?」
「……そうッスね」
いつかこの人がアディの為に何かしら動くだろうことは、俺じゃなくても想像してたことだと思う。
今の四方領主と陛下を合わせた中で、一番人の心のケアに敏感なのはヒイラギさんだ。
いや、正確に言うなら、一人一人の心の痛みを見捨てられない、上に立つ人間としては微妙な弱さを持ってる。
上に立つ人ってのは、大を生かす為に小を殺す選択をしなきゃいけねえことが多い。
隣にいる人の心の痛みにさえ目を瞑ることが多過ぎて、個人の気持ちを労わるってことに無頓着になる。
それができないヒイラギさんは、多分、為政者としてはまだまだなんだろう。
為政者としては未熟でも、俺らみてえな誰を治めるでもねえ一般人にすりゃ、話の判る貴族だ。
俺だって家が爵位を持ってるって意味じゃ貴族だが、領地持ちってわけじゃねえから、そこらのある程度金持ってる商家と大して差はねえ。
「まあ、一番弱るのが今のタイミングだと思ったから、だね」
なんの感情もなく言い放たれた言葉は、俺が知ってるヒイラギさんらしくないようで、滅茶苦茶らしいものでもあるといえる。
この人は、切り替えが凄まじいんだ。
「レヴァン家の前『英雄』に会うように仕向けたのは私だし、そうなったときにアディがどう思うかも想像してた。だから最善の場所を提供した。それだけだよ」
淡々と告げるヒイラギさんの顔にはなんの表情もなくて、冷たくも見える。
ただ事務的に助け舟を出しただけだと信じるに充分な声と表情だとは思うが、この人の場合はそうじゃねえと判る程度の馴染みは俺にもあるんだよな。
「本当は俺らがしなきゃいけねえことだったのに、ありがとう御座います」
アディの護衛にと選ばれたのは、俺とヒール、それからリクだ。
稀人なんてわけの判らねえ肩書を背負って、この世界を救う為なんて大仰な役目を抱えてこの世界にやって来ちまったアディを護るのは、俺たちの役目だ。
命も、心も、身体も。
その全部を任されてたはずなのに。
「人を一人護り抜くって、結構大変だろう?」
ヒイラギさんはそう言って、苦笑に近い微笑を俺に向ける。
「私一人護るだけでも、生まれたときから傍にいてくれる二人が四六時中一緒にいてくれるくらいだ」
ヒイラギさんはちらりとサイゾウさんのほうを見て、苦く微笑った。
俺が見たことのあるヒイラギさんは、いつもゴラの兄サンとサイゾウさんを傍に置いていて、離れてることがほとんどねえ。
常にその二人に身体も心も護られてるから、ヒイラギさんはヒイラギさんでいられるんだろう。
誰かに護られながらでしか東の領主代行として生きられないことに、少なからず不甲斐なさを感じてるんだろう言葉に、俺のほうも苦笑が零れる。
「もっぱら護衛に当たる俺みたいな立場からすれば、貴方みてえな人のほうが護り甲斐があるってもんですけどね」
「そうかな?」
「そうですよ」
小さく首を傾げるヒイラギさんに、俺は頷いた。
中央に在ろうとも、領地も持たねえ弱小男爵家の跡取りである俺からすりゃあ、上に立つって立場より護衛騎士の意識のほうが強い。
「俺は、護られて当然って奴を護るときより、護られることに心苦しさを感じてる人を護るときのほうが、力が出ますよ」
外敵と戦うことより、要人の護衛を主にしてるのがヒュージ団長以下の王直属の騎士団だ。
対少数相手で人を護るってことに長けてる反面、無作為大規模の暴徒だの、魔物の狂乱だとかを正面切って抑えに行く力は低い。
背中に護るべき人がいるほうがやりやすいっつうか、なんつうか。
その上で護るべき相手が、俺に対して気を遣ってくれてりゃ護り甲斐もあるっつうか、なんつうか。
改めて言葉にするとアレだな。
我が儘過ぎるな、俺。
まあ、多分ヒールも同じだから、我が儘が過ぎるのは俺だけじゃねえんだろうがな。
「はははっ! そりゃあそうかもしれないけど、私以外の前で言うのは考えたほうがいいね」
からからと笑う軽快な声が、更けた夜の闇に吸い込まれていく。
「私が思うに、アディの記憶がないっていうあれ、多分『祝福』か『呪い』の力なんじゃないかな」
「は?」
唐突に告げられた、思ってもみなかった言葉に、俺はまた、間の抜けた声を上げることになった。
「例えばだけど、私が異界に行くことになったとしたて、その先にゴラちゃんもサイゾウもいなかったとしたら、まず最初の一歩を踏み出すのに相当な時間が掛かると思うんだよね」
そう言って、ヒイラギさんは肩を竦める。
「私は二人に依存してる自覚があるからね」
自嘲の笑みを浮かべて、ヒイラギさんは俺を見た。
想像してみれば、俺にだって判る。
アディと同じように、生まれ落ちた場所とは全く違う世界に唐突に喚ばれたとして、俺だったらすぐに対応できやしねえって。
ヒールもいねえ、リクもいねえ。
団長や騎士団仲間の誰もいねえし、家の人間もいねえ。
そいつらの思い出だけ背負ったまま、俺はすぐに自分を稀人だと自覚して、生まれた場所でもねえとこを救おうなんて切り替えられたとは思えねえよな。
「過去の何もかもを失ってここに現れたこと、それそのものがアディに与えられた能力だとしたら、まあ、納得もいくってわけだけど」
一つ区切って、ヒイラギさんは息を吐く。
「それでも、なんのしがらみもなく話を聞いてくれるだけの場所は必要だと思ったんだよ」
どこか寂し気にそう言って、ヒイラギさんは正面を向いた。
東の領地を治める血筋に生まれ落ちた彼女にとって、ゴラの兄サンとサイゾウさんの傍が、きっとそんな場所なんだろう。
「俺にもありますよ、そういうところ」
貴方にもそういう人たちがいて良かったですね。
そういう気持ちを籠めて言った言葉は、ちゃんとそのまま伝わったらしい。
「お互い、あって良かったな」
ちら、とこっちを見るヒイラギさんの表情は穏やかで、なんともいえない自嘲に満ちていた。
「はい」
素直に頷けば、ヒイラギさんは微笑んだまま、また正面を向く。
「あの子には、助けを求められる場所が複数あったほうがいい。そう思っただけの話だし、なんだかんだそういう場所を用意するの、私が最適だったってだけの話だよ」
簡単に言ってくれるけど、そう判断するのも決断するのも、生易しいことじゃねえ。
アディが授かってる能力のことを推測してるのだって、本当は俺に言っていいことかどうかも判らねえ。
「……ヒイラギさんって、マジでヒイラギさんッスよね」
「なんだ、それ?」
俺自身、何を言ってんのか判らないことを言ったと思ってる。
ただ、不思議そうな声でコロコロと笑うヒイラギさんも、先を歩きながらなんの気配も感じさせないサイゾウさんも、二人ともなんか嬉しそうだから。
だから多分、俺が言ったことは間違ってないんだろう。
あの場所が。
あの空気が。
アディにとって必要だったんだって思ってる俺の気持ちも、間違ってないんだろう。
それと同じものを俺たち護衛騎士が作ってやれなかった原因が、その騎士の一人にあるってことを知りながら何もできなかった自分を、この人はさらっと救ってくれた。
アディの事情も、リクの事情も判ってる俺たちが、何もできないことを知ってて。
「……ありがとう御座います」
「どういたしまして」
低く呟いた俺の言葉に、ヒイラギさんは事も無げに手を振って見せる。
なんつうかなあ。
敵わねえな、この人には。
続




