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と金の軍師 〜記憶なき将棋名人、土佐の隅から天下を詰ます〜  作者: 九条ケイ・ブラックウェル


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第五話 持ち駒

第五話 持ち駒


塩商人が、湊から消えた。


逃げたのでも死んだのでもない。ただいなくなった。荷も船もそのままに。次の朝、馬借が一人、山道で見つかった。喉を深く割られていた。手には何も握っていなかった。ただその懐から、宗佐が三月前に渡したわずかな銭が、抜き取られていた。


宗佐の目が、一つずつ炙り出されていた。


誰が宗佐の目であるかを、誰も知らぬはずだった。塩を見た者は馬の泥を見た者を知らず、束ねているのは宗佐一人のはずだった。それが一つずつ、正確に辿られていく。


了円が本陣の宗佐を訪ねてきた。痩せた小坊主はいつものように顔色を変えなかった。だがその澄んだ目だけが、わずかに固かった。


「軍師さま」と了円は言った。「誰かが、目を数えております」


「数えている」


「霧を撒いております。偽の荷を引き、偽の文を流し、どの村の誰が近頃よけいなものを見ているか、炙り出しております。村に嘘の餌を撒けば、それに食いつく者が目です。一つ食いつけば、その者が次に会う者を辿る。辿って、辿って——」了円はそこで初めて、子供らしく唇を噛んだ。「頭を探しております。束ねている、一つの頭を」


宗佐は目を閉じた。


了円が霧の夜に言った言葉がよみがえった。束ねる頭が討たれれば、束ねられた目は一斉に焼かれます——あの子は初めから、これを恐れていた。


「あの男だ」と宗佐は言った。「尾根に立っていた、あの男だ」


家中ではいつしか、その男を夜烏の源八と呼ぶようになっていた。霧の中で鳴き、霧の中で人を消す男。


久武が評定の間で低く笑った。勝ち誇りではない。もっと冷たい、正しい者の声だった。


「言うた通りでござろう、軍師どの。逃がした頭はまた来る。次はもっと濃い霧を作って、とな」久武は宗佐を見据えた。「あの時に斬っておけば、商人も馬借も死なずに済んだ。あなたの読み残しが、味方の喉を割らせておる」


宗佐は否まなかった。久武は正しかった。


最初の戦は、夜烏が霧で軍を隠し、宗佐がその霧を読んで勝った。だが今度の戦は違った。夜烏はもう軍を隠していない。隠すのをやめて、宗佐の目を狩りに来ていた。霧を作る男が、宗佐の作った網そのものを潰しに来た。


——読み手だ、と宗佐は思った。


ただの間者ではない。盤を隠すだけの男でもない。あの男は、宗佐がどうやって霧を破ったかを読んだ。目を置いて束ねた手筋を読み、ならば次はその目を一つずつ抜き、束ねる頭を断てばいいと読んだ。宗佐の勝ち方を研究した男だ。


宗佐は絵図の前で、長いこと動かなかった。


読み手から、どう隠れるか。


考えて考えて、答えはひどく単純なところにあった。


読み手からは、隠れられない。


隠せば隠すほど、読み手はそれを読む。霧で隠した宗佐の手を、夜烏が読み破ったように。隠すという手は、読み手の前ではかえって形を教える。ならば——


隠れぬ。(さら)す。


——己を、捨て駒に打つ。


わざと一枚を取らせ、相手がそれを取りに動いた一瞬に、盤をひっくり返す。曝した首へ向こうが手を伸ばした、その手こそが隙になる。


宗佐は目を開けた。


「頭を探しているのなら」と宗佐は言った。「頭を、見せてやればいい」


久武が眉をひそめた。元親が若い目で宗佐を見た。


「あの男が探している頭は、わたしです」と宗佐は続けた。「束ねているのはわたし一人。ならば夜烏の欲しいものは、わたしの首ただ一つ。——わたしを餌にします」


評定の間が静まった。


「狂うたか」と久武が初めて声を荒げた。「軍師を餌に。お前が討たれれば、目は一斉に焼かれ、長宗我部はまた霧の中で(めしい)になる。これこそ夜烏の狙いではないか。お前を釣り出す。お前自身が、その手に乗ろうとしておる」


久武の言葉には骨があった。宗佐はそれを胸の内で認めた。これは夜烏の手かもしれぬ。宗佐を曝させ、討つための。餌のつもりが、自分が餌になっているのかもしれぬ。


だが宗佐は、それでも指すと決めていた。


「読み手は読みを信じます」と宗佐は静かに言った。「あの男は、わたしの首が無防備に曝されていれば、必ず自分の手で断ちに来る。子飼いにはやらせぬ。読み手にとって敵の頭を断つ一手は、何より旨い。人にくれてやる手ではない。——だから来る。一人で。わたしの読みは、そこに賭けます」


宗佐は元親を見た。


「殿。わたしの首は曝します。ですが断たせはしませぬ。夜烏がわたしの首へ手を伸ばした、その一瞬——沢の口の時と同じです。出てきた者は、戻れぬ」


元親は長いこと宗佐を見ていた。それからゆっくりと笑った。父を喪って以来、初めて見る若い、(たけ)き笑みだった。


「お前の首を餌にするか」と元親は言った。「ならば、その首を断ちに来た男の首を、俺が獲る。——だが宗佐、一つだけ申しておく」


元親の目が据わった。


「その男は俺の家を霧で割ろうとした。お前を裏切り者だと家中に触れ回った。俺の商人を、俺の馬借を、喉を割って殺した。——獲るなら生きたままでもよい。だがその怨みは、お前が背負うな。俺が背負う」


宗佐は頭を下げた。


その夜、宗佐は一人だった。


北の境に近い、古い百姓家の一間。灯火を一つだけ点し、宗佐は板間の上に駒を並べていた。


将棋盤ではない。長浜で拾われて以来、宗佐が手すさびに削った不格好な木の駒。盤も、墨で線を引いただけの板きれ。それを前に、宗佐は一人で座っていた。


曝した首だった。北の目をすべて炙り出された今、軍師がたった一人、灯火の下に座っている。これ以上、無防備な頭はない。夜烏が読めば、必ずここを断ちに来る。


宗佐は駒を一つ動かした。指す相手はいなかった。ただ自分の読みを、駒で確かめていた。


灯火が揺れた。


戸の外に気配があった。足音はない。霧を作る男に足音はない。だが宗佐にはわかった。盤の向こうに座ろうとする者の、気配だった。


「源八どの」と宗佐は顔を上げずに言った。「久しいな」


戸が音もなく開いた。


男が一人、立っていた。具足も旗もない、ただの旅人のような(なり)。痩せて、目だけが暗がりで奇妙に光っていた。手に抜き身を提げていた。


夜烏の源八は、宗佐の前の墨で引いた粗末な盤を見た。それから、灯火に照らされた宗佐の無防備な首を見た。


「軍師どの」と源八は低く言った。掠れた、霧のような声だった。「あなたはわしの霧を破った、ただ一人のお人だ。その首を自ら曝すとは。——餌だな」


「餌だ」と宗佐は認めた。「だが旨い餌だろう。読み手にとって、敵の頭は何より旨い。子飼いにくれてやるには惜しい一手だ。——だからあんたは、一人で来た」


源八の口の端が、わずかに歪んだ。


「読まれておったか」


「読み手は読みを信じる。あんたがわしの首を断ちに一人で来ると読んだ。あんたは来た。わしの読みが当たった」宗佐は初めて源八を見上げた。「だがあんたも読んだはずだ。これが餌だと。罠だと。読めていて、なお来た。なぜだ」


源八は答えなかった。だがその目が答えていた。


罠と読めても、敵の頭を断つ一手は断らねばならぬ。もしこれが本物なら、宗佐一人を断てば長宗我部の目は一斉に焼け、本山が勝つ。読み手はその手を見送れない。罠と知って、なお指さねばならぬ手がある。


「曝された頭は、断たねば勝てぬ」と宗佐は言った。「だからあんたは罠でも来た。——わしも同じだ。あんたを獲るには、わしの首を曝すしかなかった。互いに見送れぬ手を、指し合った。それだけのことだ」


源八が抜き身を上げた。


その瞬間、家の四方の闇がいっせいに立ち上がった。


伏せていた元親の手勢だった。粗末な百姓家の闇に、一晩、息を殺して伏せていた。源八が宗佐の首へ一歩踏み込んだ、その一歩。出てきた者は戻れぬ。源八の背後で戸が塞がれ、窓が塞がれ、退き道が消えた。


沢の口が閉じる時と同じだった。


源八は抜き身を提げたまま動かなかった。逃げようとはしなかった。ただ塞がれた四方をひと巡り見て、それから宗佐の前の、墨で引いた盤に目を落とした。


宗佐がさっき動かした、駒の形を。


源八はその形をしばらく見ていた。そして——ゆっくりと頭を傾けた。


尾根の上で宗佐に見せたのと、同じ仕草だった。隠した盤を見つけられた者が、その一手だけを認める、あの仕草。ただ今度は、傾ける角度が深かった。


「わしは霧を作る」と源八は抜き身を静かに板間へ置いた。「あんたは霧を読む。——格が違うわ」


元親が踏み込んできた。源八の喉元へ切っ先を突きつけた。父を喪い、家を割られかけた若い当主の目に、煮えたぎるものがあった。この男の首を今すぐ断ちたい、という熱が。


「殿」と宗佐は静かに言った。「お止めを」


「宗佐」元親の声が低く震えた。「この男だぞ。俺の家を割ろうとした男だ」


「存じております」


評定の間で抑えていたものが、久武の口からついに爆ぜた。


「斬れ! 殿、お斬りなされ! この男は軍師を裏切り者と触れ回り、味方の喉を割った男ぞ! これを生かせば家中は何と思う! 己を陥れた敵すら許す軍師に、忠など誰が捧げる! 味方の死に報いず、敵に飯を食わせるか!」


茂助も、土の匂いのする声で低く言った。「久武さまの言う通りじゃ。わしらの仲間が、この男の霧の中で何人、畦に転がった。その霧を作った男に米を食わせると。——それはいささか、むごい話じゃ。死んだ者に」


二人とも正しかった。宗佐はそれを否まなかった。


宗佐はゆっくりと立ち上がった。喉に切っ先を突きつけられた源八の前に立った。


「源八どの。あんたはもう、本山へは戻れませぬ」


源八の目が細くなった。


「なぜ、そう読む」


「わしを討ち損じた。しかも生きて捕らわれた。霧を作る者が、一度、敵の手に落ちた。戻れば本山はあんたを疑う。あの男は寝返ったのではないか、何を喋ったのか、と。——霧を作る者は、疑われた時点でもう霧を作れぬ。本山はあんたを殺します。あるいは飼い殺す。だが、もう打たぬ」


宗佐は源八を見た。


「本山はあんたを捨て駒として打つ。いや、もう打ちもせぬ。わしなら打つ。——斬れば本山の目が一つ減る。使えばこちらの目が一つ増える。どちらが得かは、考えるまでもない」


「得だと」と久武が声を裏返した。「家中の信義より、目の数か!」


「久武どの」宗佐は振り返らなかった。「あんたの言う通りだ。これを生かせば、家中は軍師に信義がないと思う。己を陥れた敵すら許す、節操のない男だと。——あんたの言は正しい。だが、正しいことと勝つことは、別だ」


源八は長いこと宗佐を見ていた。霧のような目の奥で、何かがゆっくりと計られていた。読み手が盤を読み直していた。本山という盤と、宗佐という盤。どちらが自分という駒を、正しく使うか。


「——あんたの盤は狭いぞ」と、やがて源八は言った。「土佐の隅の、いちばん小さなどんぐりだ」


「今はな」と宗佐は答えた。「だが狭い盤の隅の歩でも、打ち直されればどこへでも利く。わしがそうだった。本山から流れて、長浜でこの殿に取られた。取られて打ち直された、一枚の駒だ」


源八は目を閉じた。そしてゆっくりと、板間に額をつけた。


「忠を替えるのではござらぬ」と霧の男は言った。「盤を替えるのです。——夜烏は本山の捨て駒として飼い殺されるより、あんたの読みへ身を置く。それだけのこと」


「それでよい」と宗佐は言った。「心まで取ったとは思っておらぬ。今は、利きだけでよい」


元親が切っ先を引いた。だが引いた切っ先をそのまま源八の眼前に突きつけたまま、低く言った。


「夜烏」と若い当主は言った。「こいつを生かした怨みは、宗佐ではない。俺が受ける。お前が裏切れば、宗佐の読みが外れたのではない。俺の目が節穴だったということだ。——その時は宗佐ではない。俺がお前を斬る。だが働くうちは、昨日までのお前の首は、俺が預かっておく」


源八は額をつけたまま、その言葉を聞いていた。


理屈を出したのは宗佐だった。だがその危うい一手を、最後に指したのは元親だった。怨みも責めもすべて当主が引き受けて、初めて源八は長宗我部の駒になった。


宗佐は源八を、すぐには本山へ向けて打たなかった。


「源八どのは、しばらく海を見ていてくれ」と宗佐は言った。「土佐の西の湊だ。本山からは、いちばん遠い」


久武が(いぶか)った。「なぜ本山へ向けぬ。霧の男なら、本山の内をこそ探らせるべきだろう」


「取った場所の近くへ打ち直せば、駒は元の形に引き戻されます」と宗佐は静かに言った。「本山の近くへ置けば、源八どのの中の、本山に馴染んだ手筋がまた頭をもたげる。——取った駒は、取った升から遠くへ打つ。古い形が利かぬ場所へ」


それは宗佐がその夜、初めて言葉にした、ひとつの(ことわり)だった。


その理がどこまで人に通じるのかを、宗佐はまだ知らなかった。


源八が西の湊で働きはじめると、宗佐の盤に、初めて海の向こうから細い利きが通った。


すべてが宗佐の手に移ったわけではない。夜烏の網のうち、本山に属していた糸は、源八が抜けたことで多くが切れた。だが源八が個として握っていた、海商の端の細い糸が、いくつか残った。これまで霧の向こうだった海の盤に、初めてひとすじ、利きが通ったのだ。


その細い利きが、ある報せを運んできた。


堺で硝石の値が上がっている。買っている者は一人ではない。だがその勢いは、まるで同じ一つの意思のように見えた。


誰かが火薬を欲している。守るためではない。攻め続ける者の量だった。


まだ雑音だった。読むには足りぬ。三つの別々の世界が同じ一点を指すまでは、断じない。それが宗佐の流儀だった。


聞き流した。聞き流して、忘れぬように留めた。


その夜、元親が宗佐の元へ来た。


「家中はまだざわついておる」と若い当主は言った。「久武の言うことにも理がある。古参は納得しておらぬ」


「裏切るとわかっていて、使うのか」


「わかっていて、使います」宗佐は灯火を見た。「盤の駒なら、取ればこちらのものです。黙って働く。ですが人は違う。取っても、なお考える。——だからこそ怖い。だからこそ強い。源八どのの心は寝返ってなどおりませぬ。あの男は、わしの盤が本山の盤より自分を高く使うと読んだ。それだけのこと。いつか、わしの盤より高く自分を使う盤がよそに現れれば——あの男はまた読んで、そちらへ動くでしょう」


元親は宗佐をしばらく見ていた。


「冷たい男だな、お前は」


「はい」


「だが」と元親は立ち上がりながら言った。「その冷たさで、俺はまだ生きておる。——好きにしろ。家中は俺が抑える」


宗佐は一人、墨で引いた盤の前に戻った。


不格好な駒を一つ手に取った。源八という新しい一枚。利きは鋭い。だがいつか、こちらへ刃を向けるかもしれぬ、心を持った駒。


宗佐はその駒を、盤の自陣から遠く離れた升へ、静かに打った。


今日は、己という駒を、先に捨てた。捨てて、取った。


敵を、殺すな。取った駒は、打つ。ただし——取った升から遠くへ。古い形が利かぬ場所へ。


灯火が揺れた。


盤は少し広がった。広がった盤の隅に、いつか牙を剥くかもしれぬ駒が、一枚増えた。


宗佐はその駒を、長いこと見ていた。


その理がどこまで通じるのかを、宗佐はまだ、知らなかった。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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