12.拐かし
ガタガタと長く身体を揺さぶる振動に、私は覚醒した。あまり気分が良くない。少し気持ちが悪い感じに、何事かと薄っすらと目を開ける。すると、長椅子に座る男の足が見えた。長椅子自体は馬車に備えられているもののそれだが、私が子爵家で生活していた頃に使っていたものよりも質素なもののように思う。だからこれほどまでに揺れが伝わるのだろうか。
とにもかくにも、私はこの馬車の中で気を失っていたらしい。下半身は座った姿勢のまま上半身を横たえている姿勢のため、腰が少し痛かった。
その上、私の上半身は手は後ろにやる姿勢でぐるぐると縄が巻かれているようで身動きが取れない。縄の存在を自覚すると、肩や腕まで鈍く痛んできた。
ここまで状況が揃えば、拐かされたと嫌でもわかる。それも最悪の状況だ。これでは私は力を使えない。
そうあれこれ考えているうちに、向かいの席の男が私の目覚めに気づいたらしく、太ももに肘をつける態勢になって前のめりに話しかけてきた。
「目ェ覚めたか、姫さんよ。ヒヒヒッ、これはまたキレイな姫さんで、寝起きの顔はそそるねえ。」
その言葉に嫌悪感を抱いた私は、鋭くその男を睨みつけた。けれどもその男は全く気にしていないようで、ニヤニヤと笑う。顔を見られることを警戒しているのか、目鼻と口だけが出ている布を頭から被っている。体格は良く、長椅子には鞘に収まった剣が立てかけられていた。ただその剣も服と同様、パッと見たところではあまり質が良いようには見えない。
「……雇われ兵ですか。誰が何のために、私なんかを。」
「ほう、さすがはお妃候補だけあって多少の察しはいいようだ。ま、なーに、ちょっとオレらと遊んでいこうやって話さ。」
「……。」
当たり前といえばそれまでだけど、やはり相手には首謀者を吐くつもりはないらしい。それに、それを考えるのは後でいい。今必要なことじゃない。とりあえず、何事もなく生き延びることだけを考えなければ。この状況をなんとかしなければ、手酷い仕打ちを受けることになるのは目に見えている。
「……簡素な馬車、というだけでは済まないくらい揺れているようですけれど。……酔ってしまうわ。」
「もう少し我慢しな。あんたは起きるのがちょっと早すぎたよ。舗装されてない森の道は、田舎の出とはいえ貴族育ちにはキツイのかねえ。」
といった風に、適当に話題を振ってみたところ、思ったよりも収穫があった。
まず前提として、私が認識している実行犯は、今のところ御者とこの者の二名。なおかつ、今は森の道を走っていると言った。そして起きるのが早いということは、まださほど時間が経っていないし、転移魔術で私を攫ったのなら、転移自体はそう遠くにできないはずだ。転移魔術はかなり高難易度の魔術なのだから。
つまり、まだ王城が近いということになる。おそらくこの男は、私が花嫁候補だった時に城を飛び出してたまたま見た、王城の裏手の崖下にある森を知らないと思っている。だが私は異例の花嫁候補だから知っている。たしか、近くの森といったらそこしかないはずだ。
「私を……森に捨てる気ですか?」
「ま、もうちょい過激だが、平たく言えばそういうこったな。その綺麗な身体をオレの手であれこれできないのは残念でならないが、金も命も惜しい。」
「おい相棒、あんま喋りすぎんじゃねえぞ!」
御者台の方から、堪りかねたような声が飛んできた。かなり用心しているような、神経質な声だ。それもそのはず、彼らは相手に取っているものが大きすぎる。目の前の男もそれは理解しているようで、肩を竦めながら口を噤んだ。これ以上は話をしてもらえなさそうな雰囲気だった。
また彼らの話から察するに、彼らは私に直接手を下すつもりがないらしい。追っ手を懸念しているのだろうか。自分の足がつく証拠を万が一にも残したくないと見える。脱出のために揺さぶりをかけるなら、やはりそこをつくべきか。あるいは不用意に刺激するのを避けるべきか。
そんなことをあれこれ考えていると、必然的に、互いに沈黙したまましばらく馬車が走る。すると、徐々に目の前の男の落ち着きがなくなってきた。足を組んで、それを何度も組み替えたり、さらにはそのまま貧乏ゆすりをしたり。腕を組みながら、両手で二の腕をさすっている。大の男がどうしたことだろう。
怪訝に思って向かいの男を眺めていると、男はそんな私の様子に気づいたようだ。一瞬呆けたように私を見る。そして先程までのふてぶてしさはどこへやら、まるで怯えているかのように、私に話しかけてきた。
「お前は……そんなに薄着で……寒くないのか?」
ーー寒い? この暖かい時期に?
何を馬鹿な、と言いかけて、私は思わず固まった。
男の顔をよくよく見ると、布からわずかにのぞいている唇の色が真っ青だった。徐々に本格的にガタガタと震えだす男をみて、私は異常に気づく。そして、まつ毛に霜を確認した瞬間、私が馬車の外にあることを感じ取るのと同時に悲鳴が響いた。
「うわああああああああっっ‼︎‼︎」
「あ、相棒ッ、どうしたっ‼︎」
「⁉︎」
御者台の方から響く、断末魔のような悲鳴。驚いた男は素早く横に立てかけてあった剣を掴み腰を上げた。そのまま止まってしまった馬車の扉に手をかけて外に踏み出そうとして……男は転びかけた。
「ち、ちくしょう、どうなってんだっ⁉︎ ……ぎゃあっ⁉︎」
男が蹴つまずいた原因である足元に目を向けると、そこには氷に覆われた己の足首があった。私もその光景に思わず目を見張る。
そう、先ほどからズルズルとこの馬車を取り囲んでいるこの力は……私が使うそれと同じものだ。ただし、私が扱うものよりもずっとずっと強い。その比較は明らかに正しいとものだ言えるほど、肌に感じる力の波動は濃かった。
「たっ、たすけっ、相棒、助けてくれえっ‼︎ おれはまだ死にたくない‼︎ いやだあああああーー……」
御者台の方から聞こえてきた声がプツリと途切れた。一瞬、嫌な沈黙が馬車の中を支配する。しかし、目の前の男はすぐに舌打ちをして喚き始めた。
「くそ、くそっ、どうなってんだ話が違うじゃねえか!」
そう声をあげながらも、状況を打破するために氷を叩き割ろうとしているのか、手に持っていた鞘に収められたままの剣を振り上げた。その様子に、私は慌てて声を上げる。
「お待ちなさいっ‼︎ それを刺激しないほうがいいわ‼︎」
何となくではあるが、氷に意思を感じたのだ。かの者の息の根を止めようと隙をうかがうような、そんな感じ。
私の声に、男はビクリと身体を震わせ動きを止めた。しかし、氷は着実に身体を履い、今や膝下までを覆っている。
どうする……? 焦りながらもそう必死に考えているところで、私の上に細長い影が差した。同時に、カランと軽い音が耳に届く。
「なに……?」
この忙しい時に。そう思って顔を上げると、目に入ったのは鈍い光を放つ刀身。顔の角度はそのままに、目線だけでゆっくりと、刀身から腕へといった風にたどって行くと、そこには表情を削げ落としたような、目に仄暗い狂気を宿すような、そんな表情をする男がいた。
ーー怖い。……その目を、私は知っている。
「お前か。お前がこれをやったのか?」
「ち……がう……。」
ちがう、そう呟く声はひどく掠れていた。息が詰まって、きちんと言葉になったのか危うい。心臓が、ドクドクと嫌な音を立てている。
ーー化け物‼︎ 違うというなら、なぜお前はーー‼︎
「信じられるかよ‼︎ なら何でこれについて詳しい? なぜお前は寒さを感じていないんだ。この……化け物め‼︎」
ずっとずっと前、毒を盛られた時、侍女に問いただしたことがあった。なぜこんなことをするのかと。その侍女は、目の前の男と同じ目、同じような言葉を返してきた。そして……。
「『お前が死ねば、全員救われる‼︎』」
「ーーっ‼︎」
振り下ろされる剣を目を見開いて眺めることしかできない。力を使えばいいというのに、使うことができない。金縛りにあったかのように、迫り来る剣から目をそらせなかった。酷くゆっくり迫ってくるように見えるそれを見ながら、私はぼんやりと思っていた。
ーーただ助けたかった。なのにいつも、裏目にでる。
この力のことが私にしか分からないなら。私が彼らに"危ない"と教えるのが一番早いと思った。説明する暇がないなら、ただ助かるための方法を、死なないための手段を教えることしかできなかった。
その侍女はシイラ付きの侍女だった。シイラのためによく働く、とても出来た侍女だった。毒殺未遂が露見した後、彼女は捕縛される前に、私が手袋をしていない時に部屋に乗り込んできたのだ。
危ないと思った。あの時の私は力を制御できなかったから。だから言ったのだ、私に近づくと凍ってしまうと。ゆえに、すぐに部屋から出て行けとも。それを聞いた侍女はその身体でシイラに近づいたのかと激昂して、隠し持っていたナイフを抜いて襲いかかってきたところを捕縛されていた。
今回だって、私では、私より強いとわかる力に対抗する術はない。だから少しでも助かる可能性がある方に……つまり氷に触れるなと言ったのだ。だが、常人がわからないことを知る私は、寒さがわからない異常な私は、それだけで人を刺激する。いつも、刃を向けられる。
「死ねええええぇぇぇっ‼︎」
振り下ろされる刃をみていることができなくて、私は思い切り目を閉じた。防御の氷の力は手が自由でないと扱えない。私には、その刃を防ぐ手段がなかった。
ーー生きたかった。まだ、言えていないことがたくさんあるのに。
くだらない意地など張らず、言えばよかった。今ようやくそう思えた。人の命など、どれだけ自身の能力に自信があっても、一瞬で消えてしまうものなのだ。
そう考えて時を待つが、いくら経っても痛みがやってこない。代わりに暗い視界の中で、ヒューヒューというか細い吐息と、パキパキという……耳になれてしまった、世界が凍てつく調べが聞こえてきた。
ハッとなった私は勢いよく目を開く。
「……なんてこと。」
そう、人の命など、一瞬で生死が覆る。それくらい、脆いものだ。
目の前の男の腕はもう凍りついていて動かない。微かにまだ無事と思われる顔の部分も……おそらくすぐに。既に、口は氷に覆われていて、鼻呼吸しかできていないようだ。
なぜ、こんなに早く? そう思って男から少し意識をそらせば、馬車の中は美しい氷の世界だった。私が腰かけているところも、馬車の内装も、すべてが半透明の氷に覆われていた。
見覚えのある光景にスッと頭が冷え切るような気がしたのと同時に、ヒューヒューと耳障りだった音も消えた。……どうやら、助けられなかったらしい。あの男は逝ってしまった。
とりあえず、自分の身体を動かしてみる。後手に縛られているから、なんとも動きにくいったらありゃしない。
そう考えていると、パキパキと音がして、馬車の扉の隙間から新たに氷の力の波動が私を目掛けて走ってきた。しかしそれは私に害をなすことはなく、背側に回ったかと思うと、縄が瞬時に凍る。そして私の瞬きほどのうちに、縄であったものはバラバラと音を立てて崩れ落ちた。
「これは……一体……。」
赤くなってしまった手首を摩りながら私は身体を起こす。状況をよく理解できないまま自由の身になった私は、馬車を降りようと扉を軽く押してみた。凍てついていて開かないかなとも考えたが、そんなことはなく、扉はスルリと開かれた。
馬車を降りるために地に足をつけるよりも早く、私は眼前の光景に息をのんだ。
扉を開けて真正面、つまり馬車の側面に、ぽっかり暗く深い口を開けた洞窟があった。そして恐ろしいことに、氷はその洞窟から出てきたような痕跡を残していた。まるで誰かが洞窟の中にいて、その内側からとても強力な氷の力を馬車に放ったようだ。
そっと外に降り立つと、不自然に背の高い氷の塊を御者台に見つける。……おそらく先ほどの男の仲間だろう。
軽く目を伏せて黙祷する。結局、力を持ったって、私は何もできない無力な女なのだ。誘拐犯に持つべき感情ではないかもしれないが、申し訳ないとも少し思う。私に関わらなければ、彼らは命を落とすことはなかったのだから。
そう考えながら、私は洞窟の方に向けて足を動かした。誘いに応えるかのように、ゆっくりと。
『おいで……、私の可愛い子。』
どうせまた、私は誰かを傷つける。動かなければ、きっと誰も傷つかない。そうすれば、私も傷つかない。だから、ここで助けをジッと待つのがきっと一番良いのだ。でも。
動かずにはいられない。グリオールが連れ出してくれたその時から、私は動くことを覚えてしまった。世界の広さや、そこに溢れる未知を知ってしまった。
私の自由は、私だけのものだ。誰かを傷つけることはもちろん本意じゃないけれど、でもそのために自分で殻に閉じこもりたくない。私だって、自由に生きたい。
渇望と誘い。両者の答えが向かう方はどちらも同じで、私は暗い洞窟の奥へと歩を進めた。




