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竜王に捧げるエルグラス  作者: 深谷 蒼
第2章 氷の魔術師編
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11.近すぎて見えないもの(グリオールside)

 ルルは俺の腕の中に抱き込まれながら、それでも俺に意識が向いていないのだろう、真っ直ぐ前を見ている。いや、どこも見ていない、といった方が的を得ているだろうか。思考の底に沈んだその瞳は、微かに揺らいでいた。


 誰よりも近くにいる権利を得たはずなのに、彼女は遠い。


 ウィルとルルはよく似ていると思う。一人で思い悩むところが特に。彼らは他者に助けを求める方法を知らない。彼らには誰よりも近くにいる者の声が届いていない。


 何をしてほしいかと問うだけなら簡単だ。しかしそれでは遠慮してしまうだろう。そしてより本心を巧妙に隠そうとする彼らの姿が見えるようだ。だから俺は、ルルを抱きしめることしかできない。



「ルル……頼むから、何かあったら言ってほしい。何でもいいんだ。」



 抱きしめながら、俺はルルの肩に顔を埋めた。白い肌の上に、俺の濃紺の髪が散らばる。鼻をくすぐるルルの香りは甘くて、それが余計に切なかった。



「ええ。困ったことがあったら、言うわね。」



 何てことのないように返される嘘。今、君が思っていることを、悩んでいることを、話してほしいのに。ルルはまるで女神のようだ。レヴィーからの報告であがってきた、氷の女神の伝承の。1番近くにいたという者ですら、その女神との心の距離は遠かった。誰も心の側に置かない、そんな遠い遠い存在として語られる、女神とよく似ている。


 もういっそ、自白の魔法を使うかーー?


 そんな凶暴な思いを、一体何度自制したことか。彼女の意思を無視して、彼女の考えを話させることはもちろん可能だ。そうした方が、上手に話せない彼女のためなのかもしれないとも思う。


 それでも俺は、話してほしかった。話させるのではなく、話してほしいのだ。頼らせるのではなく、頼ってほしい。それを俺は、ずっとずっと待っている。彼女が少しでも手を伸ばしてくれたなら、全力ですくい上げる。



「ウィルさん今度こそ、誰かに助けてって言えるように、なったのかしら……。」



 なっていたらいいな、と続けて呟く彼女は、返答を求めていなかった、だから俺も言葉を返さなかった。


 傷ついた者は、その分だけ人に優しくなれるという。ルルは自分と同じような苦悩を、人が背負っていることをよしとしない。彼女は自分のことを救えないのに、それでもなんとか他者をすくい上げようとする優しい娘だ。同じ苦悩を抱える他人であれば、自分がしてほしかったことをすれば、欲しかった言葉を与えてやれば、その者を救えるのだと彼女は知っている。



「ルルは……眩しいな。俺は自信を無くしてしまいそうだ。」



 ポロリと本音をこぼしてしまった。思わず苦笑が漏れる。だが同時に、おや、と思ったのは、ルルの身体が強張ったからだ。そっと肩口から顔を上げて彼女の顔をうかがえば、信じられないといったように目を見開いている。……彼女の琴線に、触れたのだろうか。



「眩しい? 私が? そのせいで、グリオールが自信を無くしてしまうというの?」



 まさかそんな、とあくまでも信じようとしないその態度に、俺は少し口を尖らせる。彼女は一体、俺を何だと思っているのか。俺は拗ねたように……というより実際拗ねたのをわかってもらうために、再び彼女の肩口に顔を埋めた。



「ルル、俺だって、普通の……まあたしかに竜人ではあるが、普通の人間と精神面ではあまり変わりないんだぞ。」



 そのままの体勢でしゃべるものだから、ルルはくすぐったいのか少し身をよじる。俺はルルの肩口から顔を離すと、ルルをくるりと回転させて向かい合わせにした。赤面して少し俯いた姿勢を取る彼女をまっすぐに見つめる。



「誰かを尊敬したり、誰かと比べたり。そんなことは、俺だって当たり前にする。君に釣り合う者を考えた時、いつも俺では劣っていると思っている。だから、日々良い王たるよう努力はしているが……君はやはり眩しいよ。」


「……私は、グリオールの方が眩しいと思うわ。素晴らしい人格者の竜王陛下、それに比べて私は卑屈にもほどがあるわ。うじうじしている自分を自覚しているくせに、なかなか改められない。何度でも、同じ失敗をして、苦しむの。」


「それを言うなら、俺は君みたいな清らかな良心が著しく欠けている。君のためなら全力を尽くすが、正直なところ、他者はどうでもいい。君が民を殺せというなら、俺は喜んでそうする。俺自身は特にこの国に執着はないし、責任から解放されて自由になれるなら悪くないと思う程度には、汚い。」



 彼女の、助けを求める者には全力で手を差し伸べようとする姿が、尊いと思う。それは俺にはないものだ。だからこそ、眩しい。俺とは違う清らかな存在なのだと感じる。それを意識するたび、遠い、と感じてしまう。


 ルルは俺の言葉に顔を上げ、彼女もまっすぐに俺をみた。吸い込まれそうな金の瞳は、やはり綺麗だと思う。高潔、とでも言うのだろうか。だが、それを言っても彼女にはきっと届かない。


 そういう、ものなのだろう。おそらく。



「貴方は眩しくて遠い。そう思っていたけど……同じことを思うのね。皆、同じことで苦しむんだわ。」


「……そうだな。」



 自らを卑屈だと言ったルルは、それで悩む苦しみを真に理解している。同じように悩む他者がいるならば、本当の意味でその者の欲する言動を取れるのだろう。それは彼女が同じように悩んだとき、欲したことなのだから。


 それを俺は素晴らしい経験だと思う。もちろん、幸せに笑うだけの人生も悪くないし素晴らしい。だがそういった思慮深さも美徳だと思う。他者を多く、真に救えるならなおさら。だが彼女は、それを悪いことだと思っている。考えが暗い、と。


 俺はまた逆だ。つまるところ、浅慮なのだ。適当に物事を考えて生きてきた。だから俺は、自分の汚さについて深く悩むことはない。ルルと比べると、彼女が己よりもはるかに清らかなので悄げはするが、別にそれでいいだろうとも思っている。他者を傷つけようが、自分と大切なルルと、あとついでのついでのついでのついでに腹心が良ければそれでいい。


 他者のことを一々考えたりしない。赤の他人の考えなどわざわざ想像してみたりしないし、相手の立場にたって考えるとか正直なところどうでもいい。自己中心的だから、卑屈になったりしないし、自分のここが悪いとは思ってもそれを深く思い悩んだりしない。


 だが、その結果どうだ。ルルの考えはわかるのに、具体的にどうしてあげれば一番良いのかわからない。その度に、俺はルルが遠いと思ってしまう。


 ルルと出会って、俺はようやく色んなことに目を向け、考えるようになったのだ。ルルの考えに、少しでも近づきたくて。きっとルルもそうして、もがいているのだろう。



「ゆっくりいこう、ルル。 俺たちは、同じことで悩んでるんだから……きっとそう遠くないところにいる。お互いが眩しくて、少し目がくらんで見えていないだけだ。」



 そういってルルから身体を離した俺は、手を持ち上げて彼女の頭を撫でた。会ったばかりのとき、彼女に正体を知られる前、正体が知られてからも、思いつけばよくやっていた。


 ルルの表情はすぐに(とろ)けた。安心したように、顔を緩めて笑顔をみせてくれた。近頃、不安そうな顔ばかりするルルのそんな表情を見られたのが嬉しくて、愛しくて愛しくて、もっと早くこうすればよかったのだと思う。


 そんな衝動のまま、彼女を抱きしめようと腕を伸ばし、力を込めた……刹那。



「えっ……?」



 ルルが金の目をこれ以上ないくらい見開いたかと思うと、突然、彼女は眩い金の光の泡と化し消え失せた。力を込めた腕の中には、彼女を消し去った煌めく光の泡の残骸があった。それは嘲笑うかのように俺の腕をすり抜けていく。



「ルルッ!?」



 そう叫ぶと共に、意識を左手甲の刻印に集中させてルルの安否を確認する。どうやら気を失っているらしく、寝ているときのような静かな鼓動を感じた。だが、とにもかくにも命はある。消えたといってもどこかに転移しただけのようだ。そのまま彼女がどこにいるかを追おうとして、俺は気づいた。



「これは……、……なるほどな。」



 繋がりが追えなくなっている。ミーシェとやらの時はすぐにそれを追って転移できたのに、今はルルの位置がわからない。繋がっている互いの力の糸が、途中で方向をぐねぐねと大きく狂わされていた。それが意味するところはつまり。


 ーー竜王の(つがい)と公言しているルルを攫うとは、どうやら相手は余程死にたいらしい。


 これは人為的なもの、つまり魔術による操作だ。ルルを攫ったあの光や俺たちの繋がりに干渉できることについて考えるのは、この際あとでいい。高等魔術師の血やらなんやらを生贄に捧げたのだろう。



「甘いんだよ。」



 濃紺の髪の合間から、紫紺の眼が怒気を帯びて爛々と輝くのを感じる。番を攫われたことから、己が獣性を帯びていく。


 ーー繋がりを妨害すれば、俺が番を守れないとでも思ったか。


 甘い。認識が甘すぎる。


 俺はこの刻印をルルに仕込んだとき、彼女には内緒でこの刻印とは別の魔法を合計で三つ仕込んだ。三つのうち三つ全てが、緊急時用である。一つは繋がりを頼りに通信の役割を果たすもので、繋がりがない今はこれは使えない。だが残り二つは、繋がりが今回のようになくなって初めて作用する、俺が使える魔法のうち最も強固な防御魔法だ。


 相手がウィルのような者なら、初めの力とやらを解放された時にほんの少し懸念があるが。それでも魔術師としてならば、500年のキャリアを持つウィルでも俺の防御魔法を破ることはできないだろう。魔法と魔術とではそもそもの仕組みが全く異なり、魔法は魔術よりも圧倒的に強いのだから。



「さて、どういたぶってやろうか。」



 自分の口から出る声は、いつもよりずっとずっと低い。怒気を孕んだ声は魔力を帯び、辺りのものが振動した。


 人間風情にしては、高等魔術師の生贄まで用意してかなり強大な呪詛をかけたつもりのようだが、それでもこの程度の妨害なら四半刻(さんじゅうふん)もかからずに解ける。


 俺は目を閉じて呪詛返しを始めながら、思考の片隅で転移魔法を展開し、繋がりが狂う直前の位置座標まで転移を行う準備をする。


 (うら)らかな昼下がりの光の中で、俺の黒い魔法陣が禍々しい光を放っているであろうことを感じながら、俺はそれ以上意識をそこには留めず、さっさとその場から転移した。


  

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