10.声も出さずになく者たち
「で、セルヴェはほら、あんな感じだから、うっかり近寄ると秘密に気付いてしまう令嬢がそこそこいてね。今でこそ200年も経ったからリア家自体を知る者も少ないし、数は減ったけど。騒がれると不都合だっていうのは、分かるよね。」
それは想像に難くない。私も、そういう力を持っていたから疎遠にされた。もちろんそれだけじゃない。心無いことをたくさん言われもしたし、たった一度だけだが、悍ましい力は排除せねばならないという考えの侍女が、私の食事に毒物を混入させていたこともあった。
特に外見的にそれとは分からない私ですらそうなのだから、見た目で明らかに異質だと分かってしまうセルヴェさんが自身の秘密を知られた時、その反応はきっと私の比じゃない。
「まあほら、そういうわけで、ボクは身内以外に特に興味がない薄情な人間だから、ミーシェに言ったんだよ。"セルヴェに近づく者"を退けろとね。あれはもう100年以上前の話だから6番目のことを言い含めるの、すっかり忘れてたんだよ。」
「……それじゃ、フロル=メディアンもその被害者ってこと?」
「いいや違う。フロルは……ああ、キミたちもフロルって呼んだらいいよ。彼女は砕けた呼び方を初対面でされても気にしないほど、大らかな子だったから。」
本人から許しを得ていないのに、それはいかがなものかとも思ったが、ウィルさんが話しているフロル=メディアンは心があった時のものだとわかったから、私はぎこちなく頷く。
「話を戻そう。君らはなぜフロルとかいう者の心を奪った? ウィルのことだから、そうする必要があってのことだったんだろう。そうでないなら、今みたいに止めたはずだ。」
話を戻してそう続けたグリオールに、私はおやと思い内心で首を傾げる。何やら知らぬ間に、二人の間には信頼関係のようなものができているようだ。
そんな風に、グリオールの隣で少し驚いた顔をしている私には今は興味がないのだろう。ウィルさんは私の様子に気づいてはいるようだが、そこには一切触れずグリオールの目を見たまま彼の問いに答えた。
「フロルは3番目だから、前に話した通り"頭脳"が凍ってる。とは言っても、それが指すのはあくまでも"記憶"の領域の話なんだけどね。」
「凍てついてからの記憶が1日毎になくなる……とか言っていたのだっけ……?」
自分の記憶を手繰り寄せながら、私はウィルさんが言っていたことを復唱した。そうして、自分の口からポロリと漏れたその内容に身体が固まる。
「ちょっと、待って。まさか。」
「察しの通りだよ。まあ想像に難くないよね。記憶が1日毎になくなるってことは、その日起きたことを覚えられないってことだ。だからボクの説明を聞くことも理解することも、もう永遠にできない。ボクは"凍てついた者たち"が誰かは分かるけど、そうなる者を予め判別することはできないんだ。だから、こればっかりはどうしようもなかった。」
一息でそう言ったウィルさんは、とても苦々しい顔をしていた。普段から本心を表に出すことが極端に少ないウィルさんにしては、珍しいほど感情を露わにしている。
「初めは良かった。日付が進んでいることを理解できなかったけど、まあそれだけだったからね。でも……、」
「ある一定の時期から彼女の時は止まっているのに、周りは進む。彼女からしてみれば一晩寝て起きたら突然未来にいたとでもいう感じか。」
「さすが陛下は察しがいい。そういうこと。」
ウィルさんはパチンと指を弾いて音を鳴らし、その指先グリオールに向ける。ウィルさんは先ほどの表情が嘘だったかのようににこやかだが、それは上辺のものだともう私もグリオールも分かっている。
そして、私もようやく理解し始めてきた。"凍てついた者たち"になったということがどういうことなのかを。以前話を聞いた時は、よくわからない……まるで他人事のようだと思っていた。彼らに滲む苦悩を感じ取れはしたけれど、真の意味で私は理解できていなかった。
けれど、セルヴェさんに続き、ミーシェ様やフロルさんをみてようやくわかった。彼らに滲む苦悩が。様々なことに鈍い私でさえも、これは終わらせるべきことであるということがわかるのだから。
「フロルはね、おかしくなっちゃったんだよ。気づかないうちに何百年経ったという事実に、いかに大らかな彼女といえど耐えられなかった。毎朝目覚めた瞬間は正気なんだ。その時に言を尽くすんだけど、やっぱり何を言ってもわからないって顔をして。そして外に出たら無くした時を追い求めるかのように彷徨って、突然壊れてしまう。」
「そんな……。」
「ボクもさ、永く生きてるだけの、ただの魔術師だから。さすがに毎日それを見せつけられると、こっちまでおかしくなりそうでね。その時ちょうどセルヴェが覚醒し出した時で皆不安定な時期だったから……、そう、ボクがミーシェに命じた。フロルの心を奪って、キミの支配下におけとね。」
……ウィルさんはいつもそうだ。自分が全て悪いみたいな言い方をする。他人に責任を押し付けない人。誰も、ウィルさんを責めることができないのに、ウィルさんはきっと自分を責め続けているんだろう。このことだけじゃない、500年生きてきた中で何度も何度も後悔しながら、何度も何度も傷つきながら、彼はここまできたんだろう。
ーーやっと動き出せる。
ウィルさんは以前私にそう言っていた。その言葉がどれだけ切実で、どれだけ渇望の色を帯びていたか。あの時は漠然としかわからなかったけれど、今ならはっきりと意味がわかる。やっとウィルさんは、彼が望む"終わり"に向かって、待つことをやめて歩き出せるのだ。"私"が最後の仲間入りしたことによって。
「ウィルさんは……初めの時から、経験した者が誰もいない中で、一人でずっと頑張ってたのね。」
ポツリと私の口からそんな言葉が漏れる。ウィルさんに対して話しかけたというよりも、これは独り言に近かった。もはや何の力も持たない純白の手袋に私は視線を向ける。私はまだ、力に対する知識も実力も拙い。それでも。
「でも……よかったら、弟妹分も頼ってほしい。貴方と出会って間がない私ですら、そう思う。だからきっとセルヴェさんは、とっても嫌なはずなのに見世物になってくれたんだわ。貴方の頑張りの足しにでもなれたらって。」
「……え?」
「わかるの。そんなに傷ついてるのに、ウィルさんはまだ私たちのために矢面に立ってくれようとするから。」
そう言うとウィルさんはこれでもかというくらい驚いたように目を見開いて固まった。硬直したウィルさんに反応したのか、ミーシェ様が何も言われずともスイと前に出る。私は少し怯んだが、その場を動かなかった。ミーシェ様はまだ黒い鎖を身体に巻いていて、今はそれがグリオールが支配する手綱だとわかる。話が終わるまでは滅多なことは起こらない。それはミーシェ様も理解しているはずだ。なのに。
「ミーシェ様だって、そう。ウィルさんに驚くほど従順だし、心がなくたって、そうしてウィルさんに肩入れできているわ。……みんなわかるのよ、知れば知るほど、ね。」
巻き込むことになるだろうといったのに、ウィルさんは全然巻き込んでくれない。私はただの当事者で、それ以上でも以下でもない。何かが起こらなければ、最低限必要なこと以外何一つ教えてもらえないのが現状だ。
ウィルさんは全部、一人でやろうとしている。
確信めいた眼差しで、私は視線を上げてウィルさんを真っ直ぐ見つめた。ウィルさんは珍しくポーカーフェイスを放棄して、先程までと同じように目をまん丸くしている。ついでに言うと、今さっきの私の言葉で口も開いた。いつもすましているウィルさんにしては、随分と珍しい光景だ。
そんなウィルさんは一瞬びくりと身体を揺らし、現実に戻ってきたかのように閉口して、目も普段の大きさに戻した。そのまま薄金の髪をくしゃりとかきあげ、泣き笑いのような顔をした。外見相応の、少年が泣くのをこらえるような、そんな表情。
「なにそれ。ボク、そんな辛そうだった? ……わかりやすかった?」
「わかりにくいから、わかるようにしてって言ってるの。」
「アハハッ、そっかそっか。」
そう笑いながら、ウィルさんは前に一歩踏み出した状態のミーシェ様の肩に、ポンと手を置いた。すると驚くほどあっけなく、ミーシェ様の力が抜ける。それと同時にグリオールは手を軽く振り、彼女を戒める鎖を解き放った。
「ボク、別にキミたちのために動いてたわけじゃないのになあ。参ったなあ。」
からからと笑うウィルさんに私はそっと近づくと、壊れてしまいそうな子どもを抱き寄せるようにして、ウィルさんを抱きしめた。腕の中に入れると、やっぱり少年の体のウィルさんは少し小さくて華奢だ。そんなウィルさんの体がふるりと震える。嗚咽をこらえるような、クゥという声が小さく聞こえた。
「……末っ子には、敵わないな。」
ウィルさんはそう皮肉ると、静かに私の腕の中で泣いた。苦悩がたくさん詰まった、切なくて尊くて、綺麗な涙だと思った。
* * * * *
しばらくして落ち着いたウィルさんは、恥ずかしそうにそっぽを向きながら、ミーシェ様の言い含めをやってくるといって、三人一緒にどこかに消えた。
私とグリオールは、意識のないリーザを抱えて転移し、王城内の医療室にリーザを預ける。私はリーザのそばにいるつもりだったのだが、グリオールが話があるというので、彼の執務室に二人で転移した。
ふわっとした浮遊感のあと、地に足がついた感触に目を開ければ、書類が高く積まれた机が目に入る。大変そうだな、と素直に感想を抱いたところで、後ろにいたグリオールの腕が体に巻き付いた。
「……心配した。君の魔力が突然、無機物に宿る魔力みたいになっていくものだから。」
……そうか。私とグリオールは繋がっている。私の危機を感じて、さぞや肝が冷えたことだろう。私が逆の立場でも、そうなる。
浅慮だったと私は反省した。そのせいで、今回はリーザまで危険にさらした。リーザはまだしばらく目覚めないだろう。
「ごめんなさい……。」
「一つ聞きたいことがある。力を使って抗わなかったのは、同じ"凍てついた者"だったからか?」
「……。」
私はそれに言葉を窮した。素直に答えるならば、それは否、だ。私は力を使って抗うつもりだった。そして、私は迷いなくそうした。リーザが私を守ってくれようとした時、私はミーシェ様の腕に触れた。その時、私は力を発動させた。……いや、そうしたはずだったという方が正しいか。
つまるところ、使えなかったのだ。あの時だけ、私は祝福を受けて自由に扱えるようになったはずの力を扱えなかった。そのことについて、私が現時点で推測できる理由は二つある。
一つは、同じ"凍てついた者"には使えないという可能性。しかしながら、これは少し説得力がない。ミーシェさんは私に力を使っていた。ゆえに、私だけ"凍てついた者"に使えないというのは変だし、私はウィルさんとの訓練で、いくつか彼に向けて攻撃的な力を使えていた。
だから、私はもう一つの理由が有力であると考えた。それは力を使うにあたっての"目的"だ。
ウィルさんは、私たちは凍てついたものに対抗するには、たった一つの解決策しかないと言っていた。つまり私は、自由になるためには飛ぶことしかできないのではないか。他の救済方法ーーたとえば相手を害して自由になるというようなーーは、手段として使えないようになっているのではないだろうか。
これをどう説明するかで私は言葉に詰まる。自由になるために何かをすることができないならば、私は暗殺等の事案についてはともかく、相手に一度囚われれば翼を出して飛ぶくらいしかできない。つまり身体が縛られていたりすれば、翼は縄を透過できるわけではないから完全に無力だ。
その力を頼りにして、大丈夫だ大丈夫だと本気で思っていたものの、存外にこの力は身を守るのに適さなかった。
「もしもそうなら、ルルはもう少し残酷になってほしい。俺を史上最悪の凶王にしたくないなら、番の君は君であってくれなきゃならないんだ。逃げるために、多少の手傷を負わせるくらいの残酷さは、あっていいんだ。」
その言葉に、私は思考の底から浮上した。否定するタイミングを逃してしまったようだ。言わなければとは思ったのだが、結局私は口にできなかった。きっと、この力の欠点はこれからも徐々に明らかになっていく。凍てついた者たちである彼らが、呪いでしかないと言ったその意味が、いつかわかるほどになるのだろう。
きっと、私も変わっていく。変わらざるを得なくなる日が来る。本当に八方塞りになったその時、私は自由を得るためではなく、ただ殺すためだと本気で思って、人を傷つけなければならなくなる。そうすれば、私は私でなくなってしまうだろう。グリオールが私に求めることは、私を私で無くしてしまうことに繋がるが、しかし彼は私は私でいてほしいと思っている。
だから、言えなかった。後で彼の期待を裏切ることはわかりきっているのに、できもしないとわかっている約束を、私はする。
「……そうね。次はきちんと、するわ。」
ーー私はどうして、こう強がるんだろう。
いつから、助けを求められなくなったんだろう。何かが私の口を塞ぐ。素直になることを妨げて、自分の中の暗い部分が大きくなり、私は歪んでいく。対照的に、知れば知るほどグリオールはどんどん眩しくなっていく。目も合わせられないほどに。
頼りたいと、わがままを言ってみようと、思った時もあったのに。結局はこうだ。
あの真っ白い地獄の日、私は自由を無くした。自由を無くして生活を取り戻した。あの時囚われたのは、人としての生活の代わりに拘束されたのは、私の心だ。鎖で雁字搦めにされた私の心は、自由を渇望している。解き放たれたいと願っている。
ーー何から?
ーー弱気な本心を頑なにおさえつけて隠すばかりの、私自身から。
そっと私は目を閉じた。ズブズブと、思考の底に沈んでいく。どうして私は、そんな言葉ばかり頭に浮かぶ。身体に巻き付いているはずのグリオールの腕の感触が、徐々に感じられなくなっていくような気がした。
……たすけて。
鎖で雁字搦めにされた心の中の私が、そう哭いた。




