9.置き去りの氷風
茶会自体は何とか無事終えた。公爵令嬢ライラ様と伯爵令嬢アナンタ様から幾つかの嫌がらせのようなものも受けたが、子どものような児戯だ。気にする程のことじゃない。特に気にした風でもない私に、二人は躍起になっていたが、私はそんなことを気にする余裕はなかった。
なぜ、凍てついた者たちの一人が公爵令嬢様の取り巻きにいるのか。私には彼女が敵なのか味方なのか判別がつかない。それに、私はもう一つ思うところがあった。茶会後に、後宮の裏庭でとミーシェ様に言われた私は、大人しく言われたところで彼女を待つ。
「お待たせしてしまったようね。ごめんなさい。」
全くもって心が篭っていなかったが、それほど待っていないし後から来た者の社交辞令程度の謝罪だ。しかしながら、私はもう気づいていた。彼女の目や言葉に全く、一切の感情が篭っていないところを見るに、どこが凍てついているかなんてすぐにわかる。それほど彼女の雰囲気は異質だった。
「……リアの家名を聞いて思いました。貴女は、セルヴェさんの姉上様、ですか?」
「ええ、そうよ。」
特に感慨もなさそうに頷く彼女に、ふと、もしもセルヴェさんがあの身体じゃなかったらと考える。顔立ちもどこか似ていると言われれば似ているし、ということは、セルヴェさんも生身の人の身体であればきっと目の前の彼女のような色合いをしていたのだろう。言っても詮無いことであるが。
ミーシェ様は私の目を見ているけれど、おそらく誰かに言い含められたのだと思う。私の目を見ているという事実はあるが、見ようとする気はないようだった。どこに目線をおきたいわけでもないが、無難だから目に置いておく、というような。
「それで? 貴女、セルヴェを知っているのね。」
「ええまあ……。彼の姿も、見せていただきました。」
ミーシェ様の問いは、私が"凍てついた者たち"についてどこまで知っているか、という問いなのだと思った。だから私はセルヴェさんの話題が上がったことに、あの姿を見たか、という問いが含まれているのだと思い、それに対して経験通りに答える。
そんな私の答えを聞いたミーシェ様は、ただ事実を確認したというように、一つ頷いた。
「つまり、貴女は"セルヴェに近づく者"ね。わかった。」
「……え?」
まあ、セルヴェさんには近づいたが、それはウィルさんの研究室の応接スペースがさほど広くないせいである。私が、というのは少々語弊があるような。そう思って私は思わず息を漏らしたが、ミーシェ様はそんな私の機微に気づくことはなく滑るように歩き出し、私のすぐ目の前に立つ。
「"セルヴェに近づく者"は排除しなさいと言われているの。でも6番目に関しては"必要であれば御せ"とも言われている。」
「ミーシェ、様……? 一体何の話を……。」
決定事項を話すように、淡々を述べるミーシェ様。私はそんな彼女に、先ほどの茶会で見たときのような恐怖を感じた。背筋が粟立つような、生命の危機が訪れているかのような、そんな感覚。
「どちらにすべきかわたくしにはわからないから、わたくしの力で貴女を支配下において、それからいつも通りセルヴェの姿を知った者にするような記憶の改ざんをすれば、とりあえずはいいかしら。」
何てことのないように、世間話をするかのような軽さで、そんなことを言うミーシェ様に、私は一歩後ろに下がる。
リーザはこちらからは見えないけれどさして遠くもない位置で私たちをうかがっているはずだから、呼べばすぐに来てくれるだろう。だが問題は、目の前のミーシェ様は"二番目"であるということだ。彼女は相当強い力を持っていると考えて良いはずだし、セルヴェ様が200年生きているなら彼女にはそれ以上のキャリアがあるはずだ。牙たるリーザでも、どこまで太刀打ちできるか……。
「フロル。」
ポツリと漏らすようなミーシェ様の声に顔を上げると、すぐそばの樹木の陰から一人の侍女が現れた。黄緑の髪と瞳を持つその侍女を見て、私の心臓はドクリと嫌な音を立てて大きく鼓動する。
ーー同じだ。ミーシェ様と。
その侍女の目には光がなかった。虚ろで、ただただ暗い。……心が、ない。それでもその侍女は、引き結ばれていた瑞々しく麗らかな桃色の唇を開いて、鈴の音を転がすような声で自らの名を言った。
「私は"置き去りの氷風"。三番目の、フロル=メディアンです。」
三番目、と私は呆然と呟いた。声が無意識のうちに漏れたといってもいい。私の脳内は混乱を極めていた。なにせ、1日のうちに心を持たぬ者二人と出会い、そしてそのどちらもが"凍てついた者たち"の一人だというのだから。
そんな私の目の前に悠然と立っているミーシェ様は、視線をフロル=メディアンにスルリと移して、ゆったりと何でもない話をするような口調で、恐ろしいことを話し出した。
「フロルには元々心があった。けれど、わたくしが奪ったの。貴女が空を飛べるように、わたくしは……、」
そこで一度言葉を切ると、再度ミーシェ様は視線を私に向けた。その目は何も映していない。虚ろで、空しくて。そう、からっぽなのだ。
「わたくしは、人の心を奪えるの。わたくしは、心ない操り人形を作ることができる。」
そこからは、全てがスローモーションのように思えた。ミーシェ様が何気なく腕を持ち上げたと思ったら、私の心臓がある位置の少し手前の空間に手を置いて。そしてあたかもそこには何かがあるかのように、小指から人差し指までを流れるような所作でスルリと曲げ、握るような形を取った。ーー刹那。
「ぐっ……あっ‼︎」
心臓を握りつぶされるような激しい苦しみが私を襲い、私は思わず胸を両手で掴み押さえた。苦しい。息が……っ‼︎
「わたくしの術で貴女の心を奪ったら、いつも通り、貴女の記憶はフロルが消すわ。フロルはわたくしが他人の心に干渉できるのと同様に、他人の記憶に干渉できるの。」
淡々とそういうミーシェ様に、私はゾッとした。慣れたようなサラリとした説明。……まさか、何度も同じことをしたことがあるのではないか。
そして、何ということだろうか。徐々に息苦しさがなくなっていく。確かに息苦しいと感じるのに、息のし辛さは先程までと変わりないのに、苦しいという感情そのものが消え失せていっているのだ。私は戦慄した。あれこれ考えている場合ではない。
「姫様ッ‼︎」
聞き慣れた声はリーザのもの。私は思わず、目の前に翳されたミーシェ様の腕を弱々しく両手で掴んだ。リーザにこれを向けさせるわけにはいかない。フロル=メディアンの能力も未知数だというのに。
「リー、ザ……ッ‼︎ きては、だ、め…………‼︎」
「姫様をお放しください! さもなくば……‼︎」
そう言いながら、リーザは短剣をピタリとミーシェ様の首元にあてがう。本当にそこまでは一瞬だった。この状況で絶対的に有利なのは牙のリーザだというのに、ミーシェ様の表情は揺らがない。
なぜだ。その理由はすぐにわかった。
スルリとリーザの後ろで動く影。リーザもすぐに気づき反応するが、相手はリーザが振り返る前に、リーザの頭にヒタリと手を触れた。たったそれだけだった。次の瞬間、リーザは膝から崩れ落ち、地に伏した。
「リー……ザ…………‼︎」
リーザの傍らに立つ影ーーそれはフロル=メディアンであったーーは、何事もなかったかのようにミーシェ様に向き直る。
「記憶を一部乱しました。記憶が改めて整理され彼女が再び目覚めるまで、残り2時間09分54秒。」
「随分長いのね。」
「外見よりもかなり長く生きているようです。ほんの一部を指定したつもりだったのですが。」
「そう。まあ、どうでもいいわ。……さて。」
私はもう、指の先すら自分の意思で動かせなくなっていた。もう苦しくはない。ただ身体が気怠い。このまま意識を落とせば、安らかな眠りにつけるだろう。
そう思いながらぼんやりとミーシェ様を見つめる。その玉のように美しい手に力が込められようとした、刹那。
「そこまでだ。」
「そこまでだよ。」
聞き慣れた声と共に、転移の陣すら見えぬ間に現れた二つの影。ミーシェ様が私の何かを握り潰そうとしていた手は、ウィルさんが片手で掴んで御している。さらにミーシェ様の身体には黒いもやを放つ鎖のようなものが巻きついていた。フロル=メディアンも同様のものが巻きついており、身動きが取れないようだ。それを確認した瞬間。
「うっ……げほっげほっ、っ‼︎」
何かで詰まっていた胸に、一気風が通るような感覚がして、私は大いにむせた。あまりにも大きな息苦しさからの解放感に、私は思わず地に手をついてしゃがみ込んだ。
「ルル、大丈夫か⁉︎ 君の魔力に異変があったから来てみれば……一体何があった?」
「けほっ、私は大丈夫。それよりリーザは……‼︎」
地に手をついた私はグリオールに助け起こされた。が、私は特に問題ない。むせてはいるが、ミーシェ様から受けていた圧迫感がなくなったことによって、胸はもうスッキリしているし意識もしっかりしている。端的に言えば、私はむせているだけで他は特に何もない。
だが、リーザは? あの膝から崩れ落ちる様がやけに鮮明に脳裏に焼き付いている。大丈夫なのだろうか。
そんな私の思いを汲んでくれたのだろう、グリオールがウィルさんに目を細めながら視線をやると、ウィルさんは肩を竦めながらも言及した。
「ミーシェ。フロルを使ったんだね。そこに倒れてる赤髪の女性はいつ目覚めるの?」
ウィルさんの問いに、ミーシェ様はついと視線をフロル=メディアンにやった。その視線を受けたフロル=メディアンは、事務的事項を伝えるためだけに造られた魔術具かのように、機械的に口を開いた。
「記憶を一部乱しました。記憶が改めて整理され彼女が再び目覚めるまで、残り2時間04分32秒。」
「ということらしいよ、陛下。ルル=アレクスファーも、記憶は少し乱された程度なら時系列に合わせて元に戻るから、心配しなくていい。」
私はそんな風にのんびり構えたウィルさんを見て、思わず頭に血が上った。
「心配しないわけないでしょ‼︎ リーザが、私を守ろうとして倒れてるのに‼︎」
そんな私に、さすがのウィルさんも失言だと感じたのか、しまったというような顔をする。その顔をみて、私はほんの少し溜飲が下がった。ウィルさんは分からず屋じゃない。きちんと自分の非は認めて反省できる人だ。
「すまないね。6番目の大切な人を傷つけてしまったようだ。ボクの言い含めが足りなかったのを心から詫びるよ。」
ウィルさんはそう言うと、空いている右手で拳を握り、それを胸に当てて腰を折った。魔術師の最敬礼である。話の流れから察するに、最上の謝罪を示しているのだろう。
それを無言で頷いて受け取ると、今度は私を支えてくれているグリオールが口を開いた。
「ウィル。言い含め、とは何のことだ。ルルに関わることも何か言ってるんだろう。」
「もちろん話すよ。ただその前に、結界張らせて。」
そう言ってウィルさんは片手をあげると、短く呟く。それと同時に周りの世界から音が消えた。初めて会った時のものと同じ魔法であるはずだが、やはりあのような大げさなジェスチャーはいらなかったのだと知る。更にその手を横に振ると、一瞬周りの景色が視認ボヤけてから元に戻った。ウィルさん曰く、外部から姿を見えなくするものらしい。
「さて、これで下準備は整った。ミーシェ、フロルに大人しくするよう言い聞かせといて。ミーシェも前にいったように、人が話してる時は大人しくしておくんだよ。」
ウィルさんのこの言葉に、ミーシェ様が虚ろながらもきちんと目を見て話すのは、ウィルさんの言い含めがあったからなのだと悟った。
言われたミーシェ様はただ頷き、フロル=メディアンに視線を送る。フロル=メディアンも、ミーシェ様の視線を受けて頷いた。そしてその様子をみたウィルさんも大きく一つ頷くと、掴んでいたミーシェ様の腕から手を放し、私とグリオールに向き直る。
「陛下、まずキミに紹介しよう。青髪の子は2番目のミーシェ=リア。もう一人の子は3番目のフロル=メディアン。実はこの子たち、力のせいで正常な判断が苦手なんだ。」
チラリとウィルさんは視線を件の二人に投げる。二人とも同様に、ウィルさんの視線を気にすることなくただ前を向いている。人と等身大の土の人形を二つ並べような、けれど二人ともたしかに人であるとわかる、そんな印象を受ける光景だった。
「それでね、ミーシェにはあらかじめ、大体必要と思われることを言い含めているんだ。例えば話す時の目線の位置とか、そんなところまで細かく。あの虚ろな瞳でどこか分からない場所を見つめたまま会話されると怖いからね。」
それはとてもよく分かる。こちらを見ていてもその目の奥が空虚で怖かったが、まだなんとか対応することはできていた。
しかしウィルさんの言うように、無機物のように焦点すら合わせないで、それでもたしかに私に向けて言葉が発せられたら、私はその場で金縛りにでもあったかのように動けなくなっていただろう。それくらい、彼女の纏う雰囲気は、会ったその瞬間からかなり異質だった。
「そんな風に、ミーシェたちは感情……というよりも心が凍てついてしまっているものだから、人として判断することが苦手なんだよ。考えること自体苦手だと言ってもいい。問題が起こったら、持ちうる答えのどれかを当てはめようとする。他に答えがあるとか、複数の答えがあるとかいうような考え方はできないんだ。」




