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竜王に捧げるエルグラス  作者: 深谷 蒼
第2章 氷の魔術師編
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8.溶けない心

 グリオールに決定的な愛の言葉をもらった一夜が明け。目覚めた私の側にきたリーザから聞いたことには、グリオールは例の件についてか他のことについてかは分からないが、とにかく朝早くから起き出して既に動き回っているようだとのこと。


 かくいう私は、今日一日グリオールがくれた言葉について真剣に考えようとしていたところである。彼は真面目な人だし、私がこの力の祝福を受けた時の言葉も昨日の気持ちに添ったものなのだろうとも思える。彼の気持ちを疑うようなことはしない。だから私はその上で、自分に課した宣言を現時点でどこまで遂行できているかを考える必要がある。具体的には、私は今どこまで自分を認めることができているか。気持ちを伝える時は、彼の隣に立っても恥じないで済むような、堂々と前を向ける自分になってからだと決めていた。


 思考に沈みながらも、今日の予定は何かあるかとリーザに尋ねる。一応これは毎朝聞いているのだけど、グリオールと約束したりということがなければ、予定はないと返ってくる。今日も今日とてそうだろうと考えていた私がリーザに目を向けると、彼女は珍しく困惑した表情をしていた。



「……実は、先ほどクラーフィス公爵令嬢ライラ姫君の侍女が参りまして。」


「クラーフィス公爵家の?」



 リーザの表情とその言葉に私も困惑を隠せない。ライラ姫、と口の中でつぶやきながら、私は舞踏会のために頭に叩き込んだ貴族リストを脳内でめくる。


 レイオール大陸の三公と呼ばれる、メルセン公爵家、私がお世話になったストーレンス公爵家、そしてクラーフィス公爵家。ライラ様とは、その三公は一つであるクラーフィス公爵家の長女に当たる方だ。そしてそのライラ様は、グリオールの花嫁候補として最も早く後宮入りした姫である。



「ライラ様の侍女は、何て?」


「それが、ルル姫様にお会いしたいとのことで……。いかがなさいますか?」



 私は訝しげに眉を顰めた。また、何だってこのタイミングで。そう思ったが、すぐに私は納得した。そうか、これでも早い方か。


 私はたった三日間で後宮を離れて本城に来てしまった。私が後宮入りするということはおそらく公爵令嬢様の耳には入っていただろう。しかし、後宮入りして最初に正式に挨拶をするべきは竜王陛下であるというのが一種のルールだ。そしてその挨拶の場でやらかした私は、気づけば婚約をし、その宣言やら舞踏会やらでかなり予定が詰まっていた。


 それが一段落した今が、呼び出すのには最も適切な時期と言えるのだろう。実感としては、拍子抜けするくらい遅い気もするが、それは予定がそうなってしまったのだから仕方ない。



「わかったわ。参りましょう。」


「よろしいのですか? 姫様は現状、王妃の地位を約束されているのですから、断っても問題ありませんが……。」



 リーザが両手を振って了承してくれない辺り、癖のある姫君なのだろうということは想像に難くない。しかし私は、そんなリーザに二重の意味で首を横に振った。



「それはできないわ、リーザ。私はまだ王妃となってないのだから、そういった振る舞いは意識すべきではあるけれど、あまり大っぴらにすべきでないもの。」


「ですが……、」


「しかも、相手は三公の令嬢よ。私の素性も既に調べているのだろうし……行かなければ、生まれの賤しい子爵令嬢ごときに三公は一つのクラーフィス公爵家が侮られたと思われかねないわ。」



 私が折れないとわかったのだろう、リーザはそれ以上は何も言わず一礼して、それでは、と支度を始めてくれた。そしてそこはリーザ、あれよあれよという間に余所行きの私が出来上がる。本当に出来た侍女だと手放しで称賛すれば、リーザは嬉しそうに顔を赤く染めた。それを見た私は、今から公爵令嬢様のもとにいくということで張っていた肩の力が抜けたのを感じた。本当に、よく出来た侍女だと思う。


 支度を終えて日が高くまで昇った頃、リーザに連れられて後宮にやってきた私は、境界線を示す赤薔薇の並木を見ると何ともいえない感慨に襲われる。これに手の甲を引っ掛けて少しばかりの血を流したのは、まだ記憶に新しい。


 護衛とリーザで前後左右を包囲されるという窮屈な体験をしながらも、何とか公爵令嬢様のお部屋に着いた。中から様々な高さの話し声がすることから、おそらく他にも何人か集まっているのだろう。思わずため息をこぼしそうになる。


 リーザは気遣わしげに私を見てくるけれど、それに微笑みを返して大丈夫だと伝えた。さらに視線で促せばリーザは心得たように頷いて、お部屋の扉を叩く。



「大変お待たせ申し上げました。現竜王グリオール陛下の花嫁、ルル姫様の御成でございます。」



 シン、と先ほどまで話し声で溢れていた室内が静まり返った。私は思わず、下腹部の前に重ねた手をギュッと握る。


 さて、グリオールが走り回っている今、私も出来る限り有益な情報を集めなければ。昨夜言われたように、危険すぎることに飛び込まないよう細心の注意を払って。


 時間にして数秒、私がそう気持ちを奮い立たせるのと同時に、中から涼やかな声が響く。



「どうぞ、お入りになって。」



 許可の声から三拍後。リーザは扉を開けてそこに控えた。私は一歩分入室すると同時に、ドレスの裾を摘み淑女の礼を行う。



「皆様方におかれましては、ご機嫌麗しく。ルル=アレクスファーにございます。本来わたくしからご挨拶に伺わねばならぬところをこの様にお呼びいただき、深くお詫びすると共に感謝申し上げますわ。」



 本来であれば、竜王陛下の花嫁である私から礼をすべきではない。公爵令嬢よりも王妃たる花嫁の方が身分が上だからだ。しかし、まだ戴冠したわけでもないし、下手にそのような態度をみせれば軋轢を生むのは分かりきっている。そのような分かりやすい地雷は、無用な争いをしないためにも避けるに越したことはないだろう。


 そう考えて頭を下げていると、頭上からパサリと扇を開く音がした。そして一拍おいてその扇の音が完全に止んだところで、先ほど扉を開ける許可を出した声が降ってくる。



「まあ、これはこれは。ただの世間知らずの田舎娘、というわけでもなさそうね。ここでの序列を弁えていらっしゃるのですもの。さあ、お顔をお上げになって。」



 その声に私は姿勢を正す。舞踏会で学んだことだが、私は愛想笑いというものが残念ながらできない。そのため、上げた顔に微笑みはなく、無表情である。できればスムーズな人間関係のために愛想笑いを浮かべたいものだが、愛想笑いとありありと分かる顔をするわけにもいかないし、こればかりはどうしようもない。向こうも自ら名乗る気がないようで、それはマナー違反だし、お互い様ということで手を打ってもらおう。


 姿勢を正してまずは目線でサッと部屋の中にいる人物を確認した。目の前のテーブルの一番奥の席に座り、桃色のドレスに合わせて濃い桃色の扇で口元を優雅に隠している姫君が、クラーフィス公爵令嬢様で間違いないだろう。濃いウェーブ掛かった金髪とエメラルドの目が、仕立ての良いと一目でわかる桃色のドレスによく映えている。



「そんなところに突っ立っていらっしゃらないで、お座りになってはいかが? 王都の高級なお菓子が、貴女のお口にも合うとよろしいのですけれど、ウフフ。」



 クラーフィス公爵令嬢様に比べると、少し低めのアルトの声。萌える緑の髪を美しく結いあげ、その目は太陽のような薄橙で、少し目尻が下がっている。春のように麗らかで癒されるような容姿であるのに、その口から嫌味が出るのはもったいないと思ってしまった。彼女はクラーフィス公爵家と繋がりが深いヒルデリア伯爵家令嬢、アナンタ様だ。


 さて、思ったよりも嫌味があからさまである。まあでも直接的な罵倒がないあたり、彼女たちも品位を考えている……のだろう。おそらく。しかしながら、私は座れと言われて座るであろう場所を見つめた先に、子供のような発想の嫌がらせがされていることを理解して肩を竦めたくなった。


 これが王都のような国の中心の者たちの品位か。嫌がらせ自体は政治的な駆け引きのこともあると思うので、そこは結構なのだが、今一つパッとしない。知的でない。狡猾に、権力を有効活用するくらいの嫌がらせでなければ呆れるだけで特に何とも思わない。そう思いながら、私は言及する。



「そうですわね。わたくしもそうしたいのですけれど、お椅子の方が足りないようですわ。」



 空白の席がないのだから座れない。そう言及してみるが、それに気づいているであろう彼女たちの侍女も動かなかった。本でこのような嫌がらせを読んだことがあるが、現実で目の当たりにすると、あまりにも品位にかけていて逆に白けてしまう。まあ、この程度なら可愛い嫌がらせだろう。公爵家の権力を使ってこないのであれば、本当にこの程度、子供の遊びほどに可愛いものである。


 出そうになるため息を堪えて、リーザと口の中で呟く。



「まあっお椅子が……、どこから……⁉︎」



 有能な侍女は転移魔法もわずかであれば使える。それは本来牙としての仕事で必要となる可能性があるからだろうが、こういうところでも応用できるあたり、さすがはリーザ。どこか別の場所から、椅子を転移させて出現させてみせた。それにアナンタ様は驚かれている。ライラ様は扇で口元を隠した完璧なポーカーフェイスだ。


 静かに椅子に歩み寄り、腰を下ろそうとしたところで、カタンと音がなる。ふと音源の方に顔を向けると、私は無意識に背筋がぞくりと粟立つのを感じた。



「わたくしは、ミーシェ=リアと申します。どうぞ、お見知りおきくださいませ。」



 そう言って差し出される左手。握手を求めていることはわかる。けれど、私の身体は全く動かなかった。先ほどの二人の令嬢とは違う。私はかつてないほど、萎縮していた。


 海を思わせる真っ直ぐな深い青の髪に、青空を写したかのような涼やかな青の瞳。しかしその瞳は何も映してなどいない。ただただ、私を写している。まるで心のない人形のように。命ないはずの無機物に意思を持って見られている時のような、そんな恐怖を私は感じた。


 おかしい。この人は何かがおかしい。権力はあれど至って普通のご令嬢であるお二人とはわけが違う。何かが異常なのだ。


 ーーこのような感覚、私は最近味わったことはなかったか。



「こ、ちら……こそ…………。」



 私はそれだけいうのが精一杯だった。その何もうつさない空虚な瞳の奥に引きずり込まれそうだと思ったが、そんな魔法は存在しない。大丈夫だと自分に言い聞かせて、私はようやく彼女の手に自分の手を重ねた。彼女の手はとても冷たく、氷のようで。


 ーー氷?


 ハッと私は目を見開いて彼女を見た。この感覚はそう、身体が凍てついてしまったというセルヴェさんと会った時と同じもの。


 そんな私を全くの無表情で見やる、というよりも、とりあえず視線を合わせておくと言ったような風に私を見る彼女は、不意に私の耳元に口を近づけると、



「わたくしは二番目。"溶けない心"のミーシェ=リア。」



 そう、全く抑揚のない声で言い放った。



 

  

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