井戸の列
炊き出しが始まって四日目の朝、村の井戸に、経験値が二百四十四ぶん並んでいた。
大ネズミが三匹。森オオカミが二頭。それから、傘をゆらゆらさせて歩くキノコが四本。
【大ネズミ Lv.2】【森オオカミ Lv.4】【歩きキノコ Lv.3】
視界に開いた枠を、俺は反射的に足し算していた。二百四十四。レベル五まで届く数字だ。
どれも、チュートリアル区域に配置した雑魚だった。
その二百四十四が、行儀よく一列に並んで、手を洗う順番を待っている。
列の先頭のほうは、いつもどおりだった。水汲みの桶を提げた村の女たちと、顔を洗いに来た男たち。
人間と魔物の境目は、列の真ん中あたりにあった。
列の先頭では、腕まくりをした母さんが、桶の水をすくっていた。赤茶の三つ編みは、邪魔にならないように前掛けの紐にはさんである。
「はい、次の方」
大ネズミが前に出て、前足を差し出した。母さんはそれに水をかけて、手ぬぐいで丁寧に拭いた。
「爪の間もね。はい、きれいになった」
大ネズミはひげを震わせて、鍋のほうへ走っていった。
次は森オオカミだった。肩の高さが、俺の胸まである。灰色の毛並みの、年を取った雌だ。
「お婆ちゃん、腰は大丈夫?」
母さんは、オオカミの前足も同じように洗った。オオカミは目を細めて、されるがままになっていた。
その次が、歩くキノコだった。
「あら」
母さんは緑の目をしばたたかせて、少し困ったように首をかしげた。キノコには、手がない。
「じゃあ、傘を拭きましょうね」
キノコは傘をかしげて、拭きやすいように差し出した。
鍋の前では、先に手を洗い終えた大ネズミが、スープを口に含んだまま、キイキイと鳴いていた。
「口に物を入れたまま、鳴かないの」
母さんの声が飛んで、ネズミは慌てて口を閉じた。
*
こうなったのは、ガルドのせいらしい。
「わしは、一度しか話しておらん」
広場の大鍋をかき回しながら、ガルドは言った。
「森オオカミの婆さんに、村で飯が出ると。一度だけだ」
その婆さんが、ほかのオオカミに話した。オオカミがネズミに話した。ネズミがキノコに話した。
キノコがどうやって話を聞いたのかは、わからない。
初日は三匹だった。二日目に八匹。三日目に十五匹。今朝は、数えるのをやめた。
「どうせなら、薪割りも手伝わせりゃいいんだ」
ダグさんは大槌を肩にかついで、半分あきれたように笑っていた。
実際、森オオカミは薪を運んでいた。口にくわえて、一本ずつ。大ネズミは、井戸端のくず野菜を片づけていた。
「おう、リオ。最初の獲物はまだか」
ダグさんが、俺の肩を叩いた。
「言っとくが、鍋の前にいるのは獲物じゃねえぞ。ありゃ料理番だ」
わかってます、と答えるしかなかった。
トマスじいさんは、今日も荷車でカブを運んできていた。
鍋の前のガルドと目が合うと、じいさんは「ふん」と鼻を鳴らし、ガルドは黙って頭を下げた。
四日前に石を振りかぶった人と、その石を受けるはずだったゴブリンが、毎朝、カブの受け渡しをしている。
鍋の横では、ピムが歩くキノコと並んで座って、スープをすすっていた。
村長が広場の入り口に立って、その光景を眺めていた。
手には、炊き出しの帳面を持っている。カブが何個、豆が何袋、薪が何束。
収穫祭の準備のために村で積み立ててきた食料が、毎日どれだけ減っていくかを、村長は律儀につけていた。
帳面と、列と、鍋を、村長は順番に見た。
村長は何か言いかけて、やめた。
*
俺は、森へ向かった。
チャートの修正版は、頭の中にできている。初週でレベル五は無理でも、せめてレベル二には上げておきたい。
スライムを六匹。半日あれば足りる。
倒木の窪地に着いた。
何もいなかった。
窪地の底には、苔と、湿った落ち葉があるだけだった。半透明の塊は、ひとつも揺れていない。
しばらく待った。
湧き地点は、一定の間隔でスライムが湧くように作ってある。ゲームなら三十秒に一匹。
この世界の時間の流れがどうなっているかはわからないが、一時間待てば何かは湧くはずだ。
一時間待った。
何も湧かなかった。
湧き間隔を三十秒にするか四十秒にするかで、前世の俺は、後輩と半日もめたことがある。
三十秒だと忙しすぎる。四十秒だと退屈する。結局、三十秒で押し切った。
その三十秒が、一時間、来なかった。
念のため、ほかの湧き地点も回った。三本杉の分かれ道の、歩きキノコの湧き地点。赤い実の低木のそばの、大ネズミの巣穴。
全部、空だった。
この森は今、チュートリアルとして機能していない。
湧き地点に何も湧かないのは、仕様にない。俺は窪地のふちに座りこんで、赤茶のくせ毛を両手でかき回した。
三年で魔王軍の先遣隊を追い返す。その計画は、湧き地点に魔物が湧くことを前提にしている。前提が、朝ごはんを食べに出かけていた。
それから、思い出した。
今朝、井戸の列の最後尾で、半透明の塊が三つ、ぷるぷると順番を待っていた。
*
帰り道、森の小道で、歩くキノコに追い越されそうになった。
正確には、追い越されそうになったのは俺ではなく、俺の前を歩いていたもう一本のキノコだった。
後ろから来たキノコが、前のキノコに傘で合図をして、道を譲ってもらっていた。
昼の炊き出しに、遅れそうなのだろう。
帰り道、ギルドの出張所に寄った。
スライムがだめなら、討伐依頼だ。畑を荒らすイノシシでも、鶏を狙うキツネでもいい。一件こなせば、少なくとも経験値は入る。
雑貨屋の奥の、カウンターと掲示板だけの出張所。
掲示板には、紙が一枚も貼られていなかった。




