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母さん、それ中ボスです。 〜天然の母が敵と全員仲良くなるので、勇者の俺に経験値が入りません〜  作者: 佐和井 泥
第1話 母さん、それ中ボスです。

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四文字

 その夜の夕食は、三人と一匹だった。

 鍋いっぱいの、豆と根菜のスープ。黒パン。昼に食べきれなかったチーズの残り。

 テーブルの端では、スライムが水を張った木皿の中でぷるぷるしている。

「この子、名前どうしましょうか」

 母さんがスライムをつつきながら言った。

「……スライムでいいだろ」

「だめよ。それは種類でしょう。リオだって、人間って呼ばれたら嫌でしょう」

 別に嫌ではない。が、黙っておいた。

「ぷるぷるしてるから、プルンちゃん」

 その瞬間、視界の枠が小さく瞬(またた)いた。

【スライム(プルン) Lv.1】

 表示が、変わった。

 俺はしばらく、その括弧の中の三文字を見つめていた。

 マスターデータに、スライムの個体名を入れる欄はない。何百匹湧いても、スライムは全部同じスライムだ。

 その欄のないところに、名前が入っていた。

「はい、じゃあ食べましょう。大地の恵みに感謝を」

「大地の恵みに感謝を」

「……だいちの、めぐみに、かんしゃを」

 ガルドは、昼よりも少しだけ滑らかに言えるようになっていた。

 スープをひと口すすって、ガルドは動きを止めた。それから、もうひと口。もうひと口。

「ガルドさん、何が好き?」

 母さんが聞いた。

「……キノコ。森の、赤い傘の」

「じゃあ、収穫祭にはキノコのスープも作りましょうね」

 赤い傘のキノコは、ゲームでは毒キノコとして配置していた。食べるとHPが減る。ゴブリンにとっては好物だったらしい。

 スープをすすりながら、ガルドがテーブルに肘(ひじ)をついた。

 俺も、ついていた。昼間の疲れで、体を支えるのが面倒だったのだ。

「二人とも、肘」

 ガルドと俺は、同時に肘を引っこめた。

 ガルドがちらりと俺を見た。俺もガルドを見た。何とも言えない連帯感が、テーブルの上を行き来した。

「おかわりは?」

 母さんが聞くと、ガルドはしばらく迷ってから、空になった椀(わん)を両手で差し出した。

 ゲームのガルドは、HPが減ると棍棒(こんぼう)を振り回して暴れる仕様だった。

 この家のガルドは、おかわりのとき、椀を両手で差し出す仕様らしい。


   *


 ガルドが先に納屋へ引き上げたあと、俺は皿を洗う母さんの背中に声をかけた。

「母さん。あいつは……」

「あいつ、じゃなくて、ガルドさん」

「ガルドさんは、本当は」

 本当は三年後、チュートリアルの中ボスになって、棍棒を振り回して勇者に襲いかかる。そう言えるはずがなかった。

「本当は、なあに?」

「……なんでもない」

 母さんは皿を拭きながら、のんびりと言った。

「リオ。人は見かけによらないのよ」

「ゴブリンだよ」

「あら。ゴブリンも、見かけによらないわよ」

 反論の言葉を探して、見つからなかった。俺は、見かけどおりに作ったのだ。

 それから、母さんに毛布を持たされて、納屋へ行った。

 ガルドは干し草の上に座って、小さな窓から月を見ていた。

「毛布。母さんから」

「……すまない」

 ガルドは毛布を受け取って、膝にかけた。それから、ぽつりと言った。

「お前の母は、変わっている」

「知ってる。十五年見てきた」

「わしは二十年、群れの長をやった。人間も、何人も見てきた。あんな人間は、見たことがない」

「俺も、ないよ」

 三十二年と十五年、合わせて四十七年生きてきて、見たことがない。

 ガルドは、しばらく黙っていた。

「なぜ、あの石の前に出た」

 答えられなかった。

 合理的な理由を探した。ガルドがここで人間を憎めば、三年後の中ボスが生まれる。

 村の近くに、人間を憎むゴブリンの群れができる。リスクの芽は、早めに摘むべきだ。

 どれも、嘘ではなかった。どれも、あのとき考えたことではなかった。

 話をそらしたくて、別のことを聞いた。

「群れの、若いのは」

「ザグ、という」

 ガルドは、窓の外の月から目を離さずに言った。

「あいつは、わしより強い。腹も減っている。……人間の畑の味を、もう覚えかけている」

 ザグ。その名前は、ゲームのどこにもなかった。

 ガルドは、それ以上は話さなかった。俺も聞かなかった。代わりに、ガルドはもう一度、さっきの問いを繰り返した。

「なぜ、あの石の前に出た」

「……計算違いだ」

 ガルドが、喉の奥で低く笑った。初めて聞く声だった。

「そうか。計算違いか」


   *


 自分の部屋に戻って、ベッドに寝転がった。

 天井の梁(はり)のポチが、暗がりの中からこっちを見ていた。

 ステータスを開く。

【リオ 勇者(未覚醒) Lv.1 EXP 0/30】

 チャートを組み直さなければならない。

 頭の中に、いつもの仕様書の書式で修正版を書き出してみた。

 初週、レベル五到達。——延期。

 二週目、北の洞窟攻略。——保留。

 三日目、南の森のゴブリン討伐。——対象が納屋で就寝中のため、中止。

 書き出してみると、ひどいものだった。前世なら、こんな修正案を出した時点で会議室の空気が凍っている。

 考えなければいけないことは山ほどあった。

 なのに、頭に浮かんだのは、封を切らなかったおにぎりのことだった。

〈ちゃんと食べてる?〉

 既読のまま、止まったトーク画面。

 四文字だった。「食べてる」。それだけ返せばよかった。十秒もかからなかった。

 その十秒を、俺は明日の朝に回して、明日の朝は来なかった。

 返信先は、もうどこにもない。

 扉が、こんこんと鳴った。

「リオ、起きてる?」

 母さんが、湯気の立つ木の椀を持って入ってきた。薬草茶の、温かいほうだった。

 三つ編みをほどいた赤茶の髪が、寝間着の肩にかかっていた。

「今日はお疲れさま」

 椀を俺の手に持たせて、母さんは、俺と同じ緑の目で、俺の顔をのぞき込んだ。

「ちゃんと食べた?」

 喉の奥が、また詰まった。

 今度は、詰まったまま、押し出した。

「……食べたよ」

 四文字だった。

「そう。よかった」

 母さんはそれだけ言って、おやすみ、と扉を閉めた。

 薬草茶は、少し苦くて、温かかった。

 嘘じゃなかった。今日は、ちゃんと食べた。昼に黒パンを半分。夜にスープを二杯。

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