石
村への帰り道は、行列になった。
先頭に母さん。前掛けの裾に、スライム。その後ろに、母さんの肩掛けを頭からかぶったガルド。
最後尾に、少し軽くなった弁当籠を背負った勇者。
肩掛けは、母さんが「日差しが強いから」と言ってガルドにかぶせたものだった。日差しの問題ではないと思う。
緑色の手も、欠けた耳も、まったく隠れていない。
母さんは、歩きながらガルドに村の話をしていた。
「鍛冶屋のダグさんはね、大きくて声も大きいけど、優しいのよ。水車小屋のトマスさんは、ちょっと怒りっぽいけど、カブを育てるのが上手なの。村長さんは心配性だから、最初はびっくりするかもしれないわね」
引っ越してきたばかりの隣人に、近所を案内するような口ぶりだった。
ガルドは一つ一つにうなずいていた。覚えようとしているようにも見えた。
どう説明するか、歩きながらずっと考えていた。
考えはまとまらなかった。この世界に、「森で拾った中ボスを炊き出し当番にする」ための説明文は存在しない。俺が書いていないからだ。
水車小屋が見えてきたところで、最初の悲鳴があがった。
「ゴ、ゴブリンだあああ!」
ピムだった。鼻水をたらしたまま、広場のほうへ全力で走っていく。
それから先は早かった。
鍛冶屋からダグさんが、大槌を担いで飛び出してきた。畑から男たちが鍬を持って集まってきた。
村長が、収穫祭の飾りを抱えたまま固まっていた。
「マ、マルタさん、離れなさい! そいつから離れて!」
男たちが、じりじりと輪を縮めてくる。鍬の先が、全部ガルドのほうを向いていた。
そして、水車小屋の前から、トマスじいさんが出てきた。
手に、石を持っていた。
「マルタさん、そこをどきな」
トマスじいさんの声は、低く震えていた。
「そいつらのせいで、去年の冬は、カブの入ってないスープを飲んだんだ」
ガルドの足が止まった。
肩掛けの下で、ガルドの目が変わるのが見えた。濁った黄色の奥で、何かが冷えて、固まっていく。
三日間、飢えて森をさまよっていたあいだにも、きっと何度かこういう目をしたのだろう。
ゲームのガルドは、ずっとこの目をしていた。
あの石だ、と思った。
本来なら今夜、畑で投げられるはずだった石。ガルドを、ゴブリン王にする石。
場所と時間が変わっただけで、同じ石が、同じところへ飛んでこようとしている。
トマスじいさんの腕が、振りかぶられた。
計算するより先に、体が動いた。
気づいたときには、俺はガルドの前に出て、まだ肩幅の足りない背中を向けていた。
ごつん、と鈍い音がした。
衝撃は、背中の籠が受け止めた。籠の中で、石がひとつ転がる音がした。
弁当籠が、初めて防具として役に立った。
「トマスさん」
母さんの声がした。
大きな声ではなかった。ただ、村中が静かになった。
「人に向かって、物を投げないの」
五歳の子どもに言うのと、まったく同じ調子だった。
小柄な母さんが、ガルドとトマスじいさんのあいだに立っていた。背筋をまっすぐに伸ばして、三つ編みの先まで、少しも揺れていなかった。
トマスじいさんは、振りかぶった姿勢のまま固まった。
「い、いや、マルタさん、そいつはゴブリンで、去年うちのカブを——」
「あら、そうなの?」
母さんは振り返って、ガルドに聞いた。
「ガルドさん、カブ食べた?」
「……わしではない。去年は、若いのがやった。わしは止めた。止められなかった」
「ほらね」
「ほらねって……」
「それにね、トマスさん。この人、ちゃんと手を洗えるのよ」
トマスじいさんは、振りかぶったままの腕を、ゆっくりと下ろした。
ダグさんは、大槌を肩から下ろして、それから腹を抱えて笑いだした。
「リオ! 最初の獲物を見せに来いとは言ったがな!」
笑いすぎて、目尻の涙を拭いていた。
「獲物のほうを連れてくるやつがあるか!」
ダグさんの笑い声で、張りつめていたものが少しだけゆるんだ。男たちの鍬の先が、一本、また一本と下がっていく。
ダグさんの脚のうしろから、ピムが半分だけ顔を出して、ガルドをのぞいていた。
「ガルドさん、ご挨拶は?」
母さんに言われて、ガルドは肩掛けを頭から外した。欠けた耳があらわになって、何人かが息をのんだ。
「……ガルドだ。世話になる」
ぎこちなく頭を下げたガルドを、ピムはまばたきもせずに見つめていた。
*
結局、話は村長の家に持ち込まれた。
「マルタさん。ゴブリンですぞ」
村長は、額の汗を拭きながら言った。
「ええ」
「村に、ゴブリンを置くと」
「村長さん、先週おっしゃってたでしょう。収穫祭の炊き出し、人手が足りないって」
「それは、言ったが」
「ガルドさん、お鍋をかき回すの上手なのよ。たぶん」
たぶん、と俺は思った。見たことはない。
「しかしだね、もし夜中に、その、何かあったら」
「何かって、何がありますの?」
母さんが本気で首をかしげたので、村長は何か言いかけて、やめた。
それでも渋っている村長の背中を押したのは、意外にもダグさんだった。
「俺が見張っときますよ。妙な真似をしたら、この槌でどうにかする。どうにかしなきゃならん相手には見えませんがね」
ダグさんはそう言って、村長の家の土間で、母さんの薬草茶をすするガルドを顎で示した。
ガルドは椀を両手で持って、背中を丸めていた。ダグさんの言うとおりだった。
話は、それで決まった。
ガルドは収穫祭が終わるまで、炊き出しの手伝いとして村に置く。寝泊まりは、うちの納屋。何かあったら、責任はマルタさんが持つ。
村長の家からの帰り道、トマスじいさんとすれ違った。じいさんは俺の顔を見て、ばつが悪そうに目をそらした。
「……背中、大丈夫か」
「籠に当たったから」
「そうか」
じいさんは、それだけ言って水車小屋に戻っていった。手にはもう、石を持っていなかった。
本来なら、あの石は当たっていた。
俺は、まめだらけの自分の手のひらを見た。短剣を握ったときの汗が、まだ乾いていない気がした。
昼には、この手でガルドを刺す計算をしていた。夕方には、同じガルドの前に飛び出していた。
計算より先に体が動いた。レベルデザイナーとして、いちばんやってはいけない種類の判断だった。




