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母さん、それ中ボスです。 〜天然の母が敵と全員仲良くなるので、勇者の俺に経験値が入りません〜  作者: 佐和井 泥
第1話 母さん、それ中ボスです。

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5/47

獲得経験値:0

 黒パン二つと干し肉とゆで卵三つを平らげてから、ガルドはぽつぽつと話しはじめた。

 二十年、南の森のゴブリンの群れの長をやってきたこと。先月、群れの若いのに長の座を追われたこと。

「若いのは、人間の村を襲いたがった。畑にも、家畜にも、手を出したがった。わしは止めた。人間に手を出せば、いずれ人間が森に来る。群れが狩られる」

「だから、追い出されたのね」

「……年寄りの言うことは、聞かれんものだ」

 ガルドは、自分の欠けた耳にそっと触れた。追い出されたときの傷かもしれない、と思った。

 腹を空かせた群れに、我慢しろと言い続けた。冬には木の根を掘って食わせた。二十年、それで持った。

 今年の夏は、持たなかった。ガルドは、そういうことを、淡々と話した。

 母さんは黙って聞いていた。ときどき「大変だったわねえ」と相づちを打って、空いた椀(わん)に薬草茶を足した。

「それから、三日、何も食べていない」

 そして、ガルドは言った。

「今夜……人間の村の畑を、荒らすつもりだった」

 背中が冷たくなった。

 人間に手を出すなと群れを止めた男が、飢えて、今夜、人間の畑に手を出す。

 その先は、見なくてもわかった。

 畑を荒らせば、村の男たちに石を投げられて追い払われる。飢えて、傷ついて、人間を憎む。

 人間に手を出すなと言った自分が、人間に追われる。群れに戻って、若いのを叩きのめして、長の座を取り返す。

 今度は、人間の村を襲う群れの長として。

 そして三年後、ゴブリン王ガルドとして、棍棒(こんぼう)を持って勇者の前に立ちはだかる。

 ガルドが人間を憎む理由を、俺は書いていなかった。

 書いていなかったのに、ちゃんとあった。


   *


 視界の枠が、ガルドの上で揺れていた。

【ガルド ゴブリン Lv.8 HP 11/96】

 HP、十一。

 頭の中で、勝手に計算が走りはじめた。レベルデザイナーの頭は、止めようとしても止まらない。

 チュートリアルで、プレイヤーに最初に教えることのひとつが「弱った敵は逃がすな」だ。

 HPの減った敵は、回復される前に倒す。そういうふうに、俺が作った。

 HP十一なら、今の俺の短剣でも二回、急所に入れば一回で足りる。ガルドは座っている。両手で椀を持っている。反応は遅れる。

 Lv.8のゴブリンを撃破すれば、経験値は二百四十。レベル五まで一気に届く。初週のチャートが、一突きで終わる。

 それだけじゃない。三年後のチュートリアルの中ボスが、ここで消える。村の近くに、人間を憎むゴブリンの群れが生まれることもなくなる。

 合理的に考えれば、答えはひとつだった。

 日に焼けた指で、短剣の柄(つか)を握り直した。

 ガルドは、椀の底に残った薬草茶を、名残惜しそうにのぞき込んでいた。

 母さんは、その口もとについたパンくずを、手ぬぐいで拭いてやっていた。

 計算は合っていた。

 合っていたのに、手が動かなかった。

 ゴブリンだから、で十分だと思った。十五分で、そう書いた。書いたときと同じ理屈で、俺は今、目の前のこの年寄りを刺そうとしている。

「あら、それはだめよ」

 母さんの声に、心臓が跳ねた。

 見られた、と思った。短剣を握った手を、とっさに背中に隠した。

 だが母さんは、俺のほうを見ていなかった。ガルドに向かって、行儀の悪い子どもを叱るくらいの調子で言っていた。

「畑はね、みんなが一年かけて育ててるんだから。荒らしちゃだめ」

「……すまない」

 畑の話だった。俺は、そっと息を吐いた。背中に隠した短剣を、音を立てないように鞘(さや)に戻した。

 ガルドは、しばらく母さんの顔を見ていた。それから、低い声で聞いた。

「なぜ、わしに食わせる」

「なぜって」

 母さんは緑の目をまるくして、質問の意味がわからないという顔をした。

「お腹がすいてる人がいたら、食べさせるものでしょう」

 理由になっていなかった。少なくとも、俺の知っている理由の形をしていなかった。

 だが母さんの中では、それで話が完結しているらしかった。

 十五年一緒に暮らしてきて、この人が「なぜ」に別の答えを返すのを、俺は聞いたことがない。

「その代わり、うちの村の炊き出しを手伝ってくれない? もうすぐ収穫祭でね、人手が足りないのよ。手伝ってくれたら、ご飯はちゃんと出るわ」

「母さん、村の人がゴブリンを入れるわけ——」

「大丈夫よ。この人、ちゃんと手を洗えるもの」

 理屈になっていない。

 なっていないのに、ガルドは地面に両手をついて、深々と頭を下げた。額(ひたい)が、苔(こけ)に触れるくらいまで。

【戦闘が回避されました】

【獲得経験値:0】

 目の前に浮かんだ文字を、俺はしばらく眺めていた。

【リオ 勇者(未覚醒) Lv.1 EXP 0/30】

【ヒント:敵を倒すと、経験値を獲得できます】

 知ってる。そのヒント文を書いたのは俺だ。

 ガルドの名前は、いつのまにか赤から白に変わっていた。

 最短攻略チャート、初日の達成率、〇パーセント。

「リオ、あなたも食べなさい。朝、ちゃんと食べてなかったでしょう」

 母さんが、ふっくらした手で残った黒パンを半分に割って、差し出した。

 受け取って、かじった。朝、母さんが焼いたパンだ。いつもの味だった。

 裾(すそ)のスライムにも、母さんはパンくずを少し分けてやっていた。スライムはそれを体の中に取り込んで、ゆっくりと溶かしていた。

 村に、ゴブリンを連れて帰る。

 その意味を、母さんはたぶん、まったくわかっていない。わかっているはずの俺のほうは、なぜか止めきれなかった。

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