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母さん、それ中ボスです。 〜天然の母が敵と全員仲良くなるので、勇者の俺に経験値が入りません〜  作者: 佐和井 泥
第7話 取り下げ

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北口

 荷車の日の朝、ガルドと一緒に村を出た。

 ガルドは、霜(しも)の回廊の見回り当番だ。俺は、母さんに弁当籠(べんとうかご)を背負わされていた。中身は、護衛の三人のぶんの「お疲れさま」だ。

「途中で荷車に会ったら、渡してあげて。帰りの道で、お腹がすくでしょう」

 回廊までの道は、もう荷車の轍(わだち)で踏み固められている。それでも、着いたのは昼過ぎだった。

 いつもなら途中ですれ違うはずの荷車には、とうとう会わなかった。

 松明(たいまつ)に火を入れて、氷の通路を奥へ進む。奥の扉の前に、ユキが立っていた。

 母さんが直した灰色のマントの襟が、今日もきちんと立っている。

「荷車は、まだだ」

 ユキが言った。

「……いつもより、遅い」

 ガルドが答えた。

 ユキに北口の扉を開けてもらって、北の斜面を見下ろした。

 雪の照り返しで、目が痛い。斜面の下に、森の黒い縁が見える。その手前の雪の中を、轍が一本、細く上ってきていた。

 ガルドは扉の外に立って、尾根のほうを見ていた。先週から、北ばかり見ている。

 風の中に、焚き火の匂いがかすかに混じっていた。斜面のどこかで、誰かが火を焚いている。

「あの煙は」

 聞くと、ガルドは尾根から目を離さずに答えた。

「……あれらの火だ。湿った枝しか、拾えておらん」

 煙が細いのは、そういうわけらしかった。


   *


 午後になって、轍の先に荷車が見えた。

 荷車の並びは、いつもどおりだった。

 ただ、御者台(ぎょしゃだい)に、見慣れない人影が一つ乗っていた。

 黒い外套(がいとう)に、うなじの上できっちりまとめた黒髪。背筋は、定規を当てたようにまっすぐだった。

 揺れる荷車の上で、膝に手帳を広げている。

 イレーネさんだった。

 ギルド本部の、監査室の人だ。収穫祭の前に出張所を査察して、三か月の試行を決めていった。

 三か月後に、また来ます。そう言って、乗合馬車で帰っていった。

 その三か月は、とっくに過ぎていた。

 荷台には、麦の袋が積んであった。王都で買いつけた、冬の食い扶持だ。

 氷から出た十六人が村に住みついてから、村長はずっと帳面とにらめっこをしている。

 荷車が、斜面の半ばまで上ってきたときだった。

 雪の向こうから、影が湧いた。

 一つや二つではなかった。岩の陰から、雪をかぶった灌木(かんぼく)の下から、痩せた緑の背中が、斜面のあちこちで起きあがる。

 ゴブリンだった。十いくつ。どれも、あばらが浮いている。

 視界に、枠が並んだ。

【ゴブリン Lv.5】【ゴブリン Lv.4】……

 名前は、どれも赤かった。

 頭の中で、もう一枚、別の枠が開いた。前世で作った、ゲームの魔物図鑑の一ページだ。

〈ゴブリン:群れで街道に出て、荷車を襲う〉

 ゴブリンという種族に、俺が一行だけ書いた説明だった。

 一匹一匹のあばらが浮いていることを書いたのは、俺じゃない。

 ゴブリンたちは、ベックさんたちには目もくれなかった。荷台の麦の袋に、まっすぐ群がっていく。

 ベックさんが剣を抜いた。刃ではなく腹のほうで、袋に伸びた手を払う。

 ロザさんは、ゴブリンの足もとの雪に、矢を立て続けに射こんでいた。一本も、体には当てていない。

 荷台の後ろで、ニールさんが杖を掲げた。白い光が弾けて、何匹かが目を押さえてうずくまった。

 俺は、扉の外に飛び出していた。何かできると思ったわけではない。体が先に動いた。

 背中が、急に軽くなった。

 振り返ると、若いゴブリンが二匹、俺の弁当籠を抱えて走っていくところだった。

 もう一匹は、荷台から麦の袋を一つ、引きずりおろしている。

「待て——」

 待つはずがなかった。三匹は、籠(かご)と袋を抱えたまま、斜面を転がるように駆け下りていった。

 それを合図に、ほかのゴブリンたちも、いっせいに雪の陰へ引いていく。

 気がつくと、ガルドが斜面の上を見上げていた。

 尾根の上に、ゴブリンが一匹、立っていた。ほかの連中より、ひと回り大きい。右足を、わずかに引きずっている。

【ザグ ゴブリン Lv.14】

 ザグは、下りてこなかった。荷車も、麦の袋も見ていなかった。ただ、扉の前のガルドを見下ろしていた。

 やがて、尾根の向こうに消えた。

「……奪うのは、構わんのだ」

 ガルドが、低く言った。

「あれの決まりではな。人間の飯を、もらうのが、いかん。誰の手を通ってきても、だ」

 秋にチットは、「人間の飯を食った奴は、群れにいらない」と言っていた。

 けれど、チットが追われたのは、炊き出し帰りのオオカミに、スープの残りを分けてもらったからだ。

 食ったから、ではない。もらったからだ。奪っていたら、追われなかったのかもしれない。

「麦を、ひと袋……」

 ベックさんが、荷台を見て舌打ちした。ニールさんは、杖を握ったまま、まだ肩で息をしている。

 ロザさんだけが、ゴブリンたちの消えた斜面を、黙って見ていた。

 荷車の上で、イレーネさんは、一度も御者台を降りていなかった。

 膝の上の手帳に、ペンが走っていた。襲われているあいだも、たぶん、ずっと。

 手帳を閉じると、イレーネさんは御者台から降りた。扉の前の俺に気づいて、小さく会釈する。

「ハルテ出張所の、Fランクの方ですね。ご無沙汰しています」

 覚えられていた。たぶん、帳簿の数字と同じように。

 イレーネさんは、鞄から分厚い本を取り出した。秋に出張所で見た、ギルドの規程集だ。

 ページをめくる指は、少しも震えていなかった。

「規程第四十条」

 雪の斜面に、事務的な声が通った。

「『護衛依頼の経路上で、護衛依頼の遂行が妨げられているときは、本部は、討伐依頼を発することができる』」

 イレーネさんは、眼鏡を指で押しあげた。

「本部は、討伐依頼を発します」

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