討伐依頼ゼロ件
朝、荷車が北へ出ていった。
ベックさんが手綱を引き、ニールさんが後ろを押し、ロザさんが御者台の横を歩いている。三人の並びが、元に戻っていた。
出ていく前に、ロザさんが俺のところに来た。
「あと二件。あんたも数えといて」
「俺が、ですか」
「あたし一人だと、ずるしそうだから」
ロザさんは、それだけ言って荷車に戻っていった。ずるのしようがあるのかどうかは、聞きそびれた。
荷車が北の道に消えたあと、出張所をのぞくと、ホルストさんは帳簿を開いていた。
掲示板の「討伐」の札の下は、あの日ロザさんが依頼票を受けてから、ずっと空いている。
ホルストさんは、その空いたところを、しばらく眺めていた。
「ゼロに戻った」
棒読みだった。
それから帳簿に目を落として、一行、書きつけた。
「……一件は、一件だ。帳簿には残る」
今月の欄をのぞくと、新規依頼の数の横に、小さく「うち討伐一」と書き足してあった。
その欄が埋まったのは、ずいぶん久しぶりのことだった。
*
その夜、寝床の上で、頭の中のチャートを広げた。
線を引いた行が、三つ。ゴブリン王ガルド。洞窟の主。霜の番人。
線を引けない行が、一つ。〈ハルテ村焼失:魔王軍先遣隊(隊長セヴラン)〉。
その横には、小さな書き足し。〈当番:霜の回廊の見回り(春の最初の満月)〉。
その下に、新しい行を書いた。
〈ロザ:護衛の受注者まで、討伐あと二件〉
自分のではない行を、このチャートに書くのは初めてだった。数えといて、と言われたからだ。
前世で俺が作っていたのは、プレイヤーが一人で進むための表だった。仲間の都合を書く欄は、どこにもなかった。
母さんの鍋は、並んだ者に届く。
並ばない者には、届かない。並べない者にも。
ザグは、差し出された弁当を手の甲で払った。雪山猫は、列があることさえ知らなかった。
そういう相手の前に、誰かが立たなければならない。届かないところへ、弓を持って。
それが母さんのやり方の穴なのか、それとも、穴とは呼ばないものなのか。俺には、まだわからなかった。
雪山猫の一行を書いた夜のことは、覚えていない。冬のマップが寂しくならないように、と思っただけだったはずだ。
その一行が、谷の羊を三頭さらって、子どもに跳びかかった。
そして、それを射たのは、俺ではなかった。
ステータスを開いた。
【リオ 勇者(未覚醒) Lv.1 EXP 0/30 防御力 48】
数字は、ひとつも動いていない。胸当ての鱗に、白い筋が四本増えただけだ。
頭の中には、まだ谷で見た枠が残っている。Lv.11の弓兵。
【ヒント:仲間の成長も、冒険の楽しみのひとつです】
楽しみ、か。
こんなヒント文を、いつ書いたのだろう。思い出せなかった。
悪い気は、しなかった。
*
台所から、糸車の音がしていた。
のぞくと、母さんが糸車の前に座っていた。
膝の上には、編みあがった大きな手袋が一組、たたんで置いてある。指の長い、灰色の手袋だ。
春の最初の満月に、見張り塔の下の家へ届けるものだった。
母さんの手元で、新しい糸がより合わされていた。白っぽい毛と、灰色の毛が、一本の糸になっていく。
「それ、誰の」
「ハンナさんのぶん」
母さんは、糸から目を離さずに言った。
「あの人、手が荒れてたのよ。羊さんの世話で」
それから、ふと顔を上げた。
「ロザちゃん、来週も来るわね。お布団、干しておかなくちゃ」
かまどの前で、ギンが丸くなっていた。肩に、前掛けの布を巻いたまま。
首の薄いところに、ほんの少しだけ、新しい毛が生えはじめていた。
窓の外の暗がりの中、納屋の戸口にガルドが立っているのが見えた。北の尾根のほうを向いている。
羊を襲ったのは、ザグではなかった。
それでもガルドは、毎晩、北を見ている。
◆
【人材開発課 週次報告】
報告者:魔王軍人事局 人材開発課 係長 モルグ
案件:ゴブリン、ザグの群れの現状について
経過:
先遣局長の判定保留により、ザグとの協力の件は凍結された。
群れは、北の古道北口の斜面で冬を越している。食料は、尽きかけている。
現状:
群れは、古道の北口を出入りする人間の荷車を、毎週見ている。
補足:
先遣局長の転入届の取り下げについて、総務局より回答があった。
「取り下げの手続きは、魔王軍の規程に定めがない」
補足二:
春の最初の満月、先遣局長の不在中の局長代理として、魔導兵器課の課長を充てることが決まった。
所見:注視する。
追記:
代理の方の部下は、食事をとらない。手を洗う必要もない。
少しうらやましいと思ってしまった。疲れているのだと思う。




