受注者欄
ハルテ村に戻ったのは、日暮れ前だった。
村の入り口で、ガルドが斧を背負って待っていた。見回りの帰りらしい。
ガルドは、ギンの肩の新しい布を見た。それから、俺の胸当ての四本の筋を見た。
「山猫か」
「うん」
ガルドはうなずいて、ギンの頭に、大きな手を一度だけ置いた。
出張所に着くと、ロザさんが、署名の入った依頼票をカウンターに置いた。
ホルストさんは、それを手に取って、達成の欄を読んだ。見立ての欄を読んだ。それから、もう一度、いちばん上の対象の欄を読んだ。
「……そういう読み方をしたか」
俺のほうを見ずに、そう言った。
ホルストさんは、カウンターの下から報酬の袋を出した。
袋はカウンターの上を滑って、ロザさんの前で止まった。
ベックさんの手を、通らなかった。
ロザさんは、袋をすぐには取らなかった。カウンターの上のそれを、しばらく見ていた。
「木札」
ホルストさんが、手を出した。
ロザさんが、冒険者証の木札を渡す。ホルストさんはそれを裏返して、引き出しから小さな焼きごてを出した。ランプの火で、先をあぶる。
木札の裏には、小さな枠が三つ、焼きつけてあった。
三つとも、空いていた。
ホルストさんは、いちばん端の枠に、焼きごてを押しつけた。
焦げた匂いが、少しだけした。
木札を返しながら、ホルストさんはロザさんの顔を見た。何か言いかけて、やめた。
「あと二件だ」
代わりに、それだけ言った。
「わかってる」
ロザさんは、木札を握ったまま答えた。
それからロザさんは、送金票を一枚もらった。ギルドを通して、ベルダの家に金を送るための紙だ。
カウンターで、ペンを持つ。
宛先と金額を、手早く埋めていく。
最後に、送り主の欄。
ロザさんのペンが、一度だけ止まった。
〈送り主 ロザ〉
道中で読んだ手紙を、思い出した。大きくて、少し傾いた字。
〈にいさんが、またくすりをおくってくれました〉
次の手紙には、たぶん、違う名前が書いてある。
ロザさんは、送金票をホルストさんに渡した。それから、残った四枚を革袋にしまった。
袋の口を縛る指が、少しだけもたついていた。弦の跡のついた、いつもは器用な指だった。
*
荷車が戻るまでの五日間、ロザさんはうちに泊まった。
出張所の奥の長椅子で寝ると言ったのを、母さんが聞かなかったのだ。
「ひと冬に一度くらい、ちゃんとしたお布団で寝なさい」
ロザさんは、母さんには逆らわなかった。
昼は、ガルドの鍋の薪を割った。夜は、台所の糸車の前に座らされた。
母さんが、羊の毛とオオカミの毛を一本の糸に撚るやり方を教えている。ロザさんの糸は、太くなったり細くなったりした。
「弓の弦なら、まっすぐ張れるのに」
「最初は、みんなそうよ」
かまどの前では、ギンが、肩の布を巻いたまま眠っていた。
最後の晩、ロザさんはかまどの前で、冒険者証の木札を指で裏返していた。
焦げ跡のところを、親指で一度なぞる。表に返して、また裏返す。
何度目かで、俺が見ているのに気づいた。
「……見んな」
ロザさんは、木札を懐にしまった。耳が、かまどの火のせいだけではなく赤かった。
*
五日後、北の道から荷車が戻ってきた。
ベックさんが手綱を引き、ニールさんが後ろを押していた。
御者台の横は、空いていた。この一往復は、二人で行ったからだ。
出張所のカウンターで、ホルストさんが報酬の袋を出した。
「王都まで、一往復。護衛二人ぶん」
棒読みが、一字だけ変わっていた。
ベックさんが、カウンターの上で中身を分けた。
三つではなく、二つに。
ロザさんは、カウンターの端に立って、それを見ていた。
分け終えたベックさんが、顔を上げた。
ロザさんの腰に、冒険者証の木札が下がっている。裏返しになっていた。端の枠に、焦げ跡がひとつ。
ベックさんは、それを見た。
「……一件か」
「うん」
それきりだった。
ベックさんは、自分のぶんを革袋にしまった。それから、ニールさんの肩を軽く叩いて、出張所を出ていった。
ニールさんが、戸口で一度だけ振り返った。一度は凍った右手を、ロザさんに向かって小さく上げた。
ロザさんは、小さくうなずいた。
次の荷車には、ロザさんも戻る。荷車のまわりに、また三人がそろう。
受注者の欄の名前だけが、まだ、変わらない。
*
ロザさんは、掲示板の前に移った。
手伝いの札の下に、依頼票が一枚、増えていた。今朝、東の谷から届いたものだ。
〈撚り糸の講習:羊の毛と森オオカミの毛 依頼主:東の谷羊飼い組合〉
受注者の欄は、空いていた。
手伝いの依頼なら、誰の名前でも書ける。ロザさんの名前でも。
ロザさんは、その欄をしばらく見ていた。
「あんたの母さんが受けるでしょ、これ」
「……たぶん」
「じゃあ、あたしの名前はいらない」
ロザさんは、背中の弓をかけ直して、出張所を出ていった。
受けなかった。




