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母さん、それ中ボスです。 〜天然の母が敵と全員仲良くなるので、勇者の俺に経験値が入りません〜  作者: 佐和井 泥
第6話 討伐依頼一件

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囲いの夜

 谷の入り口に駆け戻ったときには、日が傾きかけていた。

 鍋のまわりに、人がいた。

 最初は子どもだったらしい。鍋の前に、小さいのが五、六人しゃがんでいる。

 その後ろに、袖を引かれてきたらしい大人たちが、気まずそうに立っていた。何人かは、もう椀(わん)を持っている。

 母さんは、一人ずつ手を洗わせていた。雪を溶かした湯の桶で。

「はい。大地の恵みに感謝を」

「……大地の、恵みに、感謝を」

 ギンは鍋の横で、子どもたちに背中を撫(な)でられていた。肩の布には、誰も触らなかった。

 子どもたちの中に、ハンナさんの孫だという男の子がいた。

 いちばん小さい子に椀を持たせてやりながら、自分のぶんはあとまわしにしている。

 母さんは、鍋の番をしながら、家から持ってきた編みかけの灰色の手袋を膝にのせていた。

 ハンナさんだけが、いなかった。

 見回すと、いちばん大きな囲いの前に、ランタンを持って座りこんでいた。熊手(くまで)を、膝の上に横たえている。

「ハンナさん」

 声をかけたが、振り向かなかった。

「足跡が、こっちに向かってます。今夜、来るかもしれません」

「来たら、見てやるさ」

 ハンナさんは、囲いの中の羊を見たまま言った。

「何が来るのかをね」

 日が尾根に沈むと、ギンが、ふいに鍋のそばを離れた。

 囲いの石垣の陰まで歩いていって、腹を雪につけて伏せる。耳を立てて、谷の奥のほうを見ていた。

 子どもたちが呼んでも、戻ってこなかった。


   *


 暗くなると、ロザさんは囲いのまわりを一周した。

 風の向きを確かめて、雪の上に指で線を引き、いちばん大きな囲いの風下に陣取った。石垣から、十歩ほど離れたところだ。

「ここなら、匂いが向こうに行かない」

 俺は、ロザさんの隣にしゃがんだ。

「あんた、なんで岩場のこと知ってたの」

 暗がりの中で、ロザさんが聞いた。

「……昔、聞いたことがあって」

「誰に」

 答えられなかった。三十二年ぶんの前世と、一行の設定欄の話を、どこから始めればいいのかわからなかった。

「あんた、そういうの多いよね」

 ロザさんは、それ以上は聞かなかった。矢筒から一本抜いて、指で羽根を整えた。

 夜。

 鍋の火が小さくなったころ、羊が騒ぎだした。

 囲いの中で、いっせいに鳴く。石垣の向こうで、白い背中が押しあっている。

 ハンナさんが立ちあがった。ランタンが揺れた。

「ばあちゃん!」

 囲いの中から、子どもの声がした。ハンナさんの孫だ。日が暮れてから、羊を落ち着かせると言って、中に入っていった子だった。

 石垣の上に、白いものが乗った。

 雪の色をした、大きな猫だった。体の長さは、ギンと変わらない。尾が太く、耳の先に黒い房がある。

【雪山猫 Lv.9】

 名前は、赤かった。

 山猫は、石垣の上で一度だけ身を低くした。後ろ足の片方を、かばうように浮かせている。

 その目は、羊を見ていなかった。羊のあいだに立ちすくんでいる、小さな影を見ていた。

 考えるより先に、体が動いていた。

 石垣を乗り越えて、子どもの前に飛びこむ。右手が、腰の短剣の柄に行った。

 抜く間は、なかった。

 山猫が、跳んだ。

 胸に、重いものがぶつかった。爪が、胸当ての上を擦る。岩トカゲの鱗(うろこ)が、硬い音を立てた。

 爪は、滑った。

 Lv.1には釣り合わない、防御力四十八。それはこういうときのためにあったのかもしれない、と、雪の上に倒れながら思った。

 山猫が、もう一度、前足を振りあげた。

 そこへ、灰色の塊が横からぶつかった。

 ギンだった。

 収穫祭の麦束運びの競争で、若い男たちに半周の差をつけた足だ。年寄りとは思えない速さで、山猫の脇腹に食らいついている。

 山猫が、身をよじってギンを振り払った。

 その首の付け根に、矢が立った。

 ロザさんだった。石垣の外、ランタンの明かりが届くぎりぎりのところで、もう二本目をつがえている。

 山猫が、ロザさんのほうを向いた。

 二本目が、その胸に吸いこまれた。

 山猫は、雪の上に倒れた。それきり、動かなかった。

 背中のほうで、小さな手が、俺の上着の裾をつかんでいた。震えていたが、どこにも傷はなさそうだった。

 視界に、枠が開いた。

【ロザ 弓兵 Lv.11】

 卵の洞窟で初めて見たときは、Lv.10だった。経験値は、ロザさんに入った。

 秋から、討伐の仕事は一件もなかったはずだ。上がる手前で、ずっと止まっていたのだろう。

【ヒント:とどめを刺した者が、経験値を獲得します】

 知ってる。


   *


 母さんが、駆けてきた。

 ギンの肩から、また血がにじんでいた。母さんは前掛けの端を裂いて、ギンの肩に巻きつけた。

 霜(しも)の回廊で、凍ったニールさんの手をくるんだときと、同じ手つきだった。

 それから母さんは、俺の胸当てを見た。鱗の上に、白い筋が四本、走っていた。

 母さんは何も言わずに、俺の頭を一度だけ撫でた。

 そのあとで、母さんは、雪の上の山猫を見た。

 しばらく、見ていた。

「……お腹、すいてたのね」

 責める声ではなかった。

 ロザさんが、それを聞いていた。弓をおろして、握りの革をほどいて、黙って巻き直しはじめた。

 ハンナさんは、孫を抱きかかえたまま、ギンを見ていた。

 ランタンの明かりの中で、ギンは肩に布を巻かれて、雪の上に座っていた。口のまわりが、少し赤かった。

 ハンナさんが、立ちあがった。孫の手を引いて、鍋のほうへ歩いていく。

 鍋の前に、どさりと座った。

「……一杯、もらえるかい」

「はい。その前に、手を洗ってね」

 ハンナさんは、母さんの差し出した桶を、しばらく見ていた。

 それから、両手を湯に沈めた。

 視界の枠の中で、ハンナさんの名前が、白に変わった。

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