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母さん、それ中ボスです。 〜天然の母が敵と全員仲良くなるので、勇者の俺に経験値が入りません〜  作者: 佐和井 泥
第6話 討伐依頼一件

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荷車の日、ふたたび

 次の荷車の日の朝、台所に下りていくと、母さんが床に膝をついていた。

 かまどの前で、森オオカミの婆(ばあ)さんが横になっている。母さんはその肩に、細く裂いた布を巻いていた。

「どうしたの」

「傷があったのよ。毛に隠れてて、今朝まで気がつかなかったの」

 のぞきこむと、灰色の毛の下に、細い筋が何本か走っていた。血は、もう止まっている。

「木の枝に引っかけたのね。おばあちゃん、そそっかしいんだから」

 婆さんは、母さんの膝に顎(あご)をのせて、おとなしくしていた。

 毎朝、井戸の列に並んでいる年寄りだ。

 ガルドが最初に「村で飯が出る」と話した相手で、その話を森じゅうに広めたのも、この婆さんだった。

 布を巻き終えた母さんの手が、婆さんの首のあたりを撫(な)でる。そこだけ、毛が薄い。

 秋に、婆さんが自分でむしって持ってきた場所だ。

 冬になってからも、婆さんは同じところから毛をむしっては、台所の戸口に置いていった。

 おかげで、うちの毛糸の籠(かご)は、ひと冬じゅう灰色でいっぱいだった。

 戸が開いて、ガルドが薪(まき)を抱えて入ってきた。

 ガルドは、母さんの手元の布を見た。それから、婆さんを見た。太い眉が、少しだけ動いた。

 ガルドは、婆さんの肩のあたりの匂いを、一度だけかいだ。それから薪をかまどの脇におろして、黙って納屋へ戻っていった。

 夜になると、台所では今も糸車(いとぐるま)が回っている。

 母さんの膝の上には、編みかけの灰色の手袋がある。指の長い、大きな手袋だ。

 春の最初の満月までは、まだひと月以上ある。それでも母さんは、毎晩少しずつ編み進めていた。


   *


 前の荷車の日から、一週間がたった。

 昼前、北の道から荷車が戻ってきた。

 ベックさんが手綱を引き、ニールさんが後ろを押し、ロザさんが御者台(ぎょしゃだい)の横を歩いている。先週と同じ並びだった。

 出張所のカウンターで、ホルストさんが報酬の袋を出した。

「王都まで、一往復。護衛三人ぶん」

 先週と一字一句同じ、棒読みだった。

 ベックさんが、中身を三つに分ける。ロザさんの前に置かれたのは、銀貨三枚だった。

「先週の転入者、どうなった」

 銀貨を革袋にしまいながら、ロザさんが聞いた。

「帰りました。春の最初の満月に、見回りの当番で来ます」

「当番」

「名簿に載ったので」

 ロザさんは、俺の顔をしばらく見ていた。

「……あんたの村、変だよ」

「知ってます」

「それと、回廊の北の口。ゴブリンの足跡が増えてた。荷車のほうを、見てるみたいだった」

 右だけ浅い足跡かどうかは、聞かなかった。聞かなくても、わかっていた。

 ロザさんは、懐(ふところ)から小さな紙を出した。先週見せてもらった、ベルダの医者の書きつけだ。

 カウンターのペンを借りて、紙の上の数字をひとつ、線で消す。その横に、新しい数字を書いた。

「八枚になった」

 誰にともなく、ロザさんはそう言った。

 弟の薬代の、残りのツケだ。先週は、十一枚だった。

 そのことを、俺はまだ母さんに話していない。

 弟の薬が高いことは、母さんも知っている。卵の洞窟で、ロザさんが自分で話したからだ。

 知らないのは、残りの額と、春までという期限だけだ。

 話せば、母さんは間違いなく出す。手袋の売り上げからでも、自分の財布からでも。それで、片づく。

 片づいてしまう何かがあるような気がして、俺は黙っていた。

 何が片づいてしまうのかは、自分でもまだ、よくわからなかった。


   *


 昼過ぎ、東の尾根の方角から、若い男が一人、雪を踏んでやってきた。

 羊の毛の上着に、長い杖。羊飼いだ。

 男は出張所に入ると、ホルストさんに封をした書きつけを渡して、何も言わずに帰っていった。

 井戸の前で手を洗っている魔物たちの列からは、最後まで目をそらしていた。

 ホルストさんは、書きつけを読んだ。二度、読んだ。

 それから、引き出しから依頼票の束を出した。イレーネさんが送ってきた、新しい書式のものだ。

 一枚抜いて、ペンを取る。書きつけの文面を、一行ずつ写していく。

 途中で一度だけ、ペンが止まった。ホルストさんは書きつけと依頼票を見比べて、それからまた、同じ速さで書きはじめた。

 書き終えると、ホルストさんは立ちあがって、掲示板の前に行った。

 掲示板の上には、依頼の種類を示す札が並んでいる。討伐、採取、護衛、捜索。それから、母さんのせいで増えた、手伝い。

 ホルストさんは、「討伐」の札の下に、その一枚を貼った。

 そこに紙が貼られるのは、母さんの炊き出しが始まってから、初めてのことだった。

〈討伐 対象:羊を襲う魔物 一頭〉

〈場所:東の谷〉

〈見立て:森オオカミ。灰色の年寄りの個体。首のまわりの毛が、一か所薄い。足が速い。足跡は、ハルテ村の方角へ〉

〈討伐報酬:銀貨十二枚〉

〈依頼主:東の谷羊飼い組合 依頼主の種族:人間〉

 種族の欄の横の「手洗い済み」の欄には、印がなかった。

「リオにいちゃん、それ、なんて書いてあるの」

 いつのまにか、ピムが足もとに来ていた。鼻をすすりながら、掲示板を見上げている。毎朝ガルドの鍋からスープをもらっている子だ。

「……羊のことだよ」

 それだけ答えた。ピムは「ふうん」と言って、井戸の列のほうへ駆けていった。

「ゼロと一は、帳簿の上じゃ大違いだ」

 ホルストさんは、掲示板を見たまま、棒読みで言った。

「——と、前に言ったな」

 言ったわりに、うれしそうな顔ではなかった。

 俺は、依頼票の真ん中の一行を、もう一度読んだ。

〈首のまわりの毛が、一か所薄い〉

 今朝の台所を思い出していた。

 母さんが巻いていた、細く裂いた布。その少し上の、毛の薄いところ。

 井戸のほうを見た。

 手を洗う列の中ほどに、肩に布を巻いた灰色の背中が、おとなしく並んでいた。

 さっきの羊飼いが、あの列から目をそらさずにいたら。そう思うと、背中が少し冷たくなった。

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