当該村落、攻略困難
帰り道、ガルドは何も話さなかった。
俺も、話さなかった。
ガルドの背中で、斧が規則正しく揺れていた。その背中は、行きよりも少し丸くなって見えた。
尾根を越える手前の岩陰で、俺は弁当籠をおろした。
母さんが詰めた弁当は、二人ぶんあった。黒パンと、煮物と、ゆで卵。
ガルドに、ゆで卵を一つ渡した。
ガルドは、受け取った。受け取ったまま、食べなかった。手のひらの上の白い卵を、長いあいだ見ていた。
斜面を転がっていった卵のことを考えているのだろう、と思った。
村の屋根が見えてきたところで、ガルドが一度だけ口を開いた。
「……あれが小さいころは、わしの背中から下りなかった」
それきりだった。
卵は、ガルドの前掛けのポケットに入ったまま、村まで戻った。
*
「おかえり」
家に戻ると、母さんが台所から顔を出した。
「セヴランさん、ちゃんと帰れた?」
「……うん」
「お弁当、喜んでた?」
俺は、答えられなかった。
雪に染みた、茶色い跡のことを考えた。
母さんは俺の顔を見て、少しだけ首をかしげた。それから、自分で答えを決めたようだった。
「あの人、あんまり食べなさそうだったものね。量が足りたかしら」
そう言って、母さんは鍋のほうへ戻っていった。
納屋のほうから、チットの声が聞こえた。
「ザグ、いた?」
少し間があって、ガルドの低い声がした。
「……いた」
それきり、納屋は静かになった。
*
その夜、俺は寝床の上で、頭の中のチャートを広げた。
紙ではない。前世の仕様書の書式そのままの、頭の中の表だ。
倒すはずだったのに倒さずに終わって、線を引いた行が、三つある。ゴブリン王ガルド。洞窟の主。霜の番人。
その下に、〈三年後にすべきこと:不明〉。
それから、チャートのいちばん上。本編の、最初の行。
〈ハルテ村焼失:魔王軍先遣隊(隊長セヴラン)〉
この行には、線を引けなかった。
倒していない。倒せない。倒すつもりも、たぶん、もうない。
初めての、消せない行だった。
しばらく眺めてから、その行の横に、小さく書き足した。
〈当番:霜の回廊の見回り(春の最初の満月)〉
書き足してから、少しだけ笑った。
村を焼く男の行の横に、村の当番が書いてある。こんなチャートは、前世で一度も作ったことがない。
【ヒント:ボスを倒すと、物語が先に進みます】
ヒントの枠が、律儀に開いた。
倒さないほうが、たぶん、先に進む。
*
経験値が入らないのは、まだいい。氷漬けの人たちを連れて北の回廊から帰った夜、俺はそう思っていた。
今は、少し違うことを考えている。
入らないほうが、いいのかもしれない。
剣を抜く力のない少年は、抵抗の兆候にならない。Lv.1の勇者は、誰の視察票にも、軽度としか書かれない。
それが正しいのかどうかは、わからない。
三年後、上が決めれば、あの人は来る。そのとき剣を抜かずにいられるのかどうかも、わからない。
ただ、俺の計画が、あの落ちたカットに向かってまっすぐ進んでいたのかもしれない。そのことには、今はもう気づいている。
俺は、前髪をかき上げた。
ステータスを開いた。
【リオ 勇者(未覚醒) Lv.1 EXP 0/30 防御力 48】
数字は、ひとつも動いていない。
それを見て、ほんの少しだけ、ほっとした。
数字が動かないことに安心したのは、前世から数えて、初めてだった。
*
台所から、物音がした。
起きていってのぞくと、母さんが、壁の当番表の前に立っていた。
ペンを持って、見回りの欄に、一行書き足している。
〈春の最初の満月 セヴランさん〉
ガルドの名前と、母さんの名前の下だった。
「母さん」
「なあに」
「……あの人、来ると思う?」
母さんは振り返って、緑の目をまるくした。
「来るわよ。当番だもの」
当たり前のことを聞かれた、という顔だった。
それから母さんはペンを置いて、糸車の前に座った。灰色の毛の玉を、膝の上に引き寄せる。
「あの人、手が冷たかったのよ。次に来るまでに、手袋を編んでおかなくちゃ」
台所の窓の外では、雪がまた降りはじめていた。
三年後に村を焼くはずの男の手袋を、母さんは、その夜から編みはじめた。
◆
【先遣局 視察報告】
報告者:魔王軍先遣局 局長 セヴラン
対象:ハルテ村(北の古道南口)
経過:
北の古道の開通を受け、当職自ら現地を視察した。
評価:
防衛戦力 ゴブリン一(鍋番)。霜の番人一(扉番。当職の通行を許可)。鍛冶屋一。少年一(非力。ただし胸当てだけが上等)。
住民の協力度 測定不能(転入届の受理まで五分)。
抵抗の兆候 少年一名による情報の秘匿。軽度。二日目以降なし。
魔物の協力度 手洗い済み。
戦略的価値 高。ただし、その大半は、村と魔物が手を組んでいることによる。
付帯事項:
北の斜面にて、ゴブリンの群れの長ザグと面会。協力の申し出あり。当該村落の判定が保留であるため、回答を見送った。
判定:
保留。
所見:
当該村落、攻略困難。
理由:説明が難しい。
追記:
当職は、当該村落の住民名簿に記載された。転入届の取り下げ手続きについて、総務局の見解を求めたい。
なお、霜の回廊の見回り当番は、春の最初の満月。当日は局を一日空けるため、局長代理の手配を要請する。




