名簿
眠れなかった。
夜更けに寝床を抜けだして、裏口から外に出た。雪は止んでいて、空気が痛いほど冷たい。
納屋の前に、明かりがあった。
セヴランが、雪の上に置いた木箱に腰かけて、ランプの明かりで、何かを書いていた。
納屋の中からは、低いいびきがいくつも聞こえてくる。森オオカミたちだ。あの音の中で眠るには、慣れが要る。
納屋の戸口の暗がりで、二つの目が光っていた。
ガルドだった。寝ていない。たぶん、ずっと起きている。
俺は、ランプのほうへ歩いていった。
セヴランは、顔を上げなかった。
「君は、私が何者か知っている」
問いではなかった。
俺は、答えなかった。
*
セヴランは、ペンを止めた。
「昼に、丘の坂で、三年後に、と言ったね」
ランプの火が、セヴランの角の影を、雪の上に長く伸ばしていた。
「私の予定表に、この村はない。三年後のぶんも、含めて」
「……今は、ですよね」
「今は」
セヴランは、あっさり認めた。
「……局長なのに、自分で来たんですか」
「部下の視察票は、欄が全部埋まっている」
セヴランは、ペン先をインクに浸した。
「埋まりすぎている。見ていないものまで、埋めてある。だから、自分の足で来る」
前世の会議室の、きれいすぎる進捗表を思い出した。全部の欄が緑色で、誰も現場を見ていなかった表だ。
この人は、ああいう表を信じない側の人間らしかった。
俺は、セヴランの膝の上の紙を見た。
夕方、井戸のふちで見た、あの視察票だった。欄の半分くらいが、まだ白い。
「それ。いちばん下の欄」
「判定欄」
「確保と、保留と、焼却」
セヴランは、俺の顔を見た。
それから、紙を少しだけ、俺のほうへ傾けた。昼に手帳を傾けたときと、同じ角度だった。
「確保は、使える村だ。道や、食料や、人手がある。そのまま押さえて、使う」
「保留は」
「まだ決められない村。もう一度、誰かが見に来る」
「……焼却は」
セヴランは、ほんの少し、間を置いた。
「抵抗のあった村だ」
ランプの芯が、小さく鳴った。
「剣を抜いた者が、いた村」
聞かずにいられなかった。
「……その欄に、印をつけたことは」
「ある」
セヴランは、間を置かなかった。
「何回」
「十一」
井戸を数え、道幅を歩幅で測っていたときと、同じ声だった。
それ以上、セヴランは何も言わなかった。俺も、聞かなかった。
*
頭の中で、あの絵コンテがめくれはじめた。
燃える村。炎を背にした、背の高い輪郭。少年に覆いかぶさる、女の輪郭。
少年の手には、何か短いものが握られている。
絵コンテを見たとき、俺はそれが何なのか、確かめもしなかった。
今は、わかる気がした。
寝床の枕もとに置いてきた短剣のことを考えた。ダグさんが、誕生日にくれた短剣だ。最初の獲物を見せに来い、と言って。
ゲームの勇者の初期装備は、木の棒だ。村が焼けたあとだから、という理由で、俺がそう決めた。
焼ける前の少年は、短いものを握っていた。焼けたあとの勇者は、木の棒しか持っていない。
そのあいだに何があったのかを、俺は一行も書いていない。
三年かけて強くなる。強くなって、村を焼きに来る魔王軍と戦う。
それが、俺の計画だった。
その計画のいちばん先に、剣を抜いた少年が立っている。
……理由は、それひとつではないのだろう。ゲームには、一行しか書いていないのだから。
それでも、あの一行の手前に、剣を抜いた少年がいたのかもしれないということを、俺は今まで一度も考えなかった。
*
「なぜ」
セヴランが言った。
「なぜ、皆に言わなかった。私が何者か」
俺は、雪の上の、角の影を見ていた。
「言ったら」
声が、少しかすれた。
「抵抗の兆候、ですよね」
セヴランは、しばらく俺を見ていた。
「そうだ」
それから、また紙に目を落とした。
しばらくして、セヴランが、ぽつりと言った。
「食べ方を褒められたのは、初めてだ」
作法は、局に入るときに叩きこまれたのだという。褒められるための作法ではなく、上の者の前で恥をかかないための作法だった、と。
セヴランは、それ以上は言わなかった。
視察票の下から、もう一枚、小さな紙がのぞいていた。
村長がくれた、転入届の控えだった。
〈氏名 セヴラン〉〈新住所 見張り塔の下の家〉
セヴランは、視察票ではなく、その控えのほうを、しばらく見ていた。
何も言わなかった。
自分の名前が書いてある紙を、焼く側の書類以外で見るのは、もしかしたら初めてなのかもしれない。そういう顔に、俺には見えた。
「何を書くんですか」
俺は聞いた。
セヴランは、ペン先を、判定欄の上に浮かせた。
「わからない」
三つの四角の上で、ペン先は、どこにも下りなかった。
「どの欄にも、入らない」
しばらくして、セヴランはペンを置いた。
「一つだけ、言っておく」
俺のほうを見ずに、セヴランは言った。
「私が何を書いても、上が決めれば、私は来る。それが、私の仕事だ」
「……知ってます」
知っていた。上が決めたことを、手を動かして形にする。前世の俺の仕事も、そういうものだった。
*
ランプの明かりの中で、セヴランは視察票をたたんだ。
俺は、その手を見ていた。長い指の、黒い爪。中指の、ペンだこ。
この人は、会ったこともない村について、一枚の紙に判定を書く仕事をしている。
俺は、行ったこともない村について、一行の設定を書く仕事をしていた。
同じ種類の人間なのかもしれなかった。
夜が、白みはじめていた。
家のほうから、物音がした。台所で、母さんが鍋をかける音。包丁がまな板を叩く音。
弁当を、詰めているのだった。




