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母さん、それ中ボスです。 〜天然の母が敵と全員仲良くなるので、勇者の俺に経験値が入りません〜  作者: 佐和井 泥
第5話 転入届

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転入届

 村長の家の土間で、男は帽子を取った。

 家の中では帽子を取る。そういう躾(しつけ)を受けた人の手つきだった。

 帽子の下の黒い髪のあいだから、短い角が二本、のぞいていた。山羊の角を小さくしたような、灰色の角だ。

 村長は、卓に積んだ紙の束から顔を上げなかった。

「ああ、十七枚目ですな。そこに座って」

 年越しから十六人ぶんの転入届と格闘してきた結果、村長はもう、来る人の顔を見ていなかった。

 母さんは、角を見て、ちょっとだけ首をかしげた。

 それから何も言わずに、煮物の鍋を、土間の隅のかまどにかけた。

 ゴブリンを炊き出し当番にした人が、角の二本くらいで何か言うはずはなかった。


   *


 村長が、紙を一枚、卓の向こうへ押しやった。

〈転入届 ハルテ村〉

 欄が並んでいる。氏名。前住所。新住所。職業。家族。転入の理由。

 男は、その紙を見た。

 見た瞬間に、男の背筋が伸びた。肩の力が抜けて、代わりに、指先に力が入った。

 俺は、その変わり方を知っていた。

 前世で、締め切り前の仕様書を前にしたときの、自分の体だ。

「……インクを、お借りしても」

「どうぞどうぞ」

 男は、手袋を外した。指が長く、爪が黒い。ペン先をインク壺(つぼ)に浸して、余分を壺のふちで二度落とす。

 そして、書きはじめた。

 一字ずつ、正確に。欄からはみ出さず、行の頭を揃えて。

〈氏名 セヴラン〉

〈前住所 魔王城 西棟三階〉

 俺は、息を止めた。

〈新住所〉

 男のペンが、そこで止まった。

「見張り塔の下の家よ」

 母さんが、横から言った。

 男は、少し間を置いて、そのとおりに書いた。

〈新住所 見張り塔の下の家〉

〈職業 地方調査〉

〈家族 なし〉

〈転入の理由 下見〉

 書き終えると、男は紙全体を一度見直した。それから、顔を上げた。

「転入の日付の欄が、ありませんが」

「……そういえば、ありませんな」

「欄外に書いても、よろしいですか」

「どうぞどうぞ」

 男は、右下の余白に、小さく今日の日付を書き足した。

 それから、ペンを置いた。

 嘘は、一字も書かれていなかった。


   *


 村長が紙を受け取って、読みあげはじめた。

「氏名、セヴラン。前住所……」

 村長の目が、紙の上で止まった。

「魔王城……西棟……三階」

 土間が、静かになった。かまどの煮物が、ことことと鳴っている。

 村長は、紙から目を上げて、男の顔を見た。男の頭の角を見た。それから、また紙を見た。

 何か言いかけて、やめた。

「……遠いところから、ようこそ」

 村長さん、それは——と言うことは、できた。

 言ったあとで何が起きるのかが、わからなかった。

 Lv.52の男が、角を隠しもせずに座っている土間で、Lv.1の俺が「魔王軍です」と言ったら。

 かまどの前で、母さんが鍋をかき回していた。

 俺は、黙っていた。

 村長は、次の欄へ進んだ。

「職業、地方調査。家族、なし。転入の理由……下見」

 村長は、大きくうなずいた。

「ああ、なるほど。まずは住んでみて、ですな。それがいい。いきなり越してきて、合わなかったら困りますからな」

 男は、何も訂正しなかった。

 訂正するところが、どこにもなかったからだ。

 母さんは、村長の肩越しに紙をのぞきこんでいた。

 家族の欄で、緑の目が止まった。

〈なし〉

 母さんの丸い顔から、ほんの少しだけ、笑みが引いた。叱るときの引き方とは、違っていた。

 すぐに元に戻ったので、気づいたのは、たぶん俺一人だった。


   *


 村長は、名簿を開いた。

 分厚い革表紙の帳面で、この村に住む者の名前が、家ごとに書いてある。

 いちばん新しいページに、十六人の名前が並んでいた。二百年前の人も、四十年前のヨナスさんも、同じ大きさの字で書いてある。

 そのすぐ上の行に、ガルド。その隣に、チット。秋の寄り合いのあとで、村長が書き足した名前だ。

 何ページか前には、うちの家の欄がある。母さんの名前と、俺の名前が書いてある。

 炎の手前の、女の輪郭と、少年の輪郭。その二人の名前が、同じ帳面に書いてある。

 今夜、そのいちばん新しい行に、炎を背にしていたほうの名前が書きこまれるかもしれない。

 村長は、セヴランの転入届を、名簿のいちばん新しいページに挟んだ。

「今夜の寄り合いで決まれば、ここに書き足しますでな」

 十六人の名前の下に、一行ぶんの余白があった。村長は、そのまま名簿を閉じた。

 男は——セヴランは、閉じられた名簿の革表紙を、しばらく見ていた。

 何を考えているのかは、顔からはわからなかった。視界の枠の中で、名前はまだ赤かった。

「そうだ、セヴランさん」

 母さんが、かまどから鍋をおろしながら言った。

「今夜、寄り合いがあるのよ。新しい人たちの当番を決めるの。セヴランさんも来てね」

「……当番」

「井戸の氷割りとか、薪(まき)とか、見回りとか。みんなで順番にやるのよ」

 セヴランは、わずかに目を見開いた。

 村の仕組みを、向こうから全部説明してもらえる。下見に来た者にとって、これ以上の話はないはずだった。

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