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母さん、それ中ボスです。 〜天然の母が敵と全員仲良くなるので、勇者の俺に経験値が入りません〜  作者: 佐和井 泥
第5話 転入届

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荷車の日

 ゲームのオープニングムービーは、九十秒ある。

 最初の三十秒は、空だ。雲の上を渡っていく竜の影と、遠い王都の尖塔(せんとう)と、題名の文字。

 そこから絵が下りていく。森を抜けて、麦畑を越えて、小さな村が映る。

 村は、燃えている。

 水車小屋も、井戸の屋根も、丘の上の見張り塔も、炎の中で崩れていく。最後のカットは、人のいない焼け跡だ。

 ただ、絵コンテの段階では、その前にもう一枚、絵があった。

 炎を背にして、背の高い男の輪郭が立っている。その手前で、女の輪郭が、少年の輪郭に覆いかぶさっている。

 少年の手には、何か短いものが握られている。

 絵コンテが上がってきたのは、リリースの半年前だった。

 美術班のリーダーが、俺の席まで来て聞いた。

「三浦さん。この先遣隊長と、勇者のお母さん。顔、どうします? 立ち絵、起こしますか」

 俺は、表計算の画面から目を離さずに答えた。

「シルエットでいい」

 予算はなかったし、どうせ数秒しか映らない。そう思った。そういうふうに、いつも答えていた。

 そのカットは、結局、尺が足りなくて落ちた。完成したムービーには、人のいない焼け跡が残った。

 だから、あの二つの輪郭には、顔がない。画面に出たことさえ、一度もない。


   *


 年が明けた。

 ハルテ村は、まだ雪の中にある。それでも、冬のはじめとは空気が違っていた。

 北の道が、動いているからだ。

 週に一度、ベックさんたちの護衛つきの荷車が、霜(しも)の回廊へ向かう。積み荷は、手袋とランプと咳止めだ。

 扉の前で声をかければ、回廊の番人のユキが、内側から開けてくれる。

 抜けた先は、峠(とうげ)の向こうの王都街道だ。

 オスカーからの年末の注文は、年明けに間に合った。

〈手袋二百組、たしかに受け取りました。工房通りの奥方たちが、娘にも同じものをと言っています〉

 受取証の余白の、オスカーの字は、秋のころより少しだけ大きくなっていた。店が持ち直したのだろう。

 村長の家の卓には、紙の束が積んである。

 回廊の氷の中から解けて出てきた十六人を、村の名簿に載せるための転入届だ。

 年越しの寄り合いで、十六人とも春まで村に置くと決まった。それから村長は、毎晩その束と格闘している。

 二百年前の人は、前住所の欄に、もう地図に載っていない町の名前を書く。

 ダグさんの叔父のヨナスさんは、四十年ぶりに氷から出てきた人だ。

 前住所に「ハルテ村」と書いて、村長に「それは転入ではなく、帰ってきただけですな」と言われていた。

 うちの台所の壁には、村の当番表が貼ってある。

 井戸の氷割り、薪(まき)割り、炊き出しの鍋、見回り。欄ごとに、母さんの丸い字で名前と日付が書きこんである。

 冬になってから、見回りの欄に新しい行が一つ増えた。〈霜の回廊〉。

 月に一度、回廊まで行ってユキに声をかけ、扉の具合を見て帰ってくる当番だ。

 いちばん上に、ガルドの名前がある。その下に、母さんの名前がある。母さんの番の日には、たいてい籠(かご)いっぱいの差し入れが一緒に行く。


   *


 昼前に、荷車が帰ってきた。

 ベックさんが先頭で手綱を引き、ニールさんが荷台の後ろを押している。

 ロザさんは、御者台(ぎょしゃだい)の横を歩いていた。背中の弓に、雪がうっすらと積もっている。

 出張所のカウンターで、ホルストさんが報酬の袋を出した。

「王都まで、一往復。護衛三人ぶん」

 棒読みでそう言って、依頼票の受注者の欄を指で叩く。

〈受注者 ベック〉

 ベックさんが袋を受け取って、カウンターの上で中身を三つに分けた。

 自分のぶん。ニールさんのぶん。それから、ロザさんのぶん。

 ロザさんは、自分のぶんを革袋にしまいながら、依頼票の受注者の欄を見た。

 一度だけだった。すぐに目をそらして、背中の弓をおろし、握りの革をほどいて、巻き直しはじめた。

 ホルストさんが、そのロザさんを見ていた。

 何か言いかけて、やめた。

 俺は、二人を横から見ていた。そこに何があるのかは、まだわからなかった。


   *


「扉のところでさ」

 出張所を出たところで、ロザさんが言った。

 ベックさんとニールさんは、もう炊き出しの列のほうへ歩いていっている。

「北から来た男に、声をかけられた」

「北から?」

「回廊の北の口で。王都から戻ってきて、扉が開くのを待ってたら、いつのまにか隣に一人で立ってたんだ」

 ロザさんは、短い金髪を縛った革紐を、指で直した。

「背の高い、身なりのいい男。黒くて長い外套(がいとう)に、つばの広い帽子。ハルテ村はこの先か、って聞かれた」

「……ユキは」

「通したよ。鍵さえ渡さなきゃ、誰でも通すだろ、あの人」

 そういう約束にしたのは、母さんだった。

「変な男だった。あたしたちの荷車を、上から下まで見て、何か数えてた。箱の数とか、車輪の幅とか」

 ロザさんは、灰色がかった青い目を細めた。

「商人かと思ったけど、商人なら値段を聞くだろ。あいつ、値段は一回も聞かなかった」

「……なんで、俺に言うんですか」

「あんた、そういう変なことに気がつくだろ。グリム商会の列でも、あたしの後ろ姿を見分けてた」

 ロザさんは、弓の握りの革を、親指で一度なぞった。

 俺が黙っていると、ロザさんは肩をすくめた。

「まあ、いいや。それより、聞いてよ」

 ロザさんは、懐(ふところ)から小さな紙を出した。ベルダの医者の書きつけらしい。

「弟の薬代、あと銀貨十一枚なんだ。春までに払えれば、医者を替えなくて済む」

 うれしそうなのか、疲れているのか、よくわからない声だった。

「あと何往復か、ってとこ」

 ロザさんは、紙を大事そうに折りたたんで、懐に戻した。


   *


 昼過ぎ、母さんに言われて、井戸へ水を汲みに出た。

 広場の向こうに、丘がある。丘の上に、見張り塔が立っている。もう長いあいだ、誰も登っていない塔だ。

 その塔の下に、男が一人、立っていた。

 黒い長外套。つばの広い帽子。

 男は、広場の井戸のほうを向いていた。手袋をはめた片手の指が、小さく動いている。

 何かを、数えていた。

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