荷車の日
ゲームのオープニングムービーは、九十秒ある。
最初の三十秒は、空だ。雲の上を渡っていく竜の影と、遠い王都の尖塔と、題名の文字。
そこから絵が下りていく。森を抜けて、麦畑を越えて、小さな村が映る。
村は、燃えている。
水車小屋も、井戸の屋根も、丘の上の見張り塔も、炎の中で崩れていく。最後のカットは、人のいない焼け跡だ。
ただ、絵コンテの段階では、その前にもう一枚、絵があった。
炎を背にして、背の高い男の輪郭が立っている。その手前で、女の輪郭が、少年の輪郭に覆いかぶさっている。
少年の手には、何か短いものが握られている。
絵コンテが上がってきたのは、リリースの半年前だった。
美術班のリーダーが、俺の席まで来て聞いた。
「三浦さん。この先遣隊長と、勇者のお母さん。顔、どうします? 立ち絵、起こしますか」
俺は、表計算の画面から目を離さずに答えた。
「シルエットでいい」
予算はなかったし、どうせ数秒しか映らない。そう思った。そういうふうに、いつも答えていた。
そのカットは、結局、尺が足りなくて落ちた。完成したムービーには、人のいない焼け跡が残った。
だから、あの二つの輪郭には、顔がない。画面に出たことさえ、一度もない。
*
年が明けた。
ハルテ村は、まだ雪の中にある。それでも、冬のはじめとは空気が違っていた。
北の道が、動いているからだ。
週に一度、ベックさんたちの護衛つきの荷車が、霜の回廊へ向かう。積み荷は、手袋とランプと咳止めだ。
扉の前で声をかければ、回廊の番人のユキが、内側から開けてくれる。
抜けた先は、峠の向こうの王都街道だ。
オスカーからの年末の注文は、年明けに間に合った。
〈手袋二百組、たしかに受け取りました。工房通りの奥方たちが、娘にも同じものをと言っています〉
受取証の余白の、オスカーの字は、秋のころより少しだけ大きくなっていた。店が持ち直したのだろう。
村長の家の卓には、紙の束が積んである。
回廊の氷の中から解けて出てきた十六人を、村の名簿に載せるための転入届だ。
年越しの寄り合いで、十六人とも春まで村に置くと決まった。それから村長は、毎晩その束と格闘している。
二百年前の人は、前住所の欄に、もう地図に載っていない町の名前を書く。
ダグさんの叔父のヨナスさんは、四十年ぶりに氷から出てきた人だ。
前住所に「ハルテ村」と書いて、村長に「それは転入ではなく、帰ってきただけですな」と言われていた。
うちの台所の壁には、村の当番表が貼ってある。
井戸の氷割り、薪割り、炊き出しの鍋、見回り。欄ごとに、母さんの丸い字で名前と日付が書きこんである。
冬になってから、見回りの欄に新しい行が一つ増えた。〈霜の回廊〉。
月に一度、回廊まで行ってユキに声をかけ、扉の具合を見て帰ってくる当番だ。
いちばん上に、ガルドの名前がある。その下に、母さんの名前がある。母さんの番の日には、たいてい籠いっぱいの差し入れが一緒に行く。
*
昼前に、荷車が帰ってきた。
ベックさんが先頭で手綱を引き、ニールさんが荷台の後ろを押している。
ロザさんは、御者台の横を歩いていた。背中の弓に、雪がうっすらと積もっている。
出張所のカウンターで、ホルストさんが報酬の袋を出した。
「王都まで、一往復。護衛三人ぶん」
棒読みでそう言って、依頼票の受注者の欄を指で叩く。
〈受注者 ベック〉
ベックさんが袋を受け取って、カウンターの上で中身を三つに分けた。
自分のぶん。ニールさんのぶん。それから、ロザさんのぶん。
ロザさんは、自分のぶんを革袋にしまいながら、依頼票の受注者の欄を見た。
一度だけだった。すぐに目をそらして、背中の弓をおろし、握りの革をほどいて、巻き直しはじめた。
ホルストさんが、そのロザさんを見ていた。
何か言いかけて、やめた。
俺は、二人を横から見ていた。そこに何があるのかは、まだわからなかった。
*
「扉のところでさ」
出張所を出たところで、ロザさんが言った。
ベックさんとニールさんは、もう炊き出しの列のほうへ歩いていっている。
「北から来た男に、声をかけられた」
「北から?」
「回廊の北の口で。王都から戻ってきて、扉が開くのを待ってたら、いつのまにか隣に一人で立ってたんだ」
ロザさんは、短い金髪を縛った革紐を、指で直した。
「背の高い、身なりのいい男。黒くて長い外套に、つばの広い帽子。ハルテ村はこの先か、って聞かれた」
「……ユキは」
「通したよ。鍵さえ渡さなきゃ、誰でも通すだろ、あの人」
そういう約束にしたのは、母さんだった。
「変な男だった。あたしたちの荷車を、上から下まで見て、何か数えてた。箱の数とか、車輪の幅とか」
ロザさんは、灰色がかった青い目を細めた。
「商人かと思ったけど、商人なら値段を聞くだろ。あいつ、値段は一回も聞かなかった」
「……なんで、俺に言うんですか」
「あんた、そういう変なことに気がつくだろ。グリム商会の列でも、あたしの後ろ姿を見分けてた」
ロザさんは、弓の握りの革を、親指で一度なぞった。
俺が黙っていると、ロザさんは肩をすくめた。
「まあ、いいや。それより、聞いてよ」
ロザさんは、懐から小さな紙を出した。ベルダの医者の書きつけらしい。
「弟の薬代、あと銀貨十一枚なんだ。春までに払えれば、医者を替えなくて済む」
うれしそうなのか、疲れているのか、よくわからない声だった。
「あと何往復か、ってとこ」
ロザさんは、紙を大事そうに折りたたんで、懐に戻した。
*
昼過ぎ、母さんに言われて、井戸へ水を汲みに出た。
広場の向こうに、丘がある。丘の上に、見張り塔が立っている。もう長いあいだ、誰も登っていない塔だ。
その塔の下に、男が一人、立っていた。
黒い長外套。つばの広い帽子。
男は、広場の井戸のほうを向いていた。手袋をはめた片手の指が、小さく動いている。
何かを、数えていた。




